top > 売上アップ(ジワリと効く)


コロナは、5年間の時間を、一気に圧縮しただけである。

工場長は、号泣していた。。

コロナの影響で、担当工場の閉鎖が決まり、
会議で発表されたときのことである。

これまで、苦楽を共にしてきたスタッフたちは、
おそらく、職をなくすであろうこと。
その場が、なくなること。
過去の思い出や、人の顔が思い浮かんだのだろう。
男泣きしていた。

もちろん、工場閉鎖は、彼のせいではない。
コロナであろうが、
雨が降ろうが、ヤリが降ろうが、
工場に荷物を集めきれなかった、
社長とそれを支えるコンサルタントである私の責任である。

二度と、このような目にあわせてはいけない。
日ごろから「やるべきこと」を、やっていないと、このようになる。

彼の涙以降、会議に集まるスタッフたちのなかで、
加速的に良化する人たちが出てきた。
それまで、先輩たちに気を遣って、自分の意見を
遠回しに発言していた幹部が、ズバリ直言するようになった。
それまで、意見を求められれば、的確な発言をしてくれていた幹部が、
意見を求められなくても、発言するようになった。
一方で・・・
残念ながら、それでも変わらない幹部もいる。。

 
ある後輩が、私に「名言」を吐いた。(珍しく)笑
「コロナは、経済・経営を壊したのではない。時間を早めただけです」
まさに、その通りである。
「生意気」だからこそ、とても、勉強しているヤツである。

3年後、消滅していたであろう会社や店が、
この半年間で消滅することになっただけ。
いずれ、近い将来、なくなっていた。

3年先も、繁栄している会社は、今、元気にやっている。
3年先、消滅していたコンサルタントには、今、仕事がない。

リモートワークも同じ。いずれそうなっていた。
ネットの繁栄、海外との交易交流のあり方・・・・
全て「いずれそうなる」が、一気にスピードアップして現出している。

人間も同じである。
悠長に「コロナが終われば・・」などと、
今、自分の仕事内容をギアチェンジして
これまで以上に、充実させることのできない人間は、
「スピード感をもって」腐ってゆく。取り残される。給与が減る、職を失う。
いずれ、そうなっていたのである。

前述の「覚醒した」幹部たちは、
3年後、会社の大幹部になる人間たちである。
ここから一気に、登ってゆくだろう。
いずれ、そうなっていたのである。


ドライバービューとスカイビュー(目の前視点と上空視点)

オヤジ待望のプロ野球が、開幕しました!
ということで・・・
ご無沙汰していたスポーツがらみのネタを、喜びの余り、連発させたい!

開幕までの長い自粛期間、関西では、
タイガースファンのために、地方局が、
「虎辞書なる」(トラジショナル)なる番組を放映していました。
過去、阪神タイガースが、
気持ちよーーく、勝った試合だけを、約1時間半、だらだらと放送します。

点をとられるシーンは、割愛され、
点をとるシーンを、重点的に、編集して放送します。

これが・・・なぜだか、私には、物足りない。。
痛快なはずなのに、「面白くない」のである。
理由を考えてみました。

野球も、人生も、すべてが、
山あり、谷ありの「つながりある」ドラマであって、
山ばかりでは、
なんだか、結局、つまらないものになる。

谷に落ちないよう、あるいは、谷から這い上がるため、
何とか、心技体をフル稼働させて、必死になって、
ちょっとした山に登れることが、「面白味」を生み出している。
場合によっては、そのまま負けてしまって悔しいことも、あるんだけど。。

この「ザ・阪神びいき番組」を観ていて、
そうゆうことを感じました。

「気持ち良い」の連続は、
「気持ち良くない」のである。

今、もがいている自分の状態を、ドラマか映画でも観るように、
(こりゃ谷だなー。これから山がくるかな? いや、これから崖に落ちるぞ!!)なんて
「目の前にある風景を見る目線」と「少し上空からその自分を見る目線」。。
ちょうど、カーナビの「ドライバービュー」と「スカイビュー」の
両方の画面を見るような感覚で、
生きていると、間違いが少なくて済むし、余裕も生まれる。

普段、街を歩いているときも、食べているときも、
腹立たしいときも、嬉しいときも、
今、自分を上空から観たら、こんな感じかなーー?と、
想像しながら、生活しています。(※ちょっとした変人です)


達人とのランチタイム

達人とのお昼の食事。。

私が注文した、この定食セットを見て、
達人は、何と評したか・・・

「大根のツマが、チョロっと出ているところに、この店舗の繁盛ぶりが出ている」

この一言に、衝撃を受けてしまう、
私の「感性」も、変なのかもしれないが、
この着眼点・着想に、どうしようもなく、惹かれてしまうのである。。

メニューを見ても、店舗を見ても・・・
何気ない、ひと言が
「知の結晶」である。

  
私が、数十店舗の現場と数字を見て、
導き出した、某業界の「繁盛の法則」=気づいている人は、ほとんどいないことも、
達人は、何も見ていないのに、チラシをひと目見ただけで、スパッ!と、言い切る。
「そんなもの、パチンコ屋も、同じだ!」と。

なぜ、そんなことができるようになるのか・・・・

余すところなく、吸収したい。


前半:どうでも良い話。後半:大切な話=「元」を超えよう!

世は、コロナのなか、
今週も、来週も、再来週も・・・お声をかけていただいた
クライアント先のもとへ、スケジュールびっしりで、お伺いしています。

飛行機は、減便の影響で、ほぼ満席状態。
マスクの着用は、義務化されています。

機内のオーディオ番組のプログラムにて・・・
おおーーっと、この並列、大丈夫なのか??笑
山下久美子
今井美樹
布袋寅泰の「元・嫁」「現・嫁」を、並べてラインナップしてきました。

当時の事情を知る人なら、これは・・・・?となる。
ANA、なかなか、攻めるなあー。
布袋寅泰は、何と言うか・・・「マイったなあー」って感じ?
ANA関係者、制作会社と布袋・・・仕事上で、何かあったのか?
仕事柄「裏」とか「背景」に、興味が湧いてしまう。

しかも、山下久美子の曲は、
大ヒット曲「赤道小町ドキッ」じゃなくて、
「バスルームより愛をこめて」
♫オトコなんて、しゃぼん玉~
 きつく抱いたら、壊れて消えた~
♪あんな浮気な男なんてさ、
 私のほうから、別れてやるわよ
・・・・恣意的なモノを感じるぞ。笑。
以上、どうでも良い下衆話。

「HOTEI WIFES」の次の曲。3曲目は、
小林麻美「雨音はショパンの調べ」の原曲、「I like Chopin」とても良い曲である。
松任谷由実が、
原曲に、原曲以上の日本語歌詞をつけて、名曲に仕上げた。

私の仕事でも
「モデル販促ツール」や「手書きラフ原稿」を提供したとき、
「オリジナル」以上に仕上げてくれると、とても嬉しい!

もちろん、逆に、オリジナルを提供された場合には、
「必ず、これを超える!」と仕事をする。
「ササッと、パクって、それなりにカタチになれば、それでいい。」では
終わらない。
オリジナル提供元に「超えられた・・」と思われるような「上物」を
感謝の気持ちと共に、お返しする。
それが、礼儀でもある。

きっと、原曲を作り、歌った「ガゼボ」は、
「I like Chopin」が、日本で「雨音はショパンの調べ」となり、
発展させた「松任谷由実」に、感謝しているだろうな・・・と、想像する。

4曲目は、ドリフターズの
「ニンニキニキニキ・・・」の歌詞が有名な「ゴー・ウェスト」
これは、志村さんを偲んで・・の選曲。。。

色々と想いを馳せながら、毎日、コロナ対策万全で、
現場に行ってます!
リモートもいいんだけど、、現場じゃないと、できないことがありますので。


日本の観光地にモノ申す!コロナ後の繁栄のために。

3月中旬・・・まだ「新コロ騒動」であったとき、
中国からの観光客が、いなくなった大阪・難波の様子である。

「人が歩けない」ほど賑わいを見せていた
黒門市場の商店街が、この状態。

感じた事がある。

もう完全に「中国人のための商店街」となっている。
いや、なり果てた。その残骸のようであった。
とにかく、売れるものを、売っている。
金物屋であっても、タピオカドリンクを売っている。
老舗の魚屋でも、神戸牛の串を売っている。。
店舗内にお客様を入れる努力をせず、
みんな店頭に屋台を出して「買い食い」できる商材を売る・・・という具合である。
なんでもアリの無秩序さ。

コロナ後、インバウンド需要は、回復する。
(政府は、無理やりにでも、させる。今のトップは、それしか能がない)
回復させなければ、日本は成り立たない。

だが、
そのときも、このまま、こんなことを続けるのか??

親しいご支援先には、常々、言っている。
「中国人にとって、日本は“ハワイ”のような存在になるだろう」
日本人がハワイに旅行に行くのと同じ感覚で、
中国人は、日本へやってくるのである。

では、ハワイに、
日本人しか来ない、日本人向けのストリートがあったとして、
私たちは、そこに行きたいか?

訪日中国人も、徐々に経験を積めば、
いずれ、そのようになってくる。

世界に冠たる観光立国を目指すなら、
今の黒門市場のような商売は、止めておいたほうが良い。
コロナの今、大変だけど、
今のうちに、きちんとコントロールして、方向転換しておくことをおすすめする。
「リピーター」が大切なのである。
「もう一度、日本でのあの雰囲気、あの体験を、味わいたい」という
場所にすべく、
黒門市場のみならず、日本の観光地を、
総点検して、次の時代に備える良いチャンスである。

 
3月当時の写真・・・
難波は、当時、こうして「武漢」を応援していた。

今、この垂れ幕は、どうなっているのだろうか。
「ほほう、なかなか、心が広いなあ・・」
「人のこと応援する前に、自分ちゃんとできてるの??」
この2つの思いで、撮っておいた写真である。





TOPへ戻る