2026年9月20日 19:00
片倉小十郎景綱
知略の面で、幼少期より政宗を補佐した武将です。
西郷輝彦さんが演じていました。
政宗が、秀吉に服従したのち、
秀吉は、政宗の家臣である片倉小十郎景綱を、
秀吉自身の直接の家臣として、大名に取り立ててやる。と持ち掛ける。
いわゆる「引き抜き」である。
本社のワンマン社長が
買収した関連会社の優秀社員を、別の関連会社の社長にしてやる。ということに近い。
秀吉(演じるは、あの勝新太郎さん!)
「政宗、折り入って、そちに無心があるが、よいか」
政宗
「はっ、何なりと」
秀吉
「……小十郎。近う、ちこう」
「かまわぬ、前へすすめ」
「おぬし、伊達の知恵袋じゃそうじゃな。近くでみたい」
「ほう、良い相をしておる」
「政宗、この小十郎の器量を見込んで、三春城をつかわそうと思うが、どうじゃ?」
「小十郎に、三春(領地)の領主にしてやろう。」
「働き次第での、十万石にもしてやろう。」
「二十万石……いや、三十万石にもしてやるぞ」
「どうじゃ、どうじゃ、政宗」
小十郎
「ありがたいお言葉にござりまする」
「されど、その儀はひらにご容赦を」
「ご無礼の段、なにとぞお許しくださりませ」※素早い動きで部屋の最後部まで下がる
「それがしは、先代・輝宗公より格別のお引き立てにより、姉ともども、傅役(もりやく)を仰せつかりました。」
「以来、十九年。及ばずながら伊達に奉公つかまつり、過分の処遇を賜っておりまする」
「小十郎は、伊達家に骨をうずめる覚悟にござりますれば、なにとぞ」
秀吉
「ほう・・この秀吉のために骨をうめるでなく、伊達のために骨を埋める。とそちは申すか」
小十郎
「恐れながら、今や伊達に奉公申す所以は、
殿下にご奉公申し上げるに他ならずと心得まする。一層の忠勤に励みますれば、なにとぞ」
「伊達家にて、無用と仰せられれば、
この小十郎、己の不忠を恥じて、ただちに割腹つかまつりまする」

このやりとりの間、政宗に類が及ばぬよう、
政宗が話さなくても良いように、小十郎が表に立って言葉を発する。
秀吉
「どうじゃ、どうじゃ、うん、わしが見込んだだけの男であろう」
「小十郎、そちの心根に免じて、これをつかわす(派手な羽織を投げつける)」
場を離れてから
政宗
「愚かな奴だ、せっかくの出世を棒に振りよって」
小十郎
「急がば回れと申しまする。
10年もたてば、関白殿の天下も去り、伊達家興隆の時節がまわってきましょう。
殿のご器量にすべてを委ね、大願成就を信じて、ご奉公いたしておりまする。
さればこそ、関白殿の誘いを退けたまでにござりまする」
「恩着せがましいぞ」
「いえ、決して」
「小十郎、ありていに申せば、わしは嬉しかった」
「もったいないお言葉」
「お前の忠義は、生涯忘れん」
・・・・実際、伊達家は、代々、片倉家を大切にし、今も残っている。
・・・・・
途中、秀吉の近習(石田三成)たちが、政宗と小十郎に浴びせた言葉が下記の通り。
「どうした、小十郎、御礼を申さぬか」
「慮外者!殿下の仰せを何と心得る」
「伊達殿に、遠慮いたしておるのか」
「伊達殿、何とか申されよ、そなたが許すと申せば、小十郎も納得するに違いない」
「主君の命に従わぬと申すか」
・・・・・
当時、中学三年の自分も将来、
「禄を食む」=つまりは、給料をもらう人間。となるであろう。そのとき、
「かくありたい」と、感じたシーンです。
・採用してもらった恩義に報いること。
・目先の金や地位で動かないこと。
・筋を通し、忠節を貫くこと。
その対極に、
秀吉の近習(石田三成など)の存在がある。
かく「なりたくない」と、強く感じる。
・虎の威を借るキツネ
・自分の実力を、親分の実力と勘違いして生きること
・親分の機嫌をとることでしか生きていない、太鼓持ち。になること。
このあと、
豊臣家は滅びる。
伊達家は、江戸・明治を生き残り、現代も続く。
どんな家臣が中枢にいたか。の違い
そこまでの歴史をも暗示した名シーンでした。
////
昭和と言われようが、化石と言われようが、本来、日本が日本である一要因である。
こうゆう教育も受けていない。知らない。知っていても他人事。。
新入スタッフに見せてほしい。感想を聞きたい。
2026年9月13日 19:42
晩年に近い政宗と家臣たちの対話シーンより

↓↓
わしは、齢50にして、ようやく悟った。
つまるところ、
人が、天下を選ぶのではない。
天下が、人を選ぶのだ。
わしに器量があれば、天下は向こうから転がり込む。
器量がなければ、致し方ない。
↑↑
一番店になりたい。と言って、目標を定めて、
一番店になるものではない。
一番店となるにふさわしい取り組み、振る舞いを行えば、
一番店の地位は、向こうから転がり込む。
同じことは、
近年、高校野球・甲子園の常連校でも言われています。
昔は「全国制覇」を目標に、練習に取り組んでいました。
現在は「日本一からの招待状」というテーマを設定し、
「招待状」を受け取るに相応しい日々の練習、日常を過ごそう。というチームが増えています。
自分たちが普段やっている日々、日常が、
「天」から愛されることなのか、
「お客様」「人」から愛されることなのか。
まず、そこを、きちんと見直して、整備したい。
もちろん、
このテーマ設定さえもが
「天下」や「一番店」や「利益」へのレール。
=戦略・戦術でもあるわけですが。
今、主流となりつつあるこの思考を、約40年も前に表現していることに、
「独眼竜政宗=原作者・山岡荘八」の偉大さを感じます。
私の一番店づくり支援の根底を作ってくれています。
2026年9月12日 19:00
虎哉和尚の名シーン、これをご紹介して、ラストにします。
敗戦して帰ってきた政宗に
「笑・とうとう、地獄を見られたか」
「殿のお心の中には、地獄があり、極楽がある」
「仏さまは、格別に殿を見込んで、地獄の入口をご披露くださった」
「引き返すことはできますまい。武将の道は、地獄への道じゃ」
「地獄を通らねば、極楽へは行けぬ」
「人を殺め、城を奪い、己も狙われ、裏切りにおののき、
悪夢にうなされ続ける、それが武将の宿命にござる」
「家督を返上されれば、楽になりまするぞ」
「いっそ、頭をまるめて、禅門に入られてはいかがかな。
極楽がぐんと近うなりまするぞ」
「そうは、参らぬ。ここで尻尾を巻いては武門の恥辱」
「政宗は、未来永劫、世間の嘲りを受けようぞ」
「ならば、地獄へ落ちるしかあるまい」
「地獄、地獄と申すな!」
「では、何が聞きたい」
「負け戦から、立ち直る手立てじゃ」
「いかにすれば、家中の信頼を取り戻し、蘆名に一矢報いることができるのか」
(ポン!)と手をたたく。
「左手が鳴ったか、それとも、右手が鳴ったか?」
「そこを、とくと考えられよ」
政宗は、挟み撃ちを考える。
「これからの戦は、八方に目を据え、天下の形勢をにらみつつ、
友軍と呼応して、かからねばなるまい」
////
「武将」は、
会社と社員の人生を背負って意思決定している「リーダー」と置き換えて良い。
「リーダーへの道は地獄への道」
「誰かの人生を左右し、顧客とシェアを奪いあい、
己もまた競争にさらされ、スタッフの裏切りにおののき、
決断の夜には安眠できぬ。それが、リーダーの宿命にござる。」
いっそ、責任と競争から降りますか??
それとも、地獄を通って、極楽を見ますか?
友軍と呼応することも大事な時代です。
2026年9月5日 19:42
初陣から帰ってきた政宗に
父・輝宗がこう質問する。
「敵の刃に囲まれて、そなたは、何を感じた?」
最初は、恐ろしくて、身がすくんだ。
しかし、太刀をあわせるうちに、心が澄みわたり、相手の姿が手に取るように見え、
斬るか斬られるかの瞬間が、醍醐味だった。
と夢中で(勇猛を褒めてもらえるだろうと)政宗が答える。

それに対して、輝宗はこう教える。
「外道じゃ」
「よいか、大将は、時に臆病でならなくてはならぬ」
「大将が首をとられたら、戦は負けじゃ」
「一家一族は根こそぎ倒される。それゆえ、最後まで死んではならぬ」
「家臣の柱となって、生き抜くことが務めじゃ」
「家臣の場合は、さにあらず、大将のために死ぬることが務めじゃ」
「喜んで相果てることに、忠節の意味がある」
「侍とは、そうしたものじゃ。大将と家来が死を挟んで、向かい合うておる」
↓現代に置き換えると。
経営者は、時に臆病でなくてはならぬ。
経営者が会社を潰せば、従業員の暮らしも、家族の暮らしも、根こそぎ失われる。
すべての従業員の柱となって、全体を見て、会社を守り抜くことが務めじゃ。
経営者が、好きな一部の仕事しかしないようでは、会社は潰れる。
従業員の場合は、さにあらず。
従業員は、その会社に自らの時間を捧げ、能力を尽くし、己の人生を賭ける。
自らの時間と力を差し出して、会社を支えるのじゃ。
現代の「侍」とは、そうしたものじゃ。
経営者と従業員とは、金を挟んで向かい合うておる。
金だけでつながった関係は、金で切れる。
「この会社を守る者」と「この会社に人生の一部を託す者」が、
互いの背中を預けておる。会社とは、そうしたものじゃ。
・・・・
経営者は、スペシャリストではダメ。
ゼネラリストであるべき。との原則を、輝宗は教えています。
スペシャリストとは、特定の狭い領域で高度な技術や知識を持つ人。
システムエンジニア、医師、弁護士。。コンサルタントもこれにあたります。
即戦力として評価されやすく、技術や知識で直接成果を出す。
ゼネラリストとは、部署や業務の垣根を越えて、幅広い知識や調整力を持つ人。
経営者、経営企画や管理職、総務など。
全体を俯瞰してチームをまとめて、正解のない問題に対して最適解を導く。
これは、経営のイロハです。
・・・・
輝宗を演じるのは、北大路欣也さん。
この目力と存在感よ・・・。
このドラマは、起用されている俳優陣も、特筆ものです。
また、それものちほど。
輝宗・欣也さんが言ってた、この言葉を、
のちのち経営の勉強をしたとき、思い出して、つながる。
ああ、こうゆうことを言ってたのかー、同じだなあと。
2026年8月8日 19:32
虎哉(こさい)和尚
演じるのは、名優・大滝秀治さん。
政宗の幼少期からの学問の師です。
ドラマに時折、登場して、政宗と対話し教訓を授けます。
放送の当時、私は、中学三年生。いわゆる思春期です。
親や先生からの教えは、ほとんどが潜在意識のなかに浸透、埋没。
顕在的な意識に、テレビにほんの一瞬しか登場していない
「独眼竜政宗」の面々が、ずっと生きています。
特に、虎哉(こさい)和尚の言葉は、生きています。
まるで、政宗と共に、自分が教えを受けているかのごとく、TVに入り込んでいたのだと思います。
(いわゆる「中二病」ですね)
今回の印象に残るシーンは。。
政宗の元服(成人式)にあたり、虎哉(こさい)和尚の寺での会話。
↓↓
「若、今日から、和尚は、若を大人に扱いまする」
「大人への鉗槌(けんつい)は厳しゅうございまするぞ」
「わかりました」
「何がわかったのだ?」
「そう簡単に、わかってはならぬ」
「若は、もっとへそ曲がりにならっしゃい」
ほっぺをつねり
「どうじゃ、痛いか?」
「痛かったら、「痛うない」と言わっしゃい」
「痛うない!」
「痛うなかったら「痛い」といわんか!」
「痛い」いや「痛うない!」
「どうじゃ、わしが憎いか?」
「憎うない!」
「それでよし」
「泣きたいときには、笑う」
「暑い折には、寒いと言い、寒い折には、暑いと言う」
「これが、へそまがり術の極意じゃ」
↑↑
この一連のやりとりです。
特に、最後のまとめ。
「泣きたいときには、笑う」
「暑い折には、寒いと言い、寒い折には、暑いと言う」
・・・・
・自らの感情を、安くオモテに出さない。
=感情をコントロールする=強固な意志で向かいあうこと。
・同調圧力(他からの評価「一般的」なるもの)に、自分の心を支配されないこと。
・常識。と思われていることを「本当にそうか?」と考えてみること。
・・・・

私が「ちょっと変わっている」と評価されることが多いのは、
おそらく、この人の「へそまがり術」のせいです。