2026年9月6日 19:19
輝宗・政宗父子に、悲劇が訪れる。
政宗は、自分を最も信頼してくれていた父を殺すことになるのです。
状況は、こうである。
政宗は、二本松に拠点を置く畠山義継を攻め、攻略に成功する。
義継は、政宗に降伏を申し出る。
政宗は、降伏を認める条件として、ほぼすべての所領を没収し、
家を維持できない状況にまで追い込もうとした。
なんとか取り計らってもらいたい、と、
義継は、宮森城に隠居していた輝宗を訪問して、泣きつく。
輝宗は「政宗に家督を譲っている。最終判断するのは、政宗である」と伝える。
帰り、城門まで送ってゆく途中で、
義継は、輝宗を拉致。二本松城へ連れ去ろうとする。
急報を聞いた政宗は、二本松の所領に入る直前で、一行に追いつく。
「父を顧みて、伊達の家名を汚すな!」
「政宗!伊達の統領は、そなたじゃ!」
「このままでは、末代までの恥だぞ」
「政宗!天下をとりとうないのか!」
「父もろとも、撃て!」
「ここじゃ、わしを撃て」
撃て、撃て、撃て、撃て、撃て ――政宗を演じる若き渡辺謙の苦悶の表情、名演技
(気は確かか・・政宗・・・) ――義継、銃弾の中、輝宗を刺す。

宮森城跡です。
(ここで拉致したのか・・・。突発的か、計画的か。。今は、誰もわからない)

輝宗と義継の最後の地、粟の巣古戦場。
「小規模な合戦ながらも、有名武将が二名同時に死ぬのは稀有な例」と、説明看板にある。

大河ドラマでは、
伊達領と二本松領との境となる、阿武隈川の河原での出来事でしたが、
今の阿武隈川からは、やや離れている場所が現場です。
もしかしたら、当時はこのあたりまで、川だったのかもしれません。
拉致現場の宮森城からは5~6km程度。拉致して歩くなら2時間は、かかるかな?
その間に、政宗が駆けつけ、追いついた。ということです。
・・・・・
もし自分ならば、
父から「撃て」と言われて、撃てるか?
息子に「撃て」と、言うことができるか?
撃たせることができるか?
子の立場なら、
いったん父を拉致させて、そのあと交渉。
となる可能性が高い。
私は、政宗の立場で、政宗のようにはできない。
でも、
息子に対しては「もろとも撃て」と言えるように。
そうゆう父にはなりたい。と思い、接しています。
そして、息子には、志と大義のために、父を撃てるようになってもらいたい。と。
現代において、ありえない状況。
と思われるかもしれません。が、そうゆう覚悟のもと、存在しています。
2026年8月29日 19:19
輝宗は、若手で能力に長けた家臣をつけたうえで、
政宗を後継者に。と考えている。
しかし、
聡明な(優等生タイプ)の政宗の弟を擁立しようとする旧勢力の家臣団との対立が深まる。
そこで、輝宗は、虎哉和尚に相談にゆく。
「家臣を納得せしめて、内乱を防ぎ、伊達の家名を保つ手だてはないものか」
「和尚の卓見をたまわりたい」
「坊主には、とんとわかりませぬ」
「武家の作法は、経文のどこにも書いておりませぬのでな」
「すると、殿は、あくまでも若をお世継ぎにと?」
「それが筋目でござる」
「日が昇れば、月は消える」
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」
「ま、こんなところですかな・笑」

このアドバイスで、
18歳の政宗に家督を譲る。輝宗41歳。
そして、相続から、半年後、
政宗は、東北地方の名門、最大最強の芦名家に戦いを挑む。
壮挙というべきか。
無謀と言うべきか。
・・・・
家督を相続後、
敗戦を重ねる政宗の処遇について。
母が、こう進言する。
「政宗が、まことの大将の器量を備えることができるようになるまで、
家督をお預かりなされては、いかがかと存じます」
輝宗は、こう答える。
「小賢しいことを申すな、それでは、さらに政宗が傷つくだけではないか」
「誰が、何と言おうと、伊達の統領は、政宗じゃ」
「一旦、隠居した者が、のこのこと、しゃしゃり出られるか!」
・・・・
若くから、実権を任せる。
一度、譲って、任せたからには、信じて見守り、従う。もう戻らない。
オーナー企業の後継の基本です。
2026年8月23日 19:35
幼少期から青年期の政宗に対する周囲からの評価は、
高いものではありませんでした。
片目を失明したことで、内向的で、引っ込み思案だった。
一方で、乱暴で危険な部分もあった。と言われています。
(弟のほうは、健康で聡明であった)
それでも、
父の輝宗は、政宗に英才教育を施し、18歳の政宗に家督を譲る。
同じような事例が、織田信長と父・信秀です。
奇行が多く「うつけ」と呼ばれ、評価の低かった信長を、信秀は一貫して嫡男として扱いました。
(政宗同様に、優秀な弟もいました)
「今、基準の優等生」ではなく、
「次の時代に必要な能力を持つ人間」
欠点の裏側にある未来の可能性。を、二人の父親は見出していました。
胆力、野心、人の心をまとめる力。革新性、独創性。
ここから、私が学んだことは、
どんな幼子であろうとも、
「自分と違う何か」を持っている人間である、それに敬意をもって、接すること。
「一般的な欠点も、長所の裏返し」とみること。
「世間が、周囲が、何と言おうと、彼を信じること」それがベースにあること。
父と子の絆。
とか、そうゆう感傷的なものではない。
家の死活問題、存続問題として、一人前に育てるため、
我が子に対して、父はどう接すべきか?
輝宗の政宗への接し方は、
私の子供への接し方のベースを作っています。
・・・・
普通の人が見るもの
・今、仕事、運動、勉強ができるか
・礼儀正しいか
・人当たりが良いか
・失敗が少ないか、言うことを聞くか・・・
父親が見るもの
・生き抜く胆力、突破力があるか
・人を引きつける力があるか
・大局を見られるか
・危機で決断できるか、行動できるか

若き日の政宗の居城のひとつ「小浜城」。
難攻不落の巨大城郭であったことがわかります。
(誰も来ない山中に一人で上る。クマが出ないか、さすがに、怖かった・・・)
2026年5月31日 19:07
今回は、扱われる「馬側」からも
「馬・優先主義」を見ておきたいと思います。
過去2回のブログは、
乗る側、管理する側からの視点のブログでした。
結論、
「自分を優先される主義」に甘えるな。
それに甘えると、
勝ち組(=もともと才能ある者)が、勝ち組で終わる。
もともと才能なき者は、ずっと、負けたままで終わる。
根拠は、以下の通り。
1980年代から1990年代の競馬界では、
デビュー前、安い価格で取引された馬も、成功することができていました。
オグリキャップ、タマモクロス、バンブーメモリー、スーパークリーク、
イナリワン、ナイスネイチャ、テイエムオペラオー、マヤノトップガン、サクラバクシンオー・・・
彼らはいずれも1000万円前後以下と推定される取引価格。
セリで売れ残って破格安値だったり、価格さえもつかず引き取られた馬たち。
でも、18億円~5億円を稼ぎ出し「名馬」としての名が残る。
一方、2000年代から2010年代、
安く買われたにも関わらず、活躍した馬で名前が思い浮かぶのは、
キタサンブラック、モーリス、メイショウドトウ。。くらい。
キタサンは、500万円以下が、18億円。圧倒的な資本効率を誇ります。
しかし、近年、安値から出世した「名馬」の数自体は、減っています。
これが、昔の「スパルタ」調教=鍛えて強くする。と、
今の「馬なり」調教=能力を引き出して強くする。の違いか?
その相関関係は不明。
しかし、事実は、上記の通りです。
同時に、
超高額で買ったのに、まったく活躍しない馬も、近年、増えました。
安値馬の活躍度、投資対効果の比較。
今昔について、
大きく明確な理由=相関関係は、実は、他にあります。
「血統と育成」の進化。それに伴う巨大化・画一化です。
・血統が良血(サンデーサイレンスからディープインパクト)に集中。
・生産から育成する牧場の企業化(社台&ノーザングループ等)
走る血統の馬が、設備の優れた牧場で英才教育を受けたのち、
調教師が運営する厩舎に預けられて、デビューする。
安い馬=つまり「走らない親」から「個人牧場」で、生まれた馬は、
その数自体も減り、逆転も起きにくい状況となっています。
このような背景に「馬・優先主義」は、抜群にマッチしました。
・・・・
馬は「どこに生まれたか」によって、
(今や、ほぼ全馬にサンデーサイレンスの血が流れています)
一生が、決まってしまう時代になったのです。
人間にも、今、「親ガチャ」という言葉があります。
似ているかもしれません。
優秀な両親(血統)のもとに生まれ、
良い家・食事・習慣・教育・友人に恵まれて育った人と、
そうでない人。普通の人。
「自分が優先される主義」は
「生まれ」が良い者に、大きな追い風になる。
「生まれ」が悪い者から、逆転のチャンスを奪う。
馬も人も同じ。
でも、人間には、この仕組みに、早く気づき、
「自分が優先される環境」に、甘んじることなく、
自主的に厳しく、外部からも猛特訓を受けることで、能力を高めて、
逆転を狙うチャンスがあります。
今回、言いたかったのは、そうゆうことです。

先日、初の女性G1騎手となった、今村聖奈騎手。
失敗もあったけど、こうして地方競馬場で力をつけ、晴れ舞台オークスでの勝利。
おめでとうございます。
(ちゃんと、成功を先読みして、写真を撮る・笑)
G1騎乗馬は「ジュウリョクピエロ」
近年、本当に珍しい、小さくても頑張っている個人牧場生まれて、
かつ、個人の馬主さんの所有馬。
購入価格は公開されていませんが・・・
おそらくそれほどの高値ではないはずの馬の勝利でした。
2026年5月24日 20:08
競馬も、そろそろラストに。
前述の国枝調教師と
双璧をなしていた名伯楽が、
2022年、定年で引退した「藤沢和雄」調教師でした。
国枝さんを上回る1500勝以上。歴代2位。
それまでの日本の競馬界の常識(=レースのムチや猛訓練、厳しい調教方法)を覆し、
「馬を大切に扱う」スタイルで、勝利を重ね、
現在の主流となる考え方や、
調教・運営方法も、決定的に定着させた調教師さん。
藤沢さんの有名な言葉があります。
「幸せな人間が、幸せな馬をつくる(Happy people make happy horses)」
牧場のご子息として生まれ、大学を卒業後、
1973年から4年間、競馬の本場・イギリスに、厩務員として留学。
日本で主流だった、スパルタ調教とは、
まったく異なる「馬も人もが、穏やかで楽しくいられる環境づくり」を
日本へ導入する原体験をする。
「Happy people make happy horses」は、
異国・イギリスでの修業に気負い、
難しい顔をしてピリピリしながら、馬に対応していた藤沢さんに、
同僚が教えた言葉だそうです。
イギリスでは、ホースマン自身が陽気で、
すれ違う人々と気軽に挨拶を交わすなど、笑顔でいられる環境がある。
そこから
「いつも笑っていられるような、幸せな状態にある人間こそが、、
幸せな馬、強い馬を育てることができる」という哲学の原型を学ぶ。
日本に帰国後、いくつかの厩舎を厩務員、調教助手として、回り、
野平祐二厩舎で、あの7冠の名馬「シンボリルドルフ」の調教助手として、
その主戦騎手、これも前述の「馬・優先主義」岡部幸雄に出会う。
ここで、点が線になった、確信に変わった(と、推察する)
1987年30代半ばで、調教師として、独立開業。
当時、ビシッと一杯に調教するのが、一般的だった時代に
「馬なり主体」調教=馬の気のままに走らせる調教。を行う。
「3頭併せ」調教=これまでの2頭での併せ調教に加えて、3頭を一緒に走らせる調教。を行う。
(群れで安心して走る、実戦に近い、能力や調子の比較ができる)
もちろん、当初、馬券を買う競馬ファンは、
「は???そんなゆるい調教で、勝てるわけないやろ」
「もっと、ビシッと一杯に仕上げんかい!ちゃんと気合いれろやー」
と、そんな感想を持っていました。(たぶん・・・)
一方で、
1992年、小さな牧場で生まれ、750万円の安値で取引された馬が、
栗東にできた「坂路」=坂道のトレーニングコースをフル活用した、スーパースパルタ調教で、
快進撃を続け、無敗でダービーを勝つ。
「サイボーグ」「坂路の申し子」という異名の「ミホノブルボン」と
ベテラン・戸山為雄調教師である。
藤沢さんもこの年から、シンコウラブリィという海外牝馬と岡部幸雄のコンビで、
勝ち続け、翌年G1をとる。
真っ黒の勝負服と、岡部幸雄が、かっこよかったー!
まさに、当時、対極的な存在でした。
藤沢調教師は、以降、勝利を重ね、通算1570勝。
功績をたたえた記念碑には「一勝より一生」という文字が刻まれています。
馬を育てるプロセスは、人間関係にも通じます。
「イライラした人は、馬を勝たせることができない、能力を発揮させることができない」
現代のビジネスや教育にも通じる普遍的な原則です。
↓↓
あくまでも走るのは馬だということ。そこを忘れてはいけない。
もっと本質を見抜くというか、馬の尊厳を大切にしないといかん。
馬たちが走ってくれるから厩舎の勝ち鞍も伸びていくし、GⅠを勝たせてもらっている。ついつい、目先の結果や数を使うことばかりを考えてしまいがち。
そうやって必要以上に強い調教をすれば、馬の大事な将来を駄目にしてしまう。
もちろん、競馬に耐えられるだけの調教をしなければならないところもあるんだけど、
走ることを苦しいと思わせてはいけない。
↑↑
インタビュー記事より。
馬をスタッフとして。
あるいは、スタッフからお客様へとして。置き換えてみてくださいませ。
馬と向き合うためには、まず人(スタッフや関係者、そして自分自身)が、
心身ともに満たされていることが不可欠だと考えていました。

パドックとの距離の近さが抜群の心地よさ
福島競馬場。