2021年3月27日 22:03
試験の全日程が、終了した日の夜、
「受験勉強、終戦、おつかれさま。
全体を通して、どうやった?」と、彼にラインしたら、
「人生、1番の敗北を経験したことが、1番の収穫」と、返ってきました。
私立大学3連勝のあと、
準備万端で臨んだ、国公立大学・前期試験での不合格の結果のことを
率直に受け止め「収穫」と、言ってきました!涙
その言葉を、本音で言える人間に成長できたことは、
どんな大学に合格するよりも、価値があるぞ!
俺は、そっちのほうが、はるかに嬉しい。
・・・「やることは全部やったから、悔いなし」くらいのことは、
言ってくるヤツだと思っていたが、その想像を超えていたな・・・
1敗から学ぶことは、
100勝から学ぶことよりも、深く、大きい。
世の中には「1敗」を経験したことを、
現在の成功の礎にしている人が、たくさんいる。
そして、「100勝」=順調に勝ち続けていたのに、
現在の停滞、没落を余儀なくされている人も、存在している。
また、「1敗」から、何も学ばない人が、
世の中の大多数である。
で、キミは
何を「収穫」したんだ??
聞かせてもらおうか!!
あと、もう少しの間だけ「コンサルティング」させて欲しい。
ヒヨコくんも、何度も真剣勝負の戦いを、経験し、
大空に羽ばたいているんだなあ!!笑
最終的には、
後期試験で、第一志望「崖っぷち」合格をつかんでいました。
気にかけていただいた皆さんからの「愛」も、
しっかり伝え、受け止め、力となっています。感謝です。
2021年3月14日 21:36
いわゆる「ドカタ」補助のアルバイトの内容は、
あわゆる建設資材の積み下ろし、穴掘り、
コンクリを作って、運んで、流し込む。
ショベルカー等、機材を使ってのアレコレ。
体力には、それなりの自信があるほうだったけど、
ジブリ爺さんの要領やスピードに、ついてゆけず、
社会では、高校生程度の体力は、通用しない無力さを痛感する、
でっかい槌で、家屋をバキバキに解体する仕事が、一番怖かった。
困ったのは、ジブリ爺さんとのコミュニケーション。。
「そこ、ハツれ」
「え?」
「ハツれ!」
「ハ??ツ??る???、え?」
大きな掘削機で、ドドドドッと、地面に穴をあけることを、
建設用語で「ハツる」と言います。
高校生相手にも、説明なんて、一切なし。
ジブリは、不機嫌になって、自分でやりはじめる。
「あ、わかりました!やります!」と言うと、
何も言わず、マシンを放り出して、別の場所に行ってしまう。
「それ、もんどけ!」
「もめ??」
「もめ!」
「え??(爺さんの肩??何を、もむんですか??)」
ビスなんかで、穴をあけることを「もむ」という。
ジブリは、言葉も何を言ってるか、わからないから、
何度も聞き直す。。笑
聞き直すと、不機嫌になるから、適当にやってると、
また、怒られる。。
もっとも、怒っていても、何を言ってるか、わからないのだけど、
雰囲気が悪いことは、確かである。
一番、楽な仕事は、廃材を燃やす「たき火」だったなあ。
面白いし、早く、燃やしたかったから、
調子に乗って、どんどん火を大きくして、
「原住民の祭り」のように、2階くらいまでの火の大きさにして、、、
怒られたことがある・笑
お金を得ることは、簡単ではない。
命がけである。我慢もしなければならない。
肉体と汗が噴き出る労働が、基本にある。
結果として、そんなことを身体で覚えることができた。
とても感謝している。
肉体労働せずに、お金を得る人間は、
脳ミソで、それ以上の「汗」をかかなきゃ、ならないのである。
深夜、ナレーションも何もナシで、
ひたすら、たき火を映している。。という番組に偶然遭遇し、はまっています。
原始時代から続く、本能に、働きかけているようです。
2021年2月14日 21:38
関西の人は、義経びいきで、
関東の人は、頼朝びいき。
就職してから、東日本の方と知り合うことが多くなり、
関東の人は「頼朝・支持派」が大多数であることに、驚いた。
関西では「悪者」である・笑。(あ、、東北でも「悪者」である)
義経は、京都から身を起こした、スター。
西日本を中心に、大活躍する。
平家を滅ぼした後、
最後、兄・頼朝に追われ、殺される。
「走狗、煮らる」のことわざの通りである。
正式には、
狡兎(こうと)死して、走狗(そうく)烹(に)らる。
中国の歴史書「史記」に出てくる故事成語である。
獲物のすばしっこいウサギがいなくなったら、
猟犬は、用がなくなって、煮られて、食べられる。
敵を滅ぼすために、功のあった家臣も、
敵がいなくなった後は、邪魔になって、殺される。
漢の時代・劉邦に仕えた軍事の天才・韓信もそうであった。
こちら、義経のカノジョ・静御前の生誕地と言われる場所。
ひなびた海の見える田舎にある。だーーーれも、来ない。
近くには、小さな集落があり、
岬のギリギリに「開墾」された畑と作業小屋がある。
(これって、昔で言うところの隠し田だよな~)なんて、思いながら、
ぼーーっと、眺める。
人の生活が、自然の風景の中に溶け込んで、一緒に見える場所。。
これが、私にとっての「絶景」です。
2021年2月6日 22:30
法律や契約に反さなくても、
やってはいけないことがある。
1億円積まれても、やらないこともある。
逆に、
ルールに反していても、やることがある。
損をしてでも、やること。がある。
所詮、
法律もお金も、人が作ったものである。
それを超えたところに、根本的な判断基準がある。
人の根本的な部分である。
船井幸雄会長は、それを
「良心に従って行動する」と言っていた。
私は、
自分のやっていることが、
恥ずかしいことではないか?
筋が通っているか?
その行動や発言を、
あとで、自分の家族、子供が知ったとして、恥ずかしくないか?
自分が同じことをされたら、どう感じるか?を基準にしている。
自分が一時的に、いい思いをしても、
必ず、倍になって、返ってくる。
自分の代で、うまく誤魔化せたとしたら、
子の代、孫の代で、そのツケを払うことになる。
かといって、
決して、聖人君子的な人間ではない。。
でも、Not a Goodman, but a Fineman 的ではあるはずだ。
赤い色の中の文字は「CANCEL 欠航」の文字。
緊急事態宣言下、誰もいなくなった空港を歩きながら・・・
ふーーと、なぜか、そんなことを考える。
「名こそ、惜しけれ」
武装農民を起源とする鎌倉武士=日本人たる所以の精神である。
そうゆうことも、大切にしてきたから、
こんな状況の中でも、ありがたいことに、仕事があるのだ。。と思いを新たにする。
2021年2月4日 22:25
ボクシング好きとなるきっかけは、
中学生のころ、お留守番中、
偶然「浜田剛史」の試合を観たことだった。
(・・・・これは、以前のブログにも書いているので、ご参照ください)
そのあと、中西少年、中学3年生のとき、
井岡弘樹が、当時、世界最速・18歳で、世界チャンピオンになる。
その井岡のトレーナーが、エディタウンゼントさんである。
18歳のチャンピオンと、外国人のお爺さんトレーナー。
世界を獲った後、井岡の初防衛戦。
エディさんは、病気にもかかわらず、車椅子で会場へ向かうも、
体調が急変し、病院へ運ばれる。
井岡は、そのことを知らないまま戦い、12回TKOで、なんとか初防衛に成功。
エディさんは、勝利の報告を受けたその夜、天国へ旅立つ。
まるで、映画のような現実に、心を熱くした。
数多くの日本人ボクサーを育てたエディさんの名言をご紹介。
「チャンピオンになれるか、なれないか。それは、ほんのちょっとの差」
人が練習を止めた時、もう少しだけ練習した奴、
苦しくて負けそうになった時、もう少しだけ頑張った奴だけが
チャンピオンになれる。
「負けたときが大事なの。勝ったときはいいの。
世界チャンピオンになったら、みんな喜んでリングに上がりますね。
でもボクならない。一番最後にリングに上がるの。
よかったね、おめでとう、というだけよ。
夜、ドンチャン騒ぎありますね。でもボク騒がない。
ナイスファイト、また明日ね、といって帰るの。
でも、負けたときは最後までいます。病院にも行くの。
ずっと一緒よ。それがトレーナーなの。わかります?」
選手を、愛情あふれる厳しさで、励まし育む人だった。