2020年12月20日 22:30
この時期、
12球団では、戦力外通告が本格化している。
毎年、戦力外の記事には、いつも見入ってしまう。
年末のTV番組「戦力外通告~クビを宣告された男たち」は、
何年も連続で観ている。私の年末の風物詩である・笑
自分に重ね合わせ、
今「戦力外」になっていないことに、束の間の安心を得る。
そして、これから「戦力外」にならないように、
ふんどしの紐を締める気持ちになり、新年を迎えるのである。
最近、ネットニュースに、
中日で21年間もプレーした、名選手・森野将彦さんが、
数多くの先輩・同僚・後輩を見て、
「戦力外になる短命選手の共通点」を挙げていたので、要点をまとめてみた。
↓↓
戦力外になる選手に共通するのは「逃げ」の姿勢である。
ひとつの事をやってられない。何かすぐに変えてみようとする。
探究心があるという見方もできるかもしれないけど、
結局、何かを極めようとしない。
壁にぶつかると、まず目先を変えてみる。
懸命な試行錯誤にも見える一方で、
それは、安易な「逃げ」につながる。
最初の3年で、どこまで基本の土台ができたかで決まる。
その後の4~6年目で、ある程度勝負できないと、早く終わる。
↑↑
「彼らの普段の練習を見ていれば、すぐわかる」とありました。
・・・・
これは、プロ野球の話だから・・・と、自分とつなげることができない人は、もうダメだ。
新しい世界へ入った人は、
ひとつの会社で3年間は、必須事項である。
その会社で、基本と仕事の1分野を極める。
社会的「戦力外」=収入が増えない人は、
会社も、職も、3年もたず、逃げる、
6年以内の勝負もせず、コロコロ変えるのである。
2020年12月19日 21:24
江夏投手の系譜。。
15年前、こんな本を買っていた。
取捨選択され、定数を維持されている、私の本棚に、まだ残っている。
ということは・・・
気になっている本で、
いつか、読み返そうとしているのである。
表紙には、
若かりし、江夏投手が、王選手から、
シーズン354個目の三振を奪い、日本最多記録を達成した瞬間の写真。
日本記録は「王から獲る」と公言していたそうである。
王に対して、毎回、力の直球勝負を挑んだため、
王から最も多く三振を奪った投手は江夏(57個)だが、
江夏から最も多く本塁打を放った打者も王(20本)である。
そして、無頼派。。として、
魅力的な野球選手の名前が、書き連ねられている。
「無頼」という言葉には、
定職につかないならず者。ごろつき。という意味がある。
一方で、戦後の文学界で、派閥に属さず、
人間臭さを作風とする文豪たち(太宰治、坂口安吾、織田作之助、石川淳)を
「無頼派」と呼ぶ。
その漢字が示す通り、「頼らず生きる」という意味がある。
組織や体制に、頼って生きるのではなく、
自力で実践的な工夫を凝らし、道を切り拓いてゆく、
自主自立の精神を示す言葉である。
私は、その「業」に対して、
真摯で、素直で、一途で、貪欲なプライドを持った「無頼派」を、
このうえなく愛している。
ちなみに・・・
アリス再結成時の曲「BURAI」は、お気に入りの1曲である。
ちなみに・・・
無頼派は、総理大臣とステーキ会食は、できない。
グレートな無頼派を目指そう!
2020年12月13日 21:34
昨日のブログの続き。
美しい三振を奪った側・江夏投手について・・・
大阪学院高校から、阪神に入団し、1年目から剛腕投手として、
巨人の王・長嶋に立ち向かい、
故障後は、投球術をもってリリーフに転向。
あの「江夏の21球」の他にも「オールスター9人連続三振」など、数々の伝説を持つ。
中西少年の記憶にあるのは、
我が近鉄バファローズの前に立ちはだかる、広島時代の江夏。
その後、すぐにパリーグにやってきた日本ハム時代の江夏である。
なんとも、とにかく憎たらしい存在であった。
球速は速くないはずなのに、、
なんだか、上から見下ろして投げて、抑えてしまうのだ。
※この時点で30歳である。。恐ろしいまでの風格が漂う・笑。
現役時代は、首脳陣やマスコミとの確執を取りざたされ、、
一匹狼と表現されたり、豪快で、太々しく描かれることが多い。
現役引退後は、覚せい剤使用、逮捕歴もある。
そうゆう不祥事があったから、
球団に首脳陣として、招かれることはない。
全国ネットのTV解説にも出ない(出してもらえない?)。
が、大阪ローカルの野球中継では、解説をしている。
解説は、とても、面白い。
論理的に、本質をズバズバ言ってくれる。
そして、
江夏さんは、解説のとき、どんな選手を呼ぶときも「○○君」と呼ぶのである。
聞いているイメージとは、全く異なる性格が垣間見える。
最近では、先日のブログの桑田さんも、解説のとき、選手を君付けにする。
ずいぶん以前、誰かのエッセイを読んだことがある。
いわゆる「コワモテ系のスポーツ選手」の発言を、
スポーツ新聞や週刊誌などマスコミは、
勝手に「ワシ」と、文章にすることが多い。
「この場面、ワシは、三振を狙ってアウトをとることしか頭になかった」とか
「ワシには、アイツの気持ちが、痛いほどわかるんや」とか。。
江夏豊は、その代表格である。
(最近では、、やはり、清原か・・・)
しかし、江夏さんは、自分のことを、ワシと呼ぶのだろうか??
投球や野球への姿勢を見る限り、そうゆう人物には、見えないし、
取材や文章でも、ワシを聞いたことはない。。という主旨のエッセイであった。
※
本当に一人称を「ワシ」と使っているのは、
以前のブログにも登場した、川藤さんくらいのものだ・笑
ここからは、私の想像の域。。
江夏さんは、野球に対して、真摯で、一途で、素直なんだろう。
鈴木啓示、藤本義一監督、村山実、王貞治、野村克也、衣笠幸夫、大野豊。。
一流選手との出会いによって、どんどん成長を見せる。
36歳で、単身アメリカに渡り、
メジャーリーグに挑戦するが、マイナー止まり。
そして、そのまま、引退する。
2020年12月12日 22:27
最近、何故だか、野球愛が、とまらない。。笑
ひとつ、ふたつ、続きますので、ご容赦を。
クライアント先のなかに、野球好きの社長がおられて、
必ず、コンサルティング中のうち1時間くらい「野球」の話になる。
晩年は「フィールド・オブ・ドリームス」のように、郊外に野球場を作り、
そこの管理人をして、過ごしたいそうである。。
何とも、ロマンチックで、羨ましい!
ロマンチックな「夢」の一部をお手伝いさせていただいていることに、
誇りとやりがいを感じて仕事をさせていただいています。
そんな話を聞いたせいか、野球の話が続く。。
先日「ホームランを打たれた、最も美しい写真」として、
2年生の桑田投手を、紹介しました。
今回は、打者の立場から、
「最も美しい三振の写真」について。
野球ファンの中で語られる、
「最も美しい」とされている三振写真は、こちら・・・・
長嶋さんの現役時代の三振である。
立教大学から、鳴り物入りで、巨人に入団。
ルーキーイヤーのデビュー戦、あの金田正一投手から、4打席連続三振を喫する。
しかし、金田さんは、長嶋さんの積極果敢さ・気迫・スイングスピードから、
この初対決のルーキーに「怖さ」と「可能性」を感じ取ったそうである。
失敗するにしても、
このくらい正々堂々、気迫を見せての、失敗したいものである。
部屋に飾っておきたくなるような「勇気をもらえる」1枚でもある。
しかし、長嶋さんの三振は、
かっこ良過ぎる・・・笑
私は、無念さが滲み出る、
情けないくらいの三振らしい三振が、良いのです。
そこで、推挙するのは、この三振。。
1979年の日本シリーズ第7戦、近鉄対広島。。
有名な「江夏の21球」の最期の打者・石渡茂さんの三振である。
スクイズを、カーブの握り・即時判断で外された、有名なシーンの後、
2アウト・2ストライクと追い込まれる。
しかし、ヒットが一本出れば、逆転もできる場面。
江夏のカーブに、絵にかいたような腰砕けの三振をしてしまう。。
近鉄ファンであった少年時代は、「カーーーッー!!」と、
見るのも嫌なシーンであったが、、
今は、とっても味わいある、ナンバーワンの三振だと思っている。
2020年12月6日 21:20
木内監督への追悼番組で、
1984年の夏、
取手二高に敗れたPL学園・桑田投手(桑田真澄さん)のコメントが流れていました。
取手二高の選手たちは、
三振したのに、なんで歯を見せて、笑って、許されるんだ??
グラウンドで、笑うなんて、PLの野球の常識では、許されなかった。。
そうゆう野球に衝撃を受けました。と。
実は、
この話には、
あまり知られていない裏話がある。
書き留めておきたい。
高校2年生の桑田投手は、決勝戦で、取手二高と対戦し、敗北する。
三振しても笑って、ベンチに帰る。
外野フライを打っただけで、大騒ぎで喜んでいる。
そんな野球に負けたことが、不思議でたまらず、
その年の秋、
PL学園の寮を抜け出して、
取手二高へ行ったのである。冒険心、好奇心もあっただろう。
PLでは密かに大騒ぎになったそうである。
茨城で、学校を見て、練習を見て、
選手の家に泊まり、親交を深める。
桑田は、振り返る。
「同じ山の頂点を目指すのにも、
色んなアプローチの方法があることを知った」と。
高校二年生にして、
この行動力と大胆さである。
後のプロ野球での活躍も、うなずける。
故・野村克也監督は、
以前、桑田投手をこう評していた。
「この人は、どこを切ってもプロ。プロ中のプロ」と。
ちなみに・・・桑田投手が、
1984年、夏の甲子園で決勝ホームランを打たれたこの写真。。
私は、投手が打たれた写真のなかで、
もっとも印象に残る、美しい1枚だ。。と思っている。