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2021年。。恩返し&倍返しだ!!

新年、あけまして、おめでとうございます。
本年も、よろしくお願いたします。

昨年は、未曾有の危機が全世界を席巻しました。
このようなときこそ、
コンサルタントの本領・真価を発揮するとき!と、
これまで以上に、クライアント様のために、できる限りの動きをしてきました。

その結果、クリーニング業界においての
2021年の平均累計数字が、マイナス25%であるのに対して、
マイナス10%程度~昨対キープの成績持ちこたえていただき、
利益も残していただいてるクライアント様が、多数存在しています。
これは、私の大きな自信と励みになりました。本当に、感謝しかありません。

一方で、残念ながら、
業界平均値に、ややプラス程度の実績しか残せなかったクライアント様も、存在しています。
もちろん、商圏状況や、売上構造、ご契約からの経過年数にも、よりますが、
大きな違いは
「実施すべき施策を、現場でどれほど濃く実施していただいているか?」ということにありそうです。

コロナ渦中で勝ち残るためにも、
コロナ明けの反転攻勢に向けても、
さらにレベルアップしたご提案を行いますので、本年もよろしくお願いいたします。

・・・・

三菱UFJ銀行の頭取が、リアル半沢氏になったことですし・・・
恩返しと、倍返しで、臨みたいと思います。


真摯、素直、一途、貪欲なプライドを持った「無頼派」

江夏投手の系譜。。
15年前、こんな本を買っていた。

取捨選択され、定数を維持されている、私の本棚に、まだ残っている。
ということは・・・
気になっている本で、
いつか、読み返そうとしているのである。

表紙には、
若かりし、江夏投手が、王選手から、
シーズン354個目の三振を奪い、日本最多記録を達成した瞬間の写真。
日本記録は「王から獲る」と公言していたそうである。

王に対して、毎回、力の直球勝負を挑んだため、
王から最も多く三振を奪った投手は江夏(57個)だが、
江夏から最も多く本塁打を放った打者も王(20本)である。

そして、無頼派。。として、
魅力的な野球選手の名前が、書き連ねられている。

「無頼」という言葉には、
定職につかないならず者。ごろつき。という意味がある。

一方で、戦後の文学界で、派閥に属さず、
人間臭さを作風とする文豪たち(太宰治、坂口安吾、織田作之助、石川淳)を
「無頼派」と呼ぶ。

その漢字が示す通り、「頼らず生きる」という意味がある。
組織や体制に、頼って生きるのではなく、
自力で実践的な工夫を凝らし、道を切り拓いてゆく、
自主自立の精神を示す言葉である。

私は、その「業」に対して、
真摯で、素直で、一途で、貪欲なプライドを持った「無頼派」を、
このうえなく愛している。

ちなみに・・・
アリス再結成時の曲「BURAI」は、お気に入りの1曲である。

ちなみに・・・
無頼派は、総理大臣とステーキ会食は、できない。

グレートな無頼派を目指そう!


江夏豊の残像と今

昨日のブログの続き。
美しい三振を奪った側・江夏投手について・・・

大阪学院高校から、阪神に入団し、1年目から剛腕投手として、
巨人の王・長嶋に立ち向かい、
故障後は、投球術をもってリリーフに転向。
あの「江夏の21球」の他にも「オールスター9人連続三振」など、数々の伝説を持つ。

中西少年の記憶にあるのは、
我が近鉄バファローズの前に立ちはだかる、広島時代の江夏。
その後、すぐにパリーグにやってきた日本ハム時代の江夏である。
なんとも、とにかく憎たらしい存在であった。

球速は速くないはずなのに、、
なんだか、上から見下ろして投げて、抑えてしまうのだ。

※この時点で30歳である。。恐ろしいまでの風格が漂う・笑。

現役時代は、首脳陣やマスコミとの確執を取りざたされ、、
一匹狼と表現されたり、豪快で、太々しく描かれることが多い。
現役引退後は、覚せい剤使用、逮捕歴もある。

そうゆう不祥事があったから、
球団に首脳陣として、招かれることはない。
全国ネットのTV解説にも出ない(出してもらえない?)。

が、大阪ローカルの野球中継では、解説をしている。
解説は、とても、面白い。
論理的に、本質をズバズバ言ってくれる。

そして、
江夏さんは、解説のとき、どんな選手を呼ぶときも「○○君」と呼ぶのである。
聞いているイメージとは、全く異なる性格が垣間見える。

最近では、先日のブログの桑田さんも、解説のとき、選手を君付けにする。

ずいぶん以前、誰かのエッセイを読んだことがある。
いわゆる「コワモテ系のスポーツ選手」の発言を、
スポーツ新聞や週刊誌などマスコミは、
勝手に「ワシ」と、文章にすることが多い。
「この場面、ワシは、三振を狙ってアウトをとることしか頭になかった」とか
「ワシには、アイツの気持ちが、痛いほどわかるんや」とか。。
江夏豊は、その代表格である。
(最近では、、やはり、清原か・・・)

しかし、江夏さんは、自分のことを、ワシと呼ぶのだろうか??
投球や野球への姿勢を見る限り、そうゆう人物には、見えないし、
取材や文章でも、ワシを聞いたことはない。。という主旨のエッセイであった。


本当に一人称を「ワシ」と使っているのは、
以前のブログにも登場した、川藤さんくらいのものだ・笑

ここからは、私の想像の域。。
江夏さんは、野球に対して、真摯で、一途で、素直なんだろう。
鈴木啓示、藤本義一監督、村山実、王貞治、野村克也、衣笠幸夫、大野豊。。
一流選手との出会いによって、どんどん成長を見せる。

36歳で、単身アメリカに渡り、
メジャーリーグに挑戦するが、マイナー止まり。
そして、そのまま、引退する。


冒険心、好奇心=プロ(桑田投手、高校2年の旅)

木内監督への追悼番組で、
1984年の夏、
取手二高に敗れたPL学園・桑田投手(桑田真澄さん)のコメントが流れていました。

取手二高の選手たちは、
三振したのに、なんで歯を見せて、笑って、許されるんだ??
グラウンドで、笑うなんて、PLの野球の常識では、許されなかった。。
そうゆう野球に衝撃を受けました。と。

実は、
この話には、
あまり知られていない裏話がある。
書き留めておきたい。

高校2年生の桑田投手は、決勝戦で、取手二高と対戦し、敗北する。
三振しても笑って、ベンチに帰る。
外野フライを打っただけで、大騒ぎで喜んでいる。
そんな野球に負けたことが、不思議でたまらず、
その年の秋、
PL学園の寮を抜け出して、
取手二高へ行ったのである。冒険心、好奇心もあっただろう。
PLでは密かに大騒ぎになったそうである。

茨城で、学校を見て、練習を見て、
選手の家に泊まり、親交を深める。

桑田は、振り返る。
「同じ山の頂点を目指すのにも、
色んなアプローチの方法があることを知った」と。

高校二年生にして、
この行動力と大胆さである。
後のプロ野球での活躍も、うなずける。

故・野村克也監督は、
以前、桑田投手をこう評していた。
「この人は、どこを切ってもプロ。プロ中のプロ」と。

ちなみに・・・桑田投手が、
1984年、夏の甲子園で決勝ホームランを打たれたこの写真。。

私は、投手が打たれた写真のなかで、
もっとも印象に残る、美しい1枚だ。。と思っている。


マジックの根本にあるものは「3つの好き」と、日ごろの積み重ね

注目したきっかけは、
ほんの些細なことであった。

「この監督、オッチャン(=父の兄)に、似ている」
少年のころの夏休み、
高校野球中継を見ていたとき、ふと、そう思って、口にした。
親戚一同、納得してくれた・笑

それが、その年、
桑田・清原のPL学園を破り、優勝した取手二高、
翌年から常総学院の監督となる、木内幸男監督であった。

小学生のときに所属していたソフトボールチームの
ブルーのユニホームの高校が好きだった。
「横浜商業」や「岡山南」その系統のブルーのユニホームの
「取手二高」の監督でもあるから、愛着がわいた。

言うに及ばぬ「木内マジック」とスマイル&親しみある茨木弁。
(もちろん、それは甲子園の試合での話。練習では、怒号と罵倒の嵐である)

常人では、思いもつかない奇策を「根拠のもと」実行する。
・好投手相手に、バント作戦なしの強振策で、点をとる。
・先発メンバーの大半を、レギュラー選手でなく、控え選手に入れ替える。
・この回の攻撃は、三者凡退でいい、すぐに終わらせろ。という謎の指示。。。

「指揮官にとって最も必要なことは、部下を知ること。
全国で一番長くグラウンドにいるのは、オレだと思ってやってきた」
そこにマジックの根拠がある。

そして、
監督を引退する会見のときの言葉と表情を、
今でも覚えている。
確か、、「どうしてここまで続けることができたのですか?」という記者の質問に、
「子供が好き、野球が好き、、(ひと呼吸おいて)勝つことが好き(ニヤリ)」
と答えていました。

自分に重ね、共感する。
「クライアントが好き、コンサルティングが好き、、・・・勝つことが好き(ニヤリ)」

この3つが、大好き。であるがゆえ、
考え抜いた末「マジック」が生まれる。

甲子園通算22回出場、40勝19敗、全国優勝3回。
名監督のご冥福をお祈りします。

皆さんは、
「スタッフが好き、クリーニングが好き、、・・・勝つことが好き」ですか??





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