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許可を求めるな、謝罪せよ

タイトルの原則。。
クリーニング業界では、
色褪せにくい、高品質な看板用のカッティングシート
(そして、やはり、それなりのお値段・・・)で、有名な「スリーエム社」の社是にあります。

もう少しわかりやすく言えば
「許可をとるより、謝罪したほうが簡単だ」という原則。

物事を実行するとき、
許可をもらうために、アレコレ時間をかけて、各方面の調整、許可を待つよりも、
まずは、やってみる。
うまくいかなくても、後から謝り、改良すれば良い。
そちらのほうが、物事がササッと効率的に進む。。ということです。

これから、一番店を追い越そう!という会社、
特に、そうゆう会社の幹部には、絶対必要な精神です!

幹部が実行する場合の、3つの注意点があります。
1)大将(社長、上司)の意図を汲む、
2)私心がない、
3)全体の流れを考えている。


機転の利いた「笑い」が、明るい方向に向かわせる

大阪での地震。。
たくさんのお気遣いの言葉をいただき、ありがとうございました!
スタッフも全員、大きな被害を受けることなく、
翌日より、通常業務です。

私は、出張中、電車の中に閉じ込められ、
携帯メール・SNS等で、スタッフと「本日休業」のやりとりをしたのち、
ソワソワ(おしっこしたくなったら、どうしよ・・って)しながら、
パソコンで、仕事をしていました。

2時間後、電車の中から、解放。
線路の上を歩いて、一般道へ。

各方面から、労いや、お気遣い、お見舞い、の言葉をいただくなか、
異彩を放つ、名文句に出会えました!笑

その日、お伺いするはずだったご支援先に、
ご迷惑をおかけしたお詫びと、状況報告、今後の対応の電話をする。
「今、車内から解放されました。線路の上を歩いて、駅に向かっています・・・」

「スタンドバイミーみたいなこと、やっとるんかい!」

機転の利いた「笑い」は、
状況を一気に、明るい方向に向かわせてくれる。

こうゆうときには「気持ちに寄り添ったお見舞い」を求める。。。という方もいるのでしょうが、
私が、「こっち系」が、好きなことを知っていて、
励ましとなる言葉をかけてくれたのでしょう。

解放されたとき、記念に・・・と、閉じ込められた乗客が、停まった電車や人の列を撮るなか、
一人だけ違う方向=誰もいない線路にシャッターを向け撮った写真と、
見事に一致してるのが、その証拠でしょ?

逆境でも、幸運がたくさんな「星」のもとに生まれてきている。。と、
自分のことを再認識できた1日でした。


能力を高める目的とは?

「勉強をすればするほど、
経験を積めば積むほど、人間性が悪くなってゆく、自分がいる。
知識や成功と、人間性って、比例しにくいものですよね。」

ふと、こんなことを漏らした
ご支援先の幹部さんがいる。

これには、まったく、同感です。

勉学の知識や、経営の経験、技術が高まることが
品性・性格が良くなってゆくことと、必ずしも一致しない。

特に、経営者は、厳しい世界で生きている。
ライバル相手と戦うには、勝てる作戦を考えなくてはいけない。

スタッフの能力を引き出すと同時に、
不正をする卑劣なスタッフがいると、
それを上回る「ズルさ」の知識がなければ、防止策は出てこない。
知っていても、知らないふりで、
ニコニコながら、行使しないようにするのも、性格としては「悪い」部類になるだろう。

お客様の要望は、
ライフサイクルの進化とともに、厳しくなってゆき、
それにも対応しなければならない。

現実の世界で生き残るために、
学ぶこと、知ることは、「良いこと」ばかりではない。
どちらかと言えば「良くないこと」に、巡り合うことのほうが多い。

性悪説的な人間の本性に、
数多く遭遇すれば、
それに対応する術を学習し、身につけようとするから、
当然、冒頭のような感想を持つに至る。

この幹部さんは、それのことに気づいているから、素晴らしい!
普通の人は、気づかない。

そこで、
これまでのブログの中江藤樹の言葉を引用したい。

「それ学問は心の汚れを清め、身の行ないを良くするを以て本実とす」

「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、
まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、
高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、
只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、
おほくするほど心だて行儀あしくなれり」

なぜ、勉強するのか?
それは、「身の行いを良くするため」である。

とある宿泊施設の書棚。。読んだことのある本がたくさん・・・重なってる!
シンパシーを感じます。


北浜聖人

そういえば・・・
当社にも、
困っている人を助け、私に「道」を教えてくれる
聖人・スタッフがいる。

そのスタッフは、会社の備品を買うために、
歩いて3分ほどのドラッグストアに買い物に行ってくれた。

事務所に帰ってきて、
お釣りを数円分、多くもらっていることに気づいた。

彼女は、
「数円でも、レジがあわないとスタッフさんが困るだろうから」と言って
相手が、間違って渡したお釣りを、わざわざ、また歩いて、返しに行った。

当然、相手にとても喜ばれたそうだ。

ちなみに、私は、釣銭が多いことを聞かされたとき、
「ええんちゃう?もらっておけば??」と、彼女に言った。
(お恥ずかしい!)

私の根底には、
「相手が間違ったものだ。こちらが、わざわざ返しに行く必要があるか?」
「自分が動いた時間の人件費を考えれば、こちらのほうが高くつくじゃないか?」
経済性のみを優先した、ダメ人間の発言。。
彼女の言動に、ハッ!と気づかされたものです。


北浜聖人。
美味しいコーヒーと、スイーツ。
爽やかな景色に囲まれて、事務所にいます。


「道」を教えなければ、繁栄はない

近江聖人・中江藤樹は、日本における陽明学の先駆者。
陽明学は「知行合一」を唱える学派。
知っていることを、実行してこそ、学問の価値がある。という思想です。

有名なエピソードを、ひとつ。

ある武士が、藩から預かっていた大金を、旅の途中でなくしてしまった。
慌てて、心あたりを探したが、見つからない。
「藩のお金を紛失したとあっては、自分の命だけでは済まされない・・・」と、
途方に暮れていると、その宿を、馬子が訪ねてきた。
馬の鞍についたままになっていた財布に気づき、
「持ち主は、今頃、困っているだろう」と、わざわざ、道を戻って、届けにきたという。
武士の側が、感謝の気持ちに・・・と、礼金を渡そうとするが、馬子は受け取らない。
「あなたは、一体、どうゆう人ですか?」と聞けば、
「ただの馬子です。家の近所に中江藤樹という先生がいて、そこで教えてもらっていることを、実践しただけです」
「人のものを盗ってはいけません。傷つけてはいけません。困っている人がいれば助けましょう。
ということを思い出しました」と。

 
「落とし物」が、自分のもとに返ってくる確率は、
日本は外国に比べて、圧倒的に高い。
外国から来た人や、海外暮らしが長い人から、こんな感想を良く聞かされる。

正確なデータは、調べていないので、よくわかりませんが、
そうゆう傾向は、あるのかもしれない。

売上も利益も仕事も、人が行うこと。
人が、こうゆう「古くからある定石。当たり前で、普通のこと」=「人の道」を、
再認識できるといいな。

中江藤樹、曰く
「家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。
子孫に道をおしへずして、子孫の繁昌をもとむるは、足なくて行くことを願うに等し」

家は、会社。
子孫は、後継者やスタッフさん。。と置き換ることができますね。

 
「道」を教える。。
そんなこと、教えなきゃならないのかーー。教えなきゃならないんだろうな。。

このようになりたいものです。





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