2017年8月13日 22:23
新しい事務所に移る、
ということは、古い事務所を、出てゆくことになります。
出店や退店を、間近で見ていて感じるのは、
出店のときには、誰でも簡単に、嬉々として契約や準備をすることができる。
しかし、退店のときは、難しい。
少しでも会社にふりかかるダメージ=撤去費用の負担を少なくしたい・・・と考える
「本気」の幹部にとっての「撤退戦」は、
非常なパワー、人間性とテクニックが必要となります。
「契約書の通り、原状復帰でお願いします」との「当然」の大家側の意向に対して、
その道理を曲げて、撤退交渉を行うのですから。
これが「サラリーマン」社員だと、
「かかるものは仕方ない。契約だから。
穏便にお金を払って、はい、おしまい!」となる。
こんな人間は、絶対に幹部にしてはいけない。
いや、会社にすら入れてはいけないかもしれない。給料を払ってはいけない。
戦国~江戸期、
城を明け渡すときの「見事さ」は、その家の後々の語り草となる。
キレイに掃除して、次の城主に明け渡すもの。

私自身、事務所の引っ越しには、多く関われなかったけれども、
荷物も運び出し、見事にピカピカに磨き上げられた旧事務所を訪れて、
「あー、素晴らしいスタッフに恵まれているなー」と、感謝の気持ちを新たにしました。
※
「撤退戦」のコツは、オーナー側に、
少しでも早く、良い条件で、次の持ち主が見つかるよう、
共に努力・協力する姿勢を見せること。。。と理解しました。
2017年7月30日 21:39
「中西さん、日焼けしていませんか?黒くなっていますよね?」
「どこか、遊びに行ってきました?」
いえ・・・残念ながら
これ、、、コンサルティングの「現場焼け」です。
店舗に行って、外観のチェックをする。
看板やポスターの見え方を確認する。
ライバル店の店頭を、視察する。
出店候補地を見ながら、歩き回る。。
机上の計算やデザイン、研修だけでは、
真の「答え」や「仮説」は見えてきません。
まさにドラマの台詞「答えは現場にあるんだ!」

真夏の空に向かって、突き立つのは、
「スタッフ(箱尺)」という測量計器。看板の見え方を測っています。
携帯電話を片手に、行ったり、来たりしながら、
高さを変え、位置を変え、
どう見せるのが一番、効果的なのか?
看板のサイズと位置を、確定させてゆきます。
炎天下のなか、汗をダラダラかいて、
そんなことをやっています。
「日焼け」は、「現場主義」の勲章だ!
苦しくても、大変でも、面倒でも、、
そうしたほうが売上が上がるし、
そんなコンサルタントのほうが、かっこいいんだ!
・・・と思うから、こうしています。
※
肌は、黒いですが、、
腹の中は・・・「純白」!
ご支援先の敵と相対した時や、火の粉が降りかかってきたときだけ、
手段として「黒く」なります(笑)
2017年7月22日 21:22

これから勝ち残るクリーニング店は
「テーマパーク型・クリーニング店」である。
そのように、
勉強会やクライアント先で、お伝えさせていただいていたところ・・・
ご支援先の幹部さんが、こんなハサミをご用意してくれました!
詳しい「テーマパーク型・クリーニング店」の本質的な意味は、
今年2月に開催された勉強会のDVDをご覧くださいませ。
2017年7月2日 21:42
数回に渡った「源平ブログ」は、ここらで終了。
経営者、幹部、仕事に関わる全ての人が、
忘れてはならない、原理原則を書き留めて、終わりたい。
平家物語の冒頭の文章。
↓↓
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。
おごれる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もついにはほろびぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。
↑↑
小学生だか、中学生のころ、
学校の宿題で、泣く泣く、暗記させられたことを思い出します。
「盛者必衰」「おごれる人も久しからず」
「猛き者もついには滅びぬ」・・・
今、好調な会社は、寸分の油断もなきように。
今は、強敵がいて、辛抱しどころの会社は、逆転のチャンスが巡ってくることを。。
歴史が教える原理原則に基づき、
心にとめておきたいものです
。
2017年7月1日 22:16
先日のブログの続き・・・のようなこと。
歴史を知れば、人のことがわかるし、
自分を相対化して、観る、生きることに活かせる。
特に、
男子は、知っておくべきだろうことが、あとひとつ。
どんな歴史上の人物も
「どんなことをしたか」と同じくらい
「最期がどうであったか?」が、印象に残り、評価を決める。ということ。
先日の源平時代で言えば、、、
義経は、奥州で庇護されていた藤原泰衡に攻められ、
少人数で最期まで戦い、小さな館で自害する。
義経を守って、弁慶は「仁王立ち」で、最期を迎える。
頼朝の命令で、義経を討ち取った、藤原泰衡は、
たった3か月後、頼朝の大軍に攻められ、挙句、家臣に裏切られて、死ぬ。
泰衡の「首」は、今でも「首を入れた桶」とともに、
奥州平泉に保存されていて、胸の奥に迫るリアリティがある。
泰衡を裏切った家臣は、その首を持って頼朝のもとに行くが
「主を裏切った不義理者」と、逆に斬首される。
頼朝の父・義朝も、家臣に裏切られて殺されている。
平家との戦いに敗れ、逃れる途中、風呂場で。
「木刀の一本でもあれば!」との言葉を残したと言われる豪傑。
その家臣は、罪を許されて、頼朝のもとで働いていたけど、、
平家を打倒したのち、その当時の罪を問われて、殺される。
頼朝は、落馬が原因で、命を落としたとされている。
(妻方の実家・北条氏の陰謀の可能性が高い)
一方、平家に目を移すと・・・
清盛は、61歳で熱病に倒れ「頼朝の首を墓前に供えよ」と言い残し、死ぬ。
幼かった頼朝・義経の兄弟を殺さず、情けをかけて生かしておいたのに、
その恩を忘れ、反乱を起こしたことへの恨みと後悔。
平家の一族は、山口県・壇ノ浦で滅亡する。
船の戦いだったので、海の中に投身して、死ぬのですが・・・3つに分類される。
A<勇猛果敢な最期>
平知盛は「遺体が浮いて相手方にさらされぬように」と、船の碇を体に巻いて、海に身を投じる。
平教経は、義経を追い詰め、散々暴れたあと、敵方の武将2人を脇に抱えて、海に沈む。
B<普通の最期>
大多数の平家一門は、海に身を投げて死ぬ。
C<恥ずかしい最期>
棟梁である平宗盛は、海に飛び込んだが、死ぬのが怖くなり、
泳いでいたところを生け捕りされる。頼朝のもとに送られ、
助命を嘆願したが、殺される。
信長も、秀吉も、家康も、
真田幸村も、石田光成も、
西郷も、龍馬も、山本五十六も、犬養毅も、白洲次郎も・・・。
歴史をみれば、
「何をしたか」と同等レベルで
「どう終わったか?」は、語り継がれて残る。

写真は、浜松にて。
三方が原の戦いで、危機に瀕した家康を逃がし、
身代わりとなって死んだ家臣・夏目吉信の顕彰碑。
無名の武将でも、こうして名が残る。
最期、
正々堂々、立派であったか、
卑怯であったか?
それぞれ後世への語られ方、その末路。
これらを知れば、自ずから
「自分の最期」を、常に意識しながら、生きるようになってきます。