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「屋」と「家」に関する私的見解・・・洗濯家の夢

サントリーのビール
「醸造家の夢~マスターズドリーム~」
効率や生産性ではなく、ただうまさだけを追い求めた・・・とあります。
クリーニング経営コンサルタント中西正人(洗濯屋から洗濯家へ)
市販のビールの2倍以上の価格。

どうでしょうか?
「洗濯家の夢~クリーナーズドリーム」を、作ってみませんか?

ところで、、、
「なんとか家」と「なんとか屋」には、
ニュアンスに、微妙な違いがありますよね。

わかりやすい例で、言えば・・・「政治家」と「政治屋」
政治家statesman・・政治で、政治の本来の目的を究める人
政治屋politician・・政治で、お金を儲けて商売する人

この場合、「屋」のほうは、少し揶揄して、使われています。

職業をあらわす呼称で、主に「家」が使われているのは、
作家
画家
音楽家
歴史家
小説家
教育家
脚本家
・・・
カッコイイけど(どうやって食ってるんだろ?)というイメージがつきまとう。

対して「屋」が使われているのは、、
花屋
魚屋
酒屋
パン屋
仏壇屋
葬儀屋
・・・
越後屋・笑
・・・若干、悪そうなのである・・・。

完全なる私見ですが、、
「家」とは、専門的に「深く」ひとつの道を究める人。
「屋」とは、大衆向けに「広く」商いの道を究める人。

やっぱり「広く」「深く」、いかなきゃならない・・・と思うのです。

まずは、完璧に「屋」に徹する。
自分や家族が、食べないとね~。カッコ良くても、迷惑かけちゃ駄目ですよね。
でも、ずっと、それだけを追及していると「尊敬」はされない。
どこかの段階で「家」の要素
・・・業そのもの本来の目的に、真摯に取り組む。。ということも必要なのでしょう。

サントリーさんだって、
スタートから「醸造家」じゃないですもんね。
元の社名は「寿屋」と言い、
量産品の赤玉ポートワインを売るワイン屋さんからのスタートです。


日本人とは何か?②「名こそ惜しけれ」

司馬さんは、
日本人を知るうえで「武士」の存在も挙げています。
武士を「人間の芸術品」と呼んでいます。
クリーニング経営コンサルタント中西正人(日本人とは何か)
明治以降、飛躍的なスピードで先進国の仲間入りができた、その理由は
「汚職しなかったこと」
「公の意識が、横溢していたこと」
これを“痛々しいほどに清潔であった”と、表現しています。

このような高い倫理観は「武士」に由来している。

「名こそ、惜しけれ」という精神。
名を汚すようなことはしない。恥ずかしいことはするな。
これが、武士の価値観。

鎌倉時代、武士が初めて政権を獲得しました。
武士とは、貴族による律令制から、地方へ逃げ出して、
自ら農地を開墾した「百姓」が、武装化したもの。

素朴なリアリズムに裏打ちされた「百姓の政権・鎌倉幕府」により
自分の土地を認めてもらった恩義に対する
「名こそ、惜しけれ」の精神。

「名前を汚すような、恥ずかしいことをしてはならない」
「公のために、働く」
これも、日本人が日本人たる所以。

所属する会社や組織であり、
会社を信じて依頼をいただけるお客様であり、
身を置く業界であり、地域であり、
ひいては、日本全体へとつながる
「公」への奉仕と「名こそ惜しけれ」の精神。

司馬さんは、
書籍の中に「今でも、一部の清々しい日本人にみられる・・・」と記しています。
その一部に入っているだろうか。。


日本人とは何か?①「外から取り入れ、アレンジする」

クリーニング経営コンサルタント中西正人(東求堂)
最近「価値観」について、考えています。

そもそも「日本人とは、何者なのか?」ということを、
司馬遼太郎さんの史観から、引用したい。

島国に生まれた日本人は、
「素晴らしいもの」は、他からやってくると信じていた。
古くは大陸から。明治維新以降は西洋から。
外への「好奇心」でもって、それを取り入れてきた。

神道も、仏教も、キリスト教も、受け入れる。それぞれの価値を認める。
「一神教的価値」を持たない民族である。
それは、元々、日本に「八百万(やおよろず)の神」という価値観があったからである。
自然物そのものを信仰し、山にも、岩にも、川にも、草木にも、神が宿るから、全ての神様を立てなければならない。
それによる「無思想」という思想で、
何でも柔軟に取り入れてきた。

外国からの文化を、取り入れるだけでなく、日本独自の形へと工夫を重ねる。
室町時代に代表される「枯山水」は、
外来の庭園文化の池や水を、砂で表現したもの。
住居は、書院造、床の間、障子、襖、畳。茶道も華道も、独自の文化となった。

つまりは、
「良いものを、柔軟に、外から興味と敬意を持って取り入れること」
「さらに良く使えるように、自分なりに工夫してアジャストさせること」
これが、日本人の特質である。


育った環境と価値観

クリーニング経営コンサルタント中西正人(地下のカフェ)
気分転換にやって来た「隠れ家」より・・・
世の中、色んな人がいる。ってことについて。。

大学に入学したばかりのとき、初めて遭遇した別の価値観の人。

高級外車・BMWに乗って、学校に来ているクラスメイト。
「親に買ってもらったんやー」と、普通に自慢しながら、話していました。

18歳の私にとって、
「車を、親に買ってもらうのは、申し訳なくて、恥ずかしいこと」で、
まして、それを人前で話すなんて、考えられないことでした。
「オンボロ車でも、自分で買ってこそ、一人前」という価値観が、誰に教えられた訳でなく、ありました。

ドラマでしか見たことない、
絵に描いたような金持ちの世界って、本当にあったのです。

社会人になったばかりのときに、初めて遭遇した別の価値観。

東京で採用された同期が、こんなことを聞いてきました。
「ナカニシ~、このスーツ、いくらだったと思う~?」

「お~!!2、3万円で買ったんか??」と答えると、
「バカヤロー、10万以上するんだよー」なんて・・・ちょっとムッ・・・てしてました。

関西では「安く買ったこと」を自慢するのが、当たり前。
関東では「高く買ったこと」を自慢するのが、当たり前。・・・ということを、22歳で、初めて知りました。

育った環境によって、価値観は違います。
何が正しく、何が間違っているとか、ないと思います。
それが、本人たちにとって、自然だからです。

価値観の違う様々な人が、会社に入ってきます。

父親が、喜々として仕事に出かけてゆき、一生懸命だった家で育った子と、
父親が、生活のために仕方なく、イヤイヤ仕事をしている家で育った子。。

母親が、父親を大黒柱として尊敬している家で育った子と、
母親が、父親を小バカにしている家で育った子。。

どんな価値観が植え付けられてゆくか・・・は、自明の理。

「ペットが病気だから、今日は休みます」なんて、価値観も、
現代社会においては、主流派となってきているのか・・・。

「価値観の多様性」を認めることができるは、大きな組織。
小さな組織では、まず「自社の価値観」を確立することが必要。

そんなことを痛感する、今日この頃です。。


「小さな幸せ」に感動すること

前回のブログでは
「小さな怒り」をぶちまけてしまいましたが・・・
日常で感じた「小さな幸せ」を、書き留めておくと、体に良いらしい。
あんまり、カリカリしてると、ダメらしい。

スーパーのレジの一番後ろに並んでいたら、
隣のレジが、突然開いて「こちらへどうぞ!」
一気に、一番前になっちゃった。。。とか。

最近感じた「小さな幸せ」

関西では、すっかり散ってしまった桜を、
北日本のご支援先をご訪問すると、もう一度、見れること。

注文した好物の「炙り」が、究極に美味しくて、安かったこと。
クリーニング経営コンサルタント中西正人(クリーニング店炙り三昧)
↑これ!!

たまに立ち寄る串揚げ屋さんで、
「久しぶりじゃないですか?」と、笑顔の素敵な女子店員さんが、
声をかけてくれたこと。
↑↑
これは、、、「大きな幸せ」ですね。(笑)





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