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機転の利いた「笑い」が、明るい方向に向かわせる

大阪での地震。。
たくさんのお気遣いの言葉をいただき、ありがとうございました!
スタッフも全員、大きな被害を受けることなく、
翌日より、通常業務です。

私は、出張中、電車の中に閉じ込められ、
携帯メール・SNS等で、スタッフと「本日休業」のやりとりをしたのち、
ソワソワ(おしっこしたくなったら、どうしよ・・って)しながら、
パソコンで、仕事をしていました。

2時間後、電車の中から、解放。
線路の上を歩いて、一般道へ。

各方面から、労いや、お気遣い、お見舞い、の言葉をいただくなか、
異彩を放つ、名文句に出会えました!笑

その日、お伺いするはずだったご支援先に、
ご迷惑をおかけしたお詫びと、状況報告、今後の対応の電話をする。
「今、車内から解放されました。線路の上を歩いて、駅に向かっています・・・」

「スタンドバイミーみたいなこと、やっとるんかい!」

機転の利いた「笑い」は、
状況を一気に、明るい方向に向かわせてくれる。

こうゆうときには「気持ちに寄り添ったお見舞い」を求める。。。という方もいるのでしょうが、
私が、「こっち系」が、好きなことを知っていて、
励ましとなる言葉をかけてくれたのでしょう。

解放されたとき、記念に・・・と、閉じ込められた乗客が、停まった電車や人の列を撮るなか、
一人だけ違う方向=誰もいない線路にシャッターを向け撮った写真と、
見事に一致してるのが、その証拠でしょ?

逆境でも、幸運がたくさんな「星」のもとに生まれてきている。。と、
自分のことを再認識できた1日でした。


挫折は、自分次第で、物語になる。マサト先輩より

柴田政人さん、
現在69歳というから、
私が大学に入りすぐに、悪友に競馬を教えられ、
知ったころは、40代前半のベテランで、トップジョッキー。

直線で馬を追うのが上手だったし、
 =ケチな男が馬券を買うと・・・
  最後までしっかり追ってくれる騎手を好むようになる。
長距離にも強い。
 =本当に上手な騎手は、ペース配分や駆け引きができる!

 
ところで・・・
競馬界には「乗り替り」という言葉があります。
調教師や馬主は、持ち馬を勝たせたいから、
「勝てる」上手な騎手に、騎乗依頼する。
特に、大きなレースになれば、そうしたい。
依頼された一流騎手は、どの馬に乗るか?を、選択する。

だから、
それまで乗っていた騎手から、
別の騎手に変わって、レースに出ることがある。
これを「乗り替り」と言います。

柴田さんの場合、1レースに複数の騎乗依頼が来たとき、
騎乗する馬の選択基準は、
「勝てる馬、強い馬」でなく「これまで世話になった人の馬」だった。
そして、
それまで他の騎手が乗って、強くなってきた馬に
「乗り替わる」ことを、好まなかった。

「あなたが人の悪い騎手だったら、今日は2500勝記念パーティーだったでしょう」・・・競馬評論家・井崎脩五郎さん(柴田さんの1700勝記念パーティーにて)

「過去に世話になった恩とか義理ばかり守っている、そして走らない馬、ダメ馬ばかりに乗っている、妙な男」・・・先輩騎手・野平佑二(シンボリルドルフ主戦騎手)

「自分が割を食ってもズッコケても、他人を押しのけてまで乗り替わろうとしない。見事すぎるほど、意地っ張りで頑固な男です」」高松邦男・調教師

有名騎手が、そうしていたように、
ビジネスライクに騎乗馬を選んでいたら、もっと、勝てていたはず。

学生になったばかりの当時の私は、
「柴田政人」のそんなところが好きだった。
同じ名前の
腕の立つ、ベテラン騎手が、そんな人であることに、
秘かに「誇り」を抱き、応援していた。

後日、この本を読んで、その裏付けを知る。

寺山修司さん作。
半分以上が実話のエッセイ風・短編小説に、
21歳だった少年騎手「柴田政人」が登場する。

駆け出しの少年騎手・柴田が騎乗していたアローエクスプレスという馬が、
順調に勝利を重ね、G1レースに挑戦することになる。
しかし、馬主からの指示で、
当時、リーディング騎手(年間勝利数・第一位)だった加賀武見を乗せることになった。
柴田は「乗り替り」されたのです。

結果、アローエクスプレスは、皐月賞2着。ダービーでは5着。

小説では、柴田少年の「アローに勝って欲しい」という気持ちと
でも「勝たないで欲しい」という気持ち。
入り混じった葛藤が、切なく、描写されている。

こちらは、別の文献より。
皐月賞の前、騎手変更が宣告された当日、
柴田は「自分が何かミスをしたのか、言ってみてくれ」と、
涙ながらに馬を管理する調教師の高松に直訴する。
高松調教師も、また涙を流し始め、
「誰よりも自分が乗せてやりたいが、馬主もファンも許さない。
アローは日本一になれる馬だから、日本一の騎手を乗せる。
悔しかったら加賀武見を超える騎手になれ」と諭した。

そして、柴田は、これから4年後、関東リーディング騎手になる。

 
そうか・・・こんなことがあったから、
今、そうしているのか・・・と、納得したものです。

同時に、こんなことも思った。
もしも柴田政人が、
ただ「乗り替わりされただけの騎手」で終わっていたら、
こうゆう物語は、生まれない。
(事実、そうゆう憂き目にあう若手騎手は、今も昔も大勢いる)

挫折を、挫折だけで終わらせたら、物語にはならない。
そこから、栄光に向かっているからこそ、この物語は成立している。
「うん、だから、俺も、そうしよう!」
「挫折は、自分次第で、栄光への物語になるんだ!」

「偉大な先輩・マサト」から「アホ学生・マサト」は、
そうゆうことを、感じていました、

ある意味での「勉強」はしていたのかもしれません。

で、
ドラマは、それだけで終わらない。
ダービーへと続く。


能力を高める目的とは?

「勉強をすればするほど、
経験を積めば積むほど、人間性が悪くなってゆく、自分がいる。
知識や成功と、人間性って、比例しにくいものですよね。」

ふと、こんなことを漏らした
ご支援先の幹部さんがいる。

これには、まったく、同感です。

勉学の知識や、経営の経験、技術が高まることが
品性・性格が良くなってゆくことと、必ずしも一致しない。

特に、経営者は、厳しい世界で生きている。
ライバル相手と戦うには、勝てる作戦を考えなくてはいけない。

スタッフの能力を引き出すと同時に、
不正をする卑劣なスタッフがいると、
それを上回る「ズルさ」の知識がなければ、防止策は出てこない。
知っていても、知らないふりで、
ニコニコながら、行使しないようにするのも、性格としては「悪い」部類になるだろう。

お客様の要望は、
ライフサイクルの進化とともに、厳しくなってゆき、
それにも対応しなければならない。

現実の世界で生き残るために、
学ぶこと、知ることは、「良いこと」ばかりではない。
どちらかと言えば「良くないこと」に、巡り合うことのほうが多い。

性悪説的な人間の本性に、
数多く遭遇すれば、
それに対応する術を学習し、身につけようとするから、
当然、冒頭のような感想を持つに至る。

この幹部さんは、それのことに気づいているから、素晴らしい!
普通の人は、気づかない。

そこで、
これまでのブログの中江藤樹の言葉を引用したい。

「それ学問は心の汚れを清め、身の行ないを良くするを以て本実とす」

「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、
まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、
高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、
只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、
おほくするほど心だて行儀あしくなれり」

なぜ、勉強するのか?
それは、「身の行いを良くするため」である。

とある宿泊施設の書棚。。読んだことのある本がたくさん・・・重なってる!
シンパシーを感じます。


「道」を教えなければ、繁栄はない

近江聖人・中江藤樹は、日本における陽明学の先駆者。
陽明学は「知行合一」を唱える学派。
知っていることを、実行してこそ、学問の価値がある。という思想です。

有名なエピソードを、ひとつ。

ある武士が、藩から預かっていた大金を、旅の途中でなくしてしまった。
慌てて、心あたりを探したが、見つからない。
「藩のお金を紛失したとあっては、自分の命だけでは済まされない・・・」と、
途方に暮れていると、その宿を、馬子が訪ねてきた。
馬の鞍についたままになっていた財布に気づき、
「持ち主は、今頃、困っているだろう」と、わざわざ、道を戻って、届けにきたという。
武士の側が、感謝の気持ちに・・・と、礼金を渡そうとするが、馬子は受け取らない。
「あなたは、一体、どうゆう人ですか?」と聞けば、
「ただの馬子です。家の近所に中江藤樹という先生がいて、そこで教えてもらっていることを、実践しただけです」
「人のものを盗ってはいけません。傷つけてはいけません。困っている人がいれば助けましょう。
ということを思い出しました」と。

 
「落とし物」が、自分のもとに返ってくる確率は、
日本は外国に比べて、圧倒的に高い。
外国から来た人や、海外暮らしが長い人から、こんな感想を良く聞かされる。

正確なデータは、調べていないので、よくわかりませんが、
そうゆう傾向は、あるのかもしれない。

売上も利益も仕事も、人が行うこと。
人が、こうゆう「古くからある定石。当たり前で、普通のこと」=「人の道」を、
再認識できるといいな。

中江藤樹、曰く
「家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。
子孫に道をおしへずして、子孫の繁昌をもとむるは、足なくて行くことを願うに等し」

家は、会社。
子孫は、後継者やスタッフさん。。と置き換ることができますね。

 
「道」を教える。。
そんなこと、教えなきゃならないのかーー。教えなきゃならないんだろうな。。

このようになりたいものです。


近江聖人・中江藤樹

江戸時代の初期。
少年は、家督を継ぐため、遠くにいる祖父に預けられ、教育された。
母は、一人で故郷・湖北(滋賀県北部)に残る。
母は、少年をこう言って送り出す。
「学問を成就させるまで、家に帰ってくるな。立派な人間になるまで、母はお前に会いません。」

実家を離れて数年が経った、ある冬。
少年は、豪雪地帯で一人暮らし、
いつもシモヤケ・アカギレに苦しんでいる母親を思いやり、
希少な薬を手に入れる。
そして、それを届けるために、遠路、実家へ。

しかし、母親は、家の扉を開けなかった。

母「約束を忘れたの?帰ってきてはなりません」
子「学問を投げ出したわけではありません」
母「同じことです、顔を見れば、甘えた心が出てきます」
子「せめて、薬だけでも外に置いてゆきます」
母「いりません、それを持って、帰りなさい」

このようなやりとりが、雪国の情景とシーンの描写によって、
感動を生み出す、涙・涙・涙の話。

道徳の授業だったか、
国語の教科書に出てきたか、、
何かでぼんやり知ってた、このお話。

近江聖人と呼ばれた、中江藤樹と、その母の話でした。
出店調査で訪れた地で、思い出させてもらいました。

 
目先の「かわいい」よりも、
子供の将来を思えばこそ、「厳しい愛」を。

日本の「人育て」の原風景が、こんなところにある。





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