2016年9月1日 21:55
お盆に、中学校の同窓会が開催されました。

昨年の高校の同窓会に引き続き、、
そろそろ、そうゆう年代になってきたのでしょうか。
高校を卒業して、地元を離れてから、一度も戻っていませんでしたので、
16歳のときから、会っていなかった友達がほとんどでしたが、
1次会、2次会、3次会・・・と、話は尽きることがありませんでした。
色んなことを感じましたが、
特に感じたのは、親のこと。
美しい女子が、近づいてきて、こんなことを言ってくれました。
「ワタシ、今も地元に住んでるんやけど、犬の散歩の途中で、
いつも中西君のご両親に挨拶してもらっていて・・・」と。
(おー、うちの親、散歩ですれ違う人とかに、ちゃんと挨拶してるんだー)
小学校のときからのソフトボール仲間は、
「オマエのお父さん(←ソフトボールチームのコーチしていました)に、
とても面倒を見てもらったわー。
監督・コーチ陣に、めちゃめちゃに怒られた時、
そっと“気にするな”と声をかけてくれたことを、今でも覚えている」
中学の同級生、昼の弁当仲間。
「中西君のお弁当は、2段になっていて、おかずがとても豪華だったよねー」
「そうそう、俺のタラコは、真っ赤な着色のタラコなのに、
中西の弁当のタラコは、当時から無着色のタラコやったわー」
・・・もっとも、、当時の私にとっては、
この赤色タラコのほうが圧倒的に美味しく、憧れていたので、
いつも彼に半分、交換してもらっていたのですが・・・。
自分が、全く覚えていなかったり、
自分が、全く知らないところで、
うちの父母、きちんとしているんだな~。
きっとこのほかにも、
自分が親にしてもらったことは、たくさんあるんだろうな・・・なんて、思った訳です。
人は、
自分がしたことは、覚えているけど、
自分がしてもらったことは、覚えていないもの。
そうゆう親の元に、生まれ、育ったことに感謝だし、
そうゆう影響を与える生き方を、自分もしてゆきたい。
いや、できるはず(親からもらったDNA的な根拠からすれば)
かつ、
地元で自分の親のことを、
少し知ってくれて、関わってくれている同級生たちに感謝です!
あー、たまには、帰らなきゃな~。
偶然なのか、必然なのか、、、
次回のクリーニング勉強会は、そうゆうテーマで実施します。
http://cleaning-keiei.com/blog/seminar/1609/
とても興味深い内容になりそうで、自分自身、楽しみです。
2016年7月31日 21:38

知らぬ間に、馴染みになっていた
天ぷら屋のオヤジさんの工夫。。
極小店舗ならではの取り組みですね。
「店が狭い・・・」と嘆くだけでは、何も変わらない。
そりゃ、広い店・新しい店・豪華な店が、良いに決まっている。
「お金がない」「暑い、寒い」「景気が悪い」・・・
それらは全て「与件設定=与えられた条件」で、
まず、その中を限られた条件のなかで突破しないと、
与件そのものを変えることは、永遠に不可能だ。
知恵は、こうゆう環境から生まれる。
「苦痛」は、英知の父であり、愛情は母である。
そんな言葉があったなー。
2016年6月5日 21:38
北斗市郊外の山林で行方不明になっていた7歳児君、
見つかって、本当に良かった!!
4kmも離れた自衛隊の演習場にたどりつき、
鍵のかかっていない施設を発見し、何日間も、水を飲んで過ごしていたと言います。
車や人に、石を投げつけて「お仕置き」された・・・ということですが、
そんなお子様だからこそ、
こうして生き残るパワーみたいなものが、あったんだろうなー、なんて思います。
「名馬は、悍馬(かんば)より生ずる」
悍馬とは、気が荒く、制御しにくい暴れ馬。のこと。
「悍(かん)」という字には、気が強い、荒い。性格が、激しい。という意味があります。
・精悍(せいかん):顔つきや態度に、勇ましく鋭い気性が現れていること
・剽悍(ひょうかん):素早く、荒々しく、強いこと
・・・こんな熟語にも、あらわされています。ちなみに、訓読みすると「悍(おぞ)ましい」です・・・。
良く走る馬は、「悍」なる性質を持っていることが多い。。ということ。
この少年、うまく育てれば、きっと将来有望です!
今回の騒動。置き去りにする親父の「悍」なるDNAと育て方が、
子供のDNAにうけつがれ、きちんと作用しているという、この家族の顛末なんだろうな・・・。
周りに迷惑をかけたこと、嘘ついちゃったことは、ダメですけど。
でも、本当に無事で、良かった。。
長所と短所は、表裏一体。
「優しい」には、「優しい」の長所と短所。
「おとなしい」には、「おとなしい」の長所と短所。
「スボラ」には、「スボラ」の長所と短所。
「明るい」には、「明るい」の長所と短所。
「しっかり」には、「しっかり」の長所と短所。。。
そうゆう個性を、人様の役に立ち、
一人前以上に、稼ぐことができるようにしてゆくのが、人材育成なんだろうな。
2016年4月24日 21:41
司馬さんは、
日本人を知るうえで「武士」の存在も挙げています。
武士を「人間の芸術品」と呼んでいます。

明治以降、飛躍的なスピードで先進国の仲間入りができた、その理由は
「汚職しなかったこと」
「公の意識が、横溢していたこと」
これを“痛々しいほどに清潔であった”と、表現しています。
このような高い倫理観は「武士」に由来している。
「名こそ、惜しけれ」という精神。
名を汚すようなことはしない。恥ずかしいことはするな。
これが、武士の価値観。
鎌倉時代、武士が初めて政権を獲得しました。
武士とは、貴族による律令制から、地方へ逃げ出して、
自ら農地を開墾した「百姓」が、武装化したもの。
素朴なリアリズムに裏打ちされた「百姓の政権・鎌倉幕府」により
自分の土地を認めてもらった恩義に対する
「名こそ、惜しけれ」の精神。
「名前を汚すような、恥ずかしいことをしてはならない」
「公のために、働く」
これも、日本人が日本人たる所以。
所属する会社や組織であり、
会社を信じて依頼をいただけるお客様であり、
身を置く業界であり、地域であり、
ひいては、日本全体へとつながる
「公」への奉仕と「名こそ惜しけれ」の精神。
司馬さんは、
書籍の中に「今でも、一部の清々しい日本人にみられる・・・」と記しています。
その一部に入っているだろうか。。
2016年4月23日 21:04

最近「価値観」について、考えています。
そもそも「日本人とは、何者なのか?」ということを、
司馬遼太郎さんの史観から、引用したい。
島国に生まれた日本人は、
「素晴らしいもの」は、他からやってくると信じていた。
古くは大陸から。明治維新以降は西洋から。
外への「好奇心」でもって、それを取り入れてきた。
神道も、仏教も、キリスト教も、受け入れる。それぞれの価値を認める。
「一神教的価値」を持たない民族である。
それは、元々、日本に「八百万(やおよろず)の神」という価値観があったからである。
自然物そのものを信仰し、山にも、岩にも、川にも、草木にも、神が宿るから、全ての神様を立てなければならない。
それによる「無思想」という思想で、
何でも柔軟に取り入れてきた。
外国からの文化を、取り入れるだけでなく、日本独自の形へと工夫を重ねる。
室町時代に代表される「枯山水」は、
外来の庭園文化の池や水を、砂で表現したもの。
住居は、書院造、床の間、障子、襖、畳。茶道も華道も、独自の文化となった。
つまりは、
「良いものを、柔軟に、外から興味と敬意を持って取り入れること」
「さらに良く使えるように、自分なりに工夫してアジャストさせること」
これが、日本人の特質である。