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逆らってくる相手。どうする? 徳川家康に学ぶ

一揆が起こった。
さあ、あなたは、どうする??・笑

この広告画面には、3択。
「武力で制圧する」「平和的に交渉する」「誠心誠意、謝罪する」
(・・・あの社長なら、これだな。あの幹部は、こうするな・・)などと、思いを馳せながら、広告を見る。

ちなみに、徳川家康という稀代の武将の生涯を通してのやり方は、以下の通りである。
(と、私は、見ている)

まずは、戦う。逃げない。※全面でなくとも良い。局地でも良い。
そこで、勝つか、引き分けに持ち込む。

で、和睦して、許す。
兵力・商業力は、温存しなければ、国力にならない。「許すこと」は、勢力拡大になる。

和睦後に、ゆっくり相手の力を削いでゆく。
削いだところで、
無茶な無理難題を要求して、相手の急所を潰し、完全に従わせる。

建前を作る。
そのあと、欲しいものを取りに行く。
名分を作る。解釈の違い、と言って、やりたいことをやる。
最終的な利益に意味がある。
最終的に、自分の欲しいものは何か?
それを明確にしておいて、何年単位で、とりに行く。
許したように見せて、実は、許していない。

理や筋よりも、実力・実利である。

企業経営、国家経営の手本として、
「家康」は、とことん、勉強しておいたほうが良い。

私も、若いころは、単なるイメージと関西育ちで、
青臭い「家康ギライ」であったが、
コンサルタントを職業とし、真剣に経営・マーケティングに取り組むと、
その偉大さが、身に染みてわかるようになりました。


倫魁不羈(りんかいふき)の鬼日向

「最近、歴史ネタないですね。やらないんですか?」
ブログ読者さんから、リクエストがありまして、、
「あーるよー。」
何本か、メモを書き溜めておいたものを、放出します・笑

こちら、新装なりました、福山城。主要駅からの近さ、全国でもトップクラス!

以前は、なんだか安っぽい、万人受けの豪華さのイメージでしたが、
一気に本格派のイメージへ。周りの環境も、あわせて改装。
これは、本当に良くなりましたね!

↑こちら、ビフォーの福山城

初代城主は、水野勝成。
家康の母方のいとこ。「暴れん坊」のいとこです。

「倫魁不羈(りんかいふき)」
(余りに凄すぎて、誰にも縛りつけることはできない)と、評される武将。

20歳で父親と喧嘩(父の部下が自分を讒言したと怒り、その部下を切り殺す)して、
水野家を勘当、出奔。
以降、主君を何人も変えて、全国を放浪。
一般人として生きていた時期もあったという。

父・水野忠重(徳川家康→織田信長→信雄)→仙石秀久→豊臣秀吉→佐々成政→黒田孝高→小西行長→加藤清正→立花宗茂→三村親成→徳川家康→秀忠→家光

名だたる豊臣方の名将(追われているから、主に九州配属の武将)に仕えています。

そして
35歳、関ヶ原前に、徳川家康のもとに。
以降、徳川家一筋。

10代のころから数々の戦に、全て参加している。武功を残す。
戦術・戦闘の腕は、相当のもの。

水野君、キミ、役職あげよう、何がいい?と聞かれて、
明智光秀の代名詞とも言える「日向守」を、嬉々として受けるのだから、
その豪胆さ・奔放さ・とらわれることのない性格が、よくわかる。
そして、その「日向守」は、
いつしか「鬼・日向」という異名で呼ばれるようになる。
グレードアップしたオリジナルのものにしてしまうのだから、これまた、凄い。

治政も良く、領民にも慕われ、治水、街づくり、産業の振興にも能力を発揮した。
民と共に暮らした経験、名将たちに仕官した経験が活きている。
そうゆう殿様だったのであろう。
55歳で、福山への配属は、毛利氏をはじめ、西国の大名への備えとして、
重要視されていたことがわかる。

家康以外に、たくさん仕えているし、
親戚なので、
「徳川四天王」には、名を連ねていないのだが・・・

この腕っぷし自慢の、年下の自由人いとこ。
家康は、どう思っていたのだろうか?
歴史の教科書にも出てくることのない、ドラマにも登場することのない武将だけど、
案外、頼りにしていたのかもしれない。
親族に凄いのがいると、心強いですもんね。

勝成は、どう思っていたのだろうか?
最終的に、家康の配下として活躍するのだから、やはり、家康の器の大きさがわかる。


これだけ主人(=会社)を変えても、最終的に大名となれたのは、
1)天下の実力者のいとこであったこと
2)戦で強い、首級をあげる(=現代社会においては、圧倒的に売上を上げる)ことができること。

だから、この2条件がそろっていない、
現代に生きている人は、
真似しないほうがいいですね。


ヒト・コロナ・犬・馬の件。。その正解

ひと言で「犬」と言っても、
ドーベルマンからチワワまで。

「馬」と言っても、サラブレッドから道産子まで。

「コロナ」と言っても、アルファからBA5まで。

同じ分類だけど、その性質は、大きく異なる。
その扱いを、同じに扱うべきではない。先日、そうゆう主旨のブログを書きました。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2022/08/06/
そして、ブログの最後に、
ヒトの職業のなかで、ひと言で分類できないほどに、
違いがある職業とは、何か?と、質問しました。

今回、その答えを、書いておきたい。

 
それは、、、
皆さん自身の職業である。

仕事するなら、そうゆう矜持(プライド)で、仕事していなきゃ、ダメだ!
って、ことです。

私は、一発で「コンサルタント」である!と答える。
皆さんは、一発で「自分の職業である!」と答えて欲しい。

自分の職業だ。と思わなかった人は、
今の自分の仕事に、真剣に取り組んでいない。誰にも負けずにやってゆく!
と日々、革新していない証拠です。一番になる!と仕事してない証拠です。

クリーニング店の受付スタッフさんは、「そりゃ、クリーニング受付でしょ!」
クリーニング店経営者は、「そりゃ、クリーニングの経営者でしょ!」

どのくらいの人が、
私の問いに「正解」を出すことができたでしょうか?

自分の職業以外を答えたヤツ・・

血ぃ、吸うたろか!
「芸人さん」も、同じ職業名でも、その性質、ピンキリですよね。
それでも、私は「コンサルほどピンキリじゃない」と、思っています。


大会講評。敗れたことは、現時点の力をあらわすのみ。

夏の甲子園が、終了しました。
えー、それでは、大会講評に変えて、一言・・・

2006年決勝戦延長・引き分け再試合からの、早稲田実業の勝利のシーン。

奇しくも、開幕の始球式は、斎藤佑樹くん。

斎藤君、そのあと、何試合かでゲスト解説していたけど・・・
全然、ダメだね。
泥臭く、考えて野球していたかい~?

解説が、抽象論や感情ばかり。
「何が何でも気持ちで・・」とか、
「胸を張って・・」とか、「落ち着いて」とか、
「感謝を・・」「どうゆう練習をしているか見てみたい・・」とか。
そうゆうアイドル的・爽やかさを期待されていることは、わかるんだけど。
いつまで、それで生きていく気だい?

 
野球も、人生も、
そのとき勝っても、最終的に、どうなるか?は、わからない。
そのとき負けても、最終的に、逆転できることは、たくさんある。

決勝戦、三振して、負けたのは、田中将大。
勝って、優勝したのは、斎藤佑樹。
このあとの野球に関しての二人のその後を見れば、
甲子園での勝敗は「通過点」に過ぎないことが、よくわかる。

先日、5打席連続ホームランの日本新記録を作った大スラッガー・村上宗隆は、
高校時代、その素質を期待されながらも、
甲子園出場は、1年生の1回だけ。そのときも1回戦負け、無安打。
当時の熊本県は秀岳館高校・全盛期。
全国の同世代では高校通算100発の清宮幸太郎が、注目選手。
ドラフトでも清宮の外れ1位。

現時点で「ダメ解説」と、私が評する斎藤佑樹だって、
これから勉強するとか、別の道を探るとか。。努力次第で逆転可能である。

※ただ、斎藤君が、自分で起業した会社の社名のつけ方を見ると、見込み薄。
根本的な戦略思想の転換が必要。だけどな。
誰か、言ってやれよ。言っても聞かないのかな??

 
今、負けたことも、
自分次第で、勝利にすることができる。
人生、負けることのほうが多い。

大切なことは、
負けたあと、どうするか?

「失敗」という言葉はない。
それでは、通用しない。という事実が判明しただけである。


名医にも弱点あり。話を良く聞きましょう

昨日のブログの続き。

名医にも、弱点がある。
名医の弱点。
それは、「患者の話を、ほぼ、聞かない」ことである。
まあ、本当に、聞かないねー・笑

名医は、症状とデータを見れば、すぐに対策がわかる。
かつ、忙しい。
だから「どうなって、こうなって、こうだと思う・・・」という患者の話には、ほぼ耳を傾けないのである。

名医にとって、患者の素人見解を聞くのは、時間の無駄に感じるのであろう。
しかも名医は事実に基づいたことしか話さず、推測も入れないので、トークに面白味もない。

悪い人じゃないのは、わかるんだけど、
これは、一般ウケしないだろうなー。

儲かるはずの、リハビリも一切しない。
何度も来院しろ。とか言わない。
スパッと治療したら、「あとは、お風呂でほぐして、動ける範囲で動いたらいいから」で、終わり。

ある意味、本物である。
そんな小手先、使わなくても、患者の数は、どっさりいる。というわけである。

 
「それでは、こうなった経緯を、私に、お聞かせいただけますか?」

私は、まだまだ名医と言えるコンサルタントではないが、
名医を目指している。
だから、気をつけよう。
こうゆう言葉で、必ず、話を聞くようにしよう。


この【技術に優れているけど、全くコミュニケーション力のない】ジーさん名医を、
何とかしたい。。と思いたち、
手術箇所を防護する防水テープを、
念入りにバッテンマークにして、
マジックで軽く落書きをして、術後診断に行ったら、反応して、笑ってくれました。
「こんな厳重にテープしてくれてね」と。

そのあと、色々、話してくれるようになりました。





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