2023年10月22日 20:42
無事、阪神がクライマックス・シリーズを勝ち、
オリックスとの日本シリーズに向かいます。関西決戦。となる。
クライマックス・シリーズ、打率1割台。
ヒット数では相手よりも下なのに、
3連勝した阪神の監督采配と防御力。
それに、
お行儀が悪いこと、ガラの悪いことで有名な阪神ファンと、
比較的、お行儀の良い層であるオリックスファンの違いにも、注目です。
甲子園で「阪神を応援するとき」には、
いくつかの「たしなみ」がある。素養・心得である。
(応援グッズとか、ユニホームとか、応援歌とか・・・そうゆうものは、どうでも良い!)
大切なことを、ご紹介したい。
こちら、
アルプス席や外野席で応援するとき、これを持参するのが「たしなみ」。。
がっぽり荷物を入れることができるビニール袋。
野球ファンは、飲み食いしながら、応援する。
甲子園の安い応援席には、ドリンクホルダーも、テーブルもない。
したがって、ビールを、足元に置く。
それを、酔って、興奮して「かやす」のである
「かやす」=関西弁。標準語で「ひっくり返す」の意味。
上の段から、ビールが浸透してくる。
荷物がベチャベチャになっても、文句は言えない、
言える雰囲気ではない。
だって、みんな、精一杯、頑張った結果だから。(笑)
※
できれば、ビニール袋は、3~4枚持って行きましょう。
ひとつは、自分の分。もうひとつは、友達の分。
残りは、自分の前の席(=下段)のファンの分。
つまりは、自分が「かやして」迷惑をかけるかもしれない、同志・阪神ファンのために。
様子を見て「これ・・・良かったら・・お荷物に・・・」と差し出してみましょう。
2回に1回は、何か、奢ってくれる。
みんな友達。心おきなく、盛り上がることができます。
ビニール袋で自己防衛。
みんなの分も、持って行こう。
2023年10月21日 20:53
古戦場は、決まって、寂しい場所にある。
戦いがあったから、人が住まなくなったのではない。
そもそも、人が住んでいない、戦術上の要地で、軍隊同士「戦い」は行われていた。
古今東西、長い歴史の中、「戦い」は、基本、このスタイルだった。
住民の恨みを買い、生活インフラを壊したら、
後の統治が難しくなる。復旧に時間とお金がかかる。そうゆう側面もあっただろう。
市民とインフラ=生産力を無事に残して、とったほうが、価値が高い勝利。
だから、軍隊同士が、軍事・戦術拠点を巡り「会戦」する。
いつから一般住民が住んでいる場所で、
住民を巻き込み、住民を殺戮するスタイルの戦争が「当たり前」になったのか?
戦史を調べてみると、、
第一次世界大戦から、人類は明らかに狂ってきた。
(飛び道具的な兵器が増え、自分が殺す人の顔が見えなくなった)
白人によるインディアン戦争も起源かな?
(異民族に対して、何でもアリになる)
ヒトラーによるロンドン空襲。
もちろん、日本への空襲、広島への原爆。。
そして、現在、
イスラエルとパレスチナ。ユダヤ民族とアラブ民族の戦い。
ロシアとウクライナも。。市民を巻き込む。
一般住民の暮らしの場を、戦場とする。
『ケンカするなら、オモテでやってこい!』
幼少期・学生時代、親や先生から、言われていたフレーズ。
家の中、校内の「生活インフラ」を守るため &一度、冷静にさせるため、である。
本物の戦争も、昔はそうやっていたのである。
暮らしの場から離れた場所を「いくさば」とした。
だから、古戦場は寂しい場所にある。
今や、現地で生活をしている生身の人間が、苦しむ姿を見ることなく、
自分は空調の効いた安全な部屋から、ボタン操作だけで、人を殺すことができる時代。
人類は、技術的・科学的進歩をとげてきた。
が、精神的・情理的・道徳的には、退化・劣化している部分も多い。
共に進歩しなければならない。
2023年10月15日 21:31
源氏は、強い。
けど、身内同士で殺しあう。残忍・粗暴なところがある。
平家一門との比較で、以前のブログに書きました。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2017/06/23/
どうやら、源氏の良いも悪いも、
この「八幡太郎・義家様」に、ルーツがあるらしい。
ということが、今回の「途中下車の旅」で、わかってきた。
後三年の役は、日本史上・初の「兵糧攻め」を行った戦い、とのこと。
義家は、城から出てくる非戦闘員の女・子供を、
城の目の前で見せしめに虐殺した。
それを恐れて、城内に非戦闘員がとどまる=兵糧が早く尽きるからである。
展示されていた「大好物」絵巻物で、ご紹介。
勝利後、合戦中に悪口を言ってきた敵の大将を捕らえて、
木に吊るし、舌を抜き、
足元に盟友の大将の首を置いて踏み台にさせ、、殺した。
ちなみに、
20年前の「前九年の役」では、父・頼義が
敵の武将・藤原経清を捕らえて、首だけ上に出して生き埋めにして、
わざと刃こぼれさせた刀で、のこぎりのようにして首を挽かせた。
経清の元部下に、それをさせた。
これは、大河ドラマ史上、最も残虐な最期のシーン。
今は放送できないくらい凄惨なシーンである。良く覚えている。
若き日の渡辺謙さんが、経清を演じていた。
源氏の流儀は、現代の「ヤクザ」みたいなのである。
そもそも、源氏というのは、天皇の血をひいた武士。
だから、地方に行くと「源氏」というだけで、稀少性が高く、カリスマ的に尊敬を集めるのである。
「皇室ゆかりの暴力団」である。
・・・確かに、そうゆうのがあったとしたら、最強だ。
この通り、首を並べる。
今の感性で見れば、残虐、ヤクザ!って思うけど、
当時は、こうゆうことが、当たり前の感覚の世の中だったのでしょうね。
当時は、「封建主義社会」の黎明期である。
並べられた「敵の首」は、
現在「資本主義社会」で言うところの「お金」に相当する。
今「いや、キミ、いくら頑張ったっていってもねー、
入金がないと意味ないよ。給料あげられないよー」
昔「いや、キミ、いくら活躍したっていってもねー、
首ってゆう証拠がないと意味ないよ。土地の権利は、認めてあげないよー」
「首」は「売上金」と、同じである。
2023年10月14日 20:04
もうひとつ、歴史を書き留めておく。
これは、「鎌倉権五郎」ゆかりの建物。
源義家軍の16歳の若武者であった。
戦いの中、矢が目に刺さる。刺さったまま戦い続け、逆に敵を討ち取る。
苦しみながら自陣に帰ったところ、
従兄が、その矢を抜いてやるために、権五郎の顔に足をかけた。
すると、権五郎は怒り、従兄に斬りかかった。
その理由は、こうである。
「武士だから、矢が刺さり死ぬのは本望である。
しかし、生きたまま土足で顔を踏まれるのは恥辱である。お前は敵だ!」
従兄は、謝り丁重に矢を抜いた。
今の常識で考えるならば、笑ってしまうような事件である。
これをやれば、単なる、ややこしい男である。
今、怒るとしたら・・・(痛い!!お前の抜き方、下手すぎるやろ、痛いねん!!)
「肉体的な痛み」に対して、怒るかもしれない。
鎌倉権五郎のエピソードは、
「名こそ惜しけれ」という鎌倉武士のモラルと心意気を端的に示している。
以来、日本人の心根に流れる精神の源である。
「名」というのは、自分の名前。
自分の名前を傷つけるような「恥ずかしいことはするな」ということ。
司馬遼太郎さんは、この「名こそ惜しけれ」の精神を
「今も、一部の清々しい日本人の中にある」と表現した。
何とかその「一部」に、引っかかっていたいな。。。
もちろん、私は、公明正大・清廉潔白な人間ではない。
人に言えないようなことも、たくさんある・笑
ただ、以前のブログでもお伝えした
「He is not a good man ,but a fine man」
=彼は「良い男」ではない、しかし「立派な男(真の男)」だ。的には、生きてゆきたい。
鎌倉市街地には、権五郎を祀る「御霊神社」があり、
歌舞伎の演目としても、演じられている。
2023年10月8日 21:34
「後三年の役」にて。
義家の軍勢が進んでいくと、上空に雁が列をなして飛んでいる。
が、突然、雁の群れの列が乱れた。
それを見て、義家は敵の伏兵(待ち伏せ作戦している兵)を察知。
逆に、敵兵を囲んで、やっつけた。
「孫子の兵法」に
「雁の乱れは、敵兵がひそんでいることを示す」とあったのを、
実戦に活かして、危機を脱した。という有名なエピソード。
このエピソードには、前日譚がある。
「孫子の兵法」は、若き日、京都で大江匡房(まさふさ)から教わっていた。
「後三年の役」から遡ること二十年前、
「前九年の役」で戦勝した若き義家が、京都に凱旋した。
そのとき、大江匡房が、
「器量は賢き武者なれども、なお軍(いくさ)の道を知らず」
(勇敢で素質はあるけど、兵法の原理原則を知らんな、勉強しとらんわ)と、
義家本人のいないところで、評した。
そのことが、義家の部下から義家本人に伝わった!!
が、
義家は、腹を立てず、「そりゃ、確かにそうだ」「教えて欲しい!」と、
匡房の弟子となった。と伝えられている。
若いときから謙虚に師事し、実戦に活かし強かった源義家、
こうゆうところも「八幡太郎義家公・・・・」と、敬われ続ける所以である。
マニアックな、小さな資料館があります。
私の大好物「絵巻物」が、解説付きで展示してありました。
「雁行の乱れ」のページです。
このあたりを雁が飛んでいたのかな?
オレが伏兵を潜ませるとしたら、このあたりがいいな。。。
何もない場所だけど、そうゆう雰囲気はあるので、
マニアは楽しめます。