2024年2月18日 21:42
京都の街には、東側・縦方向に「鴨川」が流れている。
京都の市内の北エリアを横方向に走る「今出川通り」には、
この「鴨川」を境として、
西側には、同志社大学。
東側には、京都大学。がある。
同志社学生は、基本的に、鴨川の東=京都大学のテリトリーに入ることはない。
ボリューミーで美味しい定食屋があったとしても、
「川」という地理的分断要因と、
「学校」という所属&階層的分断要因により、立ち入ることが少ないエリアなのです。
この京大生テリトリーの中でも、特に「ヤバいエリア」が存在する。
同志社側から見れば「京大の最も京大らしい場所」・・・
京都大学の左翼系学生たちが住んでいた(今もいる?)学生寮「吉田寮」である。
私が学生当時、恐る恐る探検に行ってみたころと、ほとんど同じ風景である。
古い木造建物に、物が放置された庭、洗濯物、ニワトリ(=締めて、食糧とするらしい)、
入口には、過激派?的な看板やポスター「ゲバ字」といわれる手書きで、
「阻止!反対集会」「公安排除」「粉砕」「闘争」「連合」など、
お馴染みの文字が並んでいた。
今となれば(こうゆう場所もいいなあ、寮生活もいいなあ)と思えるが、
それは「今のこの生活に戻ってこれるなら」という前提である。
ちなみに当時20歳前後の私は、こんなところに住むのは「絶対イヤ!」だった。
(変な友達が住んでて、時々、遊びに行く)くらいが理想であった。
何年も前「吉田寮・取り壊し決定」のニュースが流れていた。
(おおー、もったいないなあ~!住む学生もいないのかな?時代の終わりだなあ)なんて思っていたら・・・
なんと、まだ、存在しているではないか!
驚いたー!!!
(そうか、頭の良い京大生の反体制派の巣窟、、ナメたらあかんな。。)
寮の近くのレストランにて「吉田寮通信」なるのものを見て、健在を知る。
立ち退き裁判で、大学側と争っているのね。
「実は、これ、プロレスみたいなものです」
と、京大出身の知人が教えてくれた。
つまり、双方、相手が完全に倒れるまで、徹底的に本気でやるつもりはない。
大学側も築100年の耐震に問題のある建物を放置しておくわけにはいかない。
形式的に、ずーっと何年間も戦っている。
「潰す」「潰すな」とやってること自体に大義名分と価値がある。
どうやら、そうゆう模様である。
「プロレス」とは、争いながら、闘いながら、双方で作品を作っているものである。
※つづく
2024年2月17日 20:12
解決に困っても、頼らないほうが良いもの。
ヤクザ。議員。
それに、裁判所。
ヤクザと議員は、ほぼ同じ。
一度頼むと、何かにつけて、色々要求してくる。
・・・・
ちゃんとした「弁護士」は、知り合いがいたほうが良いけどね。
使いこなせるならば。
「刀」を持っているのと同じこと。
バカは「なまくら刀」を、下手なくせに、振り回す。
賢い人は「名刀」を、日々鍛錬して、持ってるだけ。
武士が人に向けて、一度「刀」を抜いたら、命のやりとりになる。
現代、一般人が、「殴る」「蹴る」も、同じこと。
鍛えておくことは大事。でも決して使わない。見せびらかさない。
・・・・
松ちゃん、裁判所、頼んじゃったね。。
基本的には、その時点でダメだわ。
たくさんのお金があって、
「法に問うてみたい」という要素が大きくて、やってみたんだろうけど。
「お世話になった枠」で、書棚に残っていました!
内容は、95%つまらないです。
この中に、自ら「女好きのチャンピオン」とは書いてます。
『オレにチン〇がついているのではない、チン〇にオレがついているのである』と・笑
2024年2月11日 20:52
文春に告発した女性に対して、
「何年も前の話を、言われても・・・今さら持ち出すな」という意見も多い。
確かに、そう感じる人は多いと思う。
が、自分に置き替えてみてもらいたい。
誰しも、腹の立つ事件が、過去には、ひとつふたつ、あるはずだ。
そのことを、
他人から「何年も前の話でしょ?」と言われたら・・・
「いやいや、何年たとうがね。同じですよ!!我慢していただけですよ!」となるはずだ。
だから
「何年も前の話を、今さら持ち出して・・・」という意見について、
私は「何年前でも関係ない」派に近い。
良いも、悪いも、自分に都合よく「年数」を操作する。
同じに、見ない、見れない。
これは、歴史が証明する人間の特性である。
腹の立つこと、ずっと根に持っている事柄。
私も、皆さんも、それを、いちいちオモテに出さないのは、
「今が、幸せだから」
「今に、満足しているから」である。
そうなるように、努力して生きてきたから。である。
残念ながら、告発女性は、(今、幸せじゃないのかな?)と推察する。
愛する人は、いるのかい?
誰かに愛されているのかい??
松本を羨むことがあったかもしれない。満たされていない可能性が高い。
文春に報道させることで、相対的な満足を得る。
彼女は、そうゆう解決方法を、選んだのである。
私は、
自分が努力して、幸せになることが、
一番の解決方法である。と思う。
(バカに関わった自分もバカだった、反省して以後、気をつけよう・・・この程度で済んで良かった・・・。さて、バカよりも百万倍、幸せになってやろう!!)
(もし万一、私が「バカ認定」した人間のほうが、数年後、幸せそうだったら、
それは、私のほうが「バカ」だった。自分の生き方を根本的に見直さなければならないな。。)ということである。
・・・・
結果「前のことを持ち出すな」よりも、相当ディスってます・笑
が、おそらく、これが真理である。
もし彼女が、私の愛の及ぶ人ならば、間違いなく止めている。
「愛だろ、愛!」
https://www.youtube.com/watch?v=cbz3VllJX0s&t=325s
学生時代、流れていた素敵なシリーズCM。
東京スカパラダイスオーケストラのバックミュージックと、
永瀬正敏(イニシャルが、私と同じ♪)が、
最近、頭の中を、グルグル回っています。
「サイドカー」編と
「バイオレットフィズ」編が、好きです。
2024年2月10日 20:01
「事実無根なので、闘いまーす」
↑↑Xでのダウンタウン松ちゃんの初期の発言。
「ここで、間違えたと思ったね、
どのようにでもとれるように発言しなければならない」
国家公務員、つまり「官僚」の友人は、そう教えてくれた。
さすが、エリート官僚や!!笑
「事実無根」と言ってしまえば「全面的に事実と異なる」ということである。
「いつも、逃げ道」を作っておかなければならないそうである。
おそらく・・・
「性加害」を事実無根だ。と、言いたかったのだろうけど、
「飲み会の開催」も事実無根だ。と、とらえられてしまう。
「事実と異なる部分が、あるように記憶しています」とか
「一部、事実と異なる点があります」
こんなところが、官僚的・正解発言らしい。
【発言・文書は、一言・一字まで、慎重に】
船井幸雄会長が「社長の心得」として、
次の社長を本告さんに譲るとき、残した10の箇条書きのなかの1つがこの言葉である。
官僚や政治家的な答弁も、イヤだろうから・・・
「私には、全く、そうゆう認識はありませんでした」
「でも、相手方が不満に感じておられるなら、それは申し訳なく思っています」
「事実確認が不十分なことを報道されることについて、遺憾なので。闘います!」
このくらいの「正直さ」「潔さ」のあるコメントで、良かったのでは?
最初のボタンを掛け違えると、
ずっと、違ったまま、進んでゆく。
リーダーの最初の言葉は、慎重に、大切に。
2024年2月4日 21:45
ダウンタウン松本の文春報道以降に、何を感じるか?
何しろ、中学生のとき、なりたかった職業は、
「ダウンタウンのマネージャー」である。今でもファンである。
https://sousai-keiei.com/nakanishi/blog/2023/08/06/
↑↑今年の夏のブログの通り。
中学・高校のころ、夜、勉強しながら、
ラジオ「ヤングタウン」を聴いて育った世代である。
確か、木曜日担当パーソナリティだった。
金曜日と土曜日、学校で友達とその内容についてプレイバックする。
今回の文春記事にある「そうゆう会」も「女好き」も、
約35年前、ラジオ番組で、話してたことの延長。
(まあ、当時から規模とグレードの大小はありながらも、それは、やってるよな)
大阪・ミナミに行く女子なら、芸人に声をかけられている子は、たくさんいる。
Jリーガーや野球選手と飲み会した子も、たくさんいる。
今、公に言えないようなことも、当時ラジオでは、たくさん話していた。
今でも、松ちゃんの「笑い」を作り出す言葉、間、表現、
時事に対するコメントなどは、群を抜いていて、唯一無二の存在だ。と感じている。
※「トーク」は、今も好き。
でも、最近の「演出のあるバラエティ番組」は好きでない。
そんなこんなで、
大逆転と復活を信じたい=この騒動を冷静にみれないから(願望)である。
ピンチこそ、チャンス。
これは何度も、このブログで事例と共に伝えてきた。
クライアント先でも、何度も実践して、実感している。
みんなの前に出てきて、
一世一代の「大ボケ」をかます、チャンスである。
私の頭にあるのは、昭和の大スター「勝新太郎」のイメージである。
癌から退院してきての記者会見
「煙草はやめた」と言いながら、煙草をふかして会見。
「手に持っているものは何ですか?」と、記者たちがツッコミを入れる。
麻薬所持で逮捕され
「知らないうちにパンツに麻薬が入っていたんだ」「もうパンツをはかない」とか。。
松ちゃんには、
令和に生き残る最後の豪快なスター(@ちょいダーク系)であって欲しい。
司法に判断してもらう裁判での勝ち負け。それは、きっと小さなことで・・・
「軟弱な正義面が横行する社会」への挑戦をしてもらいたい。
「こうやって、自分で跳ねのけるんだ!」を、若い子らに見せてもらいたい。
松ちゃん、本当にやりたいことは、それでしょ??
もし、私が、中学生のころの夢の通り「マネージャー」になっていたなら、
そうゆうサポートをした。
ここからの挽回ネタを、必死で考えてるだろうな。
松ちゃん、今、ボケるチャンスやん!
歴史に名を残そうや!
カツシンになれ!
チャラーーーーーーン、マツモトー、アウト~~!
そこから始まる物語を。。。見せてくれ~。
どの「間」でボケるのが、一番「オイシイ」のか、
それを今、じっと見極めている。と信じているんだけどなー。