2025年1月18日 20:12
「恒産なければ恒心なし」
「貧すれば鈍す」⇒「富すれば鋭す」に関連して、経営者の場合。
経営者なら誰しも、
一時的に、苦しくなるときがある。何度もある。
それは、売上であったり、資金繰りであったり、お金にまつわることが多い。
「恒産なく」「貧する」状態に陥る。その脅威を感じる。
そんなときでも「恒心」を持ち、「鈍く」ならないようにする。
良く言われる「平常心」というものです。
その訓練を行う必要がある。
顔色ひとつ変えず、
「ない」ときでも「ある」ときと、同じ思考とふるまいをしなければ、ならないのです。
昨年、前職の船井総合研究所の社長・小山政彦さんに、
優秀な後輩の経営者が、こう尋ねた。
「船井総研の社長時代に、一番、気をつけておられたことは、何ですか?」

私は(さすが、いい質問をするなあー)と感心しつつ、注目して、聞いていた。
その答えは
・・・・
「やせ我慢だろうね」
なんとも、江戸っ子らしい、お答えでした。
きっと、上記のようなことです。
「平常心」での意思決定。思考、言動、ふるまい。その訓練を行うこと。
続いて、
「小山さんは、ご自身で経営もされ、コンサルタントとして色々な経営者を見てきたと思います。
経営者にとって、一番大切なことは何ですか?」
(2年前、同じ3人で食事をしたとき、同じ質問をしていた)
(当時と、同じ答えがどうか、試そうとしている・・・なんとも図太い後輩である)
その答えは、、
「業績を上げて、従業員の給料を上げてやること」
見事、2年前と、まったく同じお答えでした。
二人とも、さすがなのです!
2025年1月12日 19:17
せっかくの機会なので、
山本周五郎さん「赤ひげ診療譚」より。
心に残っている文章をピックアップして、ご紹介します。
↓↓
眼先のことに喜んだり、絶望して身を滅ぼしたりするのは、貧しい人間に多い。
恒産なければ恒心なしといって、
根の浅い生活をしていると、
思惑の外れた場合などすぐに極端から極端に走ってしまい、
結局、力のある者の腹を肥やすだけだ。
↑↑
本当に、深い言葉である。
貧しいから、目先に、一喜一憂する。
一喜一憂するから、貧しくなる。
「恒」とは、
「いつも、常に、ずっと、変わらず」という意味があります。
安定した財産なり、職業をもっていないと、
安定した道徳心を保つことは難しい。といった意味である。
「産」を、「財産」というだけでとらえてはならない。
「生産」ともとらえる。
常に「産」出する仕事をするから、財「産」がある。
結果、「心」も安定する。
「心」とは、意思・感情・感性・本質・性根・度量・記憶・注意。
同様のことわざに「貧すれば鈍す」があります。
貧乏すると、判断が鈍る。貧乏人は、ますます貧乏から抜け出せなくなる。
経営の場合、業績の悪い時の社長の判断は、
決まって、間違いやすい傾向にある。
業績が悪い⇒ケチる⇒サービスが低下する⇒お客様が離れる・・・というサイクルである。
逆に「富すれば鋭す」
裕福な状態になれば、鋭く良い判断ができる。

「福・富」のもとを作るため、今年も、全国を回ります!
2025年1月11日 19:49
赤ひげ診療譚、新出去定の言葉のなかで、
書き留めている言葉。。
物語を通して、頻繁に出てくるテーマのものを、ピックアップします。
↓↓
(1)
医療は、貧困と無知との闘いである。
(2)
人生は教訓に満ちている。しかし万人にあてはまる教訓はひとつもない。
殺すな、盗むなという原則でさえ絶対ではないのだ。
卑劣な行為に条件はないが、そうしなければならないときにはやむをえない。
教訓はそっぽを向いてもらうときだ。
(3)
無力な人間に、絶望や苦痛を押し付けるやつには、
絶望や苦痛が、どんなものか味あわせてやらねければならない。
しかし、彼らも人間だということを信じよう。
彼らの罪は、真の能力がないのに権威の座についたことと、
知らなければならないことを知らないところにある。
彼らは最も貧困であり、愚かな者より愚かで無知なのである。
(4)
だが、彼らもまた人間だ。
悲しいかな、かれらも人間であるということを認めてやらねばならない。
おそらく家族もあることだろう。ほかに生きる手段がなければどうするか。
妻子を養いその日のくらしを立てるためには、たとえ非道とわかっていても、
ならい覚えた仕事にとりついているよりしようがない。
↑↑
・・・・
ドストエフスキーの小説『罪と罰』のテーマに通じるものがある。
「悪の中にも、理解すべき動機がある」と。
麻薬の常習者に対して、
「麻薬は法律で禁止だ、身体にも悪い、やめろ」と進言するのではなく、
「麻薬を半分にできないか」と進言し、その視点から方法を考えるイメージである。
このことがわからなければ、
中小企業、事業所のコンサルティング、つまり、
今の4~5番店を、1~2番店にしてゆくことはできない。
2025年1月4日 19:34
新年、あけましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いいたします。
そもそも、ブログのタイトル「赤ひげ」について、
そう言えば、これまで触れていませんでした。
世の中では、「赤ひげ薬局」という精力剤のお店が有名です。
なので、
「会社が絶倫になる!」という意味ですか?とか、
「中西さんが絶倫!」という意味ですか?なんて、聞かれます。
(それもあるかもしれません・笑)

実は、この書籍、作家・山本周五郎さんの小説「赤ひげ診療譚」に
登場する医師・新出去定のニックネームです。
黒澤明監督が、原作をもとに「赤ひげ」というタイトルの映画を制作したことでも、有名です。
優れた腕がありながら、権威にこびることなく、
市井の町医者として、庶民のために反骨の生涯を貫いた医師です。
私は「赤ひげ先生」を経営コンサルタントの理想像として、
心・技・体のうち、体(資本力)は、ともかく、
心と技を大切に生きる中小の会社・事業所の
「業績を上げること」「なりたい姿に近づけること」に、徹底してこだわって、
経営支援を行っています。
本当の名医とは、必要以上の薬を使わず、
必要以上の検査・手術を行わず、
必要以上の診療回数を重ねず、
患者さんへの金銭的・体力的負担を最小限に、健康体にすることのできる人。
との認識を持っています。
コンサルタントも、
その会社の特徴を理解し、体力にあわせて、
クライアントに無理をさせず、
早く「コンサルタントが必要ない状態」となっていただき、
最大の効果をもたらしてこそ、本当の価値があると信じています。
早くクライアントの会社から「自らの存在を消し去ること」、
つまり「クライアントからお金をいただかなくなること」
「クライアント自身で、売上を上げ続けることができるようになること」
それを至上命題として、取り組んでいます。
「そんなことをしたら、御社の売上が下がってしまうんじゃない?」
と、心配してくださるクライアント様もいらっしゃいます。
大丈夫です!
また、互いに成長した姿で、お会いしましょう。
必要とされるところでこそ、価値は生きます。
また
「存在を消し去る」「お金をいただかなくなる」とは、
「クライアント先の可処分の利益を増やすこと」と、ほぼイコールに等しいのです。
自分のお金も大事ですが、
相手に儲けてもらうこと。が、何よりも大事です。
年始にあたり初心に回帰することも踏まえて、書き留め、ご紹介しました。
2024年12月29日 19:27
昨年から今年にかけて、人とクマの事件が、相次いでいます。
生物好きの私としては、歴代の「クマ事件簿」についても、
実は、かなり詳しい・笑
そんな私が、
歴史に残る「第一級事件」と思っている案件が、昨年、北海道で起きました。
第一報は、
大学生が、死亡している。
その近くで、クマが1匹、死亡している。というものでした。
衝撃のミステリーでした。
「え?相討ち?」
「もう一頭、別の狂暴クマがいて、クマ同士も戦った??」
「第三の殺人・殺クマ犯がいる?人間?」
なぜ、そうなるのか?
謎の解明のため、想像力が掻き立てられました。
数日が経過して
3人の消防士が、同時期に登山中、クマに襲われていたことが判明する。
そのとき、1人が崖に落ち、2人でクマに応戦。
持っていたナイフで戦い、撃退した。とのこと。
事件の真相を、
時系列で整理すると、こうゆうことでした。
1人登山の大学生が、クマに襲われて、死亡する。
クマがエサとして独占・縄張り化。
↓
その数日後、現場近くを通りかかった、消防士3人が、そのクマに襲われて、応戦。
↓
クマは、消防士から受けたナイフの傷が、致命傷となり、
大学生の死体(=エサ、自分の縄張り)近くで、数日後、絶命する。
※
一人目の大学生を自分のエサとして隠し、
そこを通りかかる人間をエサ(もしくはエサを奪う敵)とみなして襲いかかるも、
逆襲されて、大学生の近くに戻り、死んだ。
さすが・・・消防士、最強なのです。

刃渡り5cm程度の、小さなレジャーナイフで、致命傷を負わせた。
馬乗り、ならぬ「熊乗り」になられながら、
巴投げの体勢で耐え、顔=牙が近づいたところ、首元にナイフを刺した。とのこと。
クマの体長1メートル25センチ(=鼻先から尾の付け根まで)
体高51センチ(=前足掌の裏から肩の一番高いところまで)
身長だけで言えば、子供程度の大きさである。
人間の子供サイズのクマでも、
学生一人では、殺されてしまう、
消防士二人で、小さくても道具があれば(準備万端での登山なら)殺せる。
異種、生命のギリギリの攻防戦。
昨年は、
「怪物」と言われた「OSO18」も、駆除されました。
↑OSOについても、とても教訓が多い。
今年も、人とクマの事件で、犠牲者が出ています。
自然との共生のあり方、
これも大きな教訓となります。
本来、草や木の実が主食のクマに、人間も含め、
それ以外もエサになりえることを教えてはいけない。
今年は、幸い、お世話になった身近な方の訃報に接することはありませんでした。
もう50過ぎです。
まあ、生きて、あと20年程度。
今年は「生きてるうちに、会いましょう」と
旧友たちから声をかけてもらうことも多くなってきました。
再会の縁をいただけることに、感謝です。