2020年11月15日 21:18
支持政党別の賛成・反対のグラフが、こちら。

公明党のことも、さることながら、
自民党の「懐の広さ」も、感じた。
党としては、反対でありながら、
自民党支持者のうち40%が、賛成にまわっている。
維新の賛成率は、90%以上。
90%以上が、同じ意見を持つ政党。。という点においては、
この件における性格は、共産党と同じである。
自民と比べれば、まだまだ、未熟である、と言い換えることもできる。
成熟すれば、多様性を受け入れることができるようになる。
未熟なときは、単一的であること、やむなしである。
これは、
零細企業→中小企業→大企業への進化と違いにも、似ている。
大人と子供の考え方の違いにも、似ている。大人は、色んなものを受け入れることができる。
小さな会社は、単一的であり、
社長の考えに、ビシッと一致していないと、
共倒れになる。倒産への道、まっしぐらである。
本当に最後、余計なことながら。。
この統計グラフには、決定的にダメな点がある。
何か、わかりますでしょうか??
答えは、来週の週末ごろにでも!
お考えくださいませ。
見事、的中の方には、、何にもプレゼントはありません。。笑
「凄い!」の一言を、真心こめて、送ります。
2020年11月14日 22:08
大阪の選挙、教訓のラスト2つ。。
投票前の予想ブログに「裏で、公明党と組んでいる」と書きましたが、、
組んだつもりの公明党側が、党内をまとめ切れず、
公明党の半数が反対派にまわった。ということが起きていました
選挙のとき、無類の団結力を発揮する公明党が、
今回、機能していなかったということ。
援軍がどの程度、本気で戦ってくれるのか?
これによって、
勝敗が決することがある。
というのは、古来、戦史の鉄則である。
期待していた援軍が来ない、
来ても戦うポーズだけして、自分の兵力を温存していた。とか、
本気で戦わない、意思統一ができていない。
というのは、よくある史実である。
私たちも「援軍」的なものを、
頼むときは、この点の「温度=どこまで本気でやるのか?」についての
目算に注意しましょう!
そして、
もし「援軍」を頼まれたときは・・・
後々まで、歴史にどう刻まれるのか?を、考えて、動きましょう。

投票の当日。。
ナマ吉村さんに出会いました!
「こっちも、向いてー」って言ったら、こっち、向いてくれました。
「あ、ありがとうございます!」って・笑
めっちゃ、イケメンでした!
2020年11月8日 22:59
次に、所得と比較してみる。

賛成率と世帯所得とは、
ある程度、比例している。
高齢化率の次に、作用しているようである。
5)異常値である「阿倍野区」は、最も所得が高い、高齢化率は進んでいる地域。
帝塚山、北畠という、昔からの資産家
=成り上がりでない本物の金持ちが住む高級住宅街がある。
6)同じく、異常値である「東淀川区」「浪速区」は、所得が低いが、若年層が多い地域である。
7)大阪名物?全国トップを誇る(恥)「生活保護世帯率」は、西成区で30%以上。
西成区以外の区でも、実に、10世帯に1世帯が、生活保護受給世帯である。
8)商業施設、交通、産業等の街づくり開発が、地域の発展に大きく寄与している。
最後に・・・
データからは、飛躍しているかもしれない。
「鶏が先か、卵が先か」の議論となるが。
先が、どうなるかわからないことに対して、
「変えてみたい」と、考える人は、所得を増やすことができる。
「今のままが良い」と、考える人は、所得が増えない。
こんなことも、データより、私は、教訓とした。
統計の作り方、読み方は、人それぞれである。
多少の偏見や間違いがあっても良い。
大切なのは、それの活かし方である。
2020年10月31日 21:04
立地が悪くて、
人通りが少なく、目立たない場所だからこそ、
こうして、いい感じの「隠れ家感」を、演出ができる。

路地裏を入って、見つけたときの感動とワクワク感が、120点。
・・・
このオーナーが、物件探しの段階で、
何も、手の入ってない状態の空き物件を見て、
どんなことを考えたのか??・・・を、想像する。
こうゆうアイデアや発想が、どこから出てきたのか??と。
2020年10月24日 22:34
知は、刀である。
情は、刀を入れておく鞘である。
知識・見識・知性は、切れ味鋭い刀である。
身を守り、身を立てるために必要である。
しかし、振れば、他者を傷つけ、
ときに、自分も傷つける。
そこで、
情という鞘が必要になる。
相手を思う気持ち・心・なさけ・誠意である。
切れない刀(=知性なき人間)では、役に立たない、戦いに勝てない。
鞘(=情深き人間)だけあっても、戦えない。
※これが、真の達人レベルになると、鞘だけでも勝てるらしい・笑
現代の「武士」は、
研ぎ澄ました知という刀を、
情という鞘に納めて、歩くのである。