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働くことは、生きることである。親の影響。

日本は資源のない国。
ヒトが、勉強して、働いて、
自分が優秀な資源とならなければ、世界に太刀打ちできない

私の親は、そんなことを言っていた。
今、とても感謝している。

小学校や、中学校の社会科の授業で、
産油国や資源輸出国のことを知ると、そのことが「事実である」と、結びついた。

日本人は勉強して、賢くなって、
優秀な人材が、モノを作って、
それを海外の国が買ってくれて、国が成り立っている。

そうやって、敗戦から復興した。

自分や友達が「資源」ならなければ、ならない。
日本とは、そうゆう国だ。と。

当時、世界各国から
「日本人は働き過ぎだ」「世界の常識では考えられない」「もっと休め」と言われていた。
「でも、その通りにしたら、日本はダメになってしまう。
日本をダメにしようと圧力をかけてきている」とも教えられた。

そして、「働かざる者、食うべからず」とも、言われ、実行されていた。
子供であっても、
やることをやっていないと、食べることはできない。

時々、母親に「兵糧攻め」された。

「団塊世代」の親のうちでも、少し古風な考え方なのかもしれない
でも、世の中を覆う一般的な考え方だっただろう。

そうゆう親のもと、育てられたから、
「働く」ということは、イコール「生きること」であった。

だから、先輩方の教えも受け入れることができたし、
コンサルタントとして、まさに「働く=生きる」状態である経営者の皆さんとも、
同じような感覚で、仕事ができている。

ちなみに、
今の20代、30代スタッフの親世代は、「しらけ世代」と呼ばれる世代。
1950年~1960年前半生まれ、現在50代後半~60代
「無気力・無関心・無責任」の三無主義が風潮で、
仕事に対してはクールに割り切る。
DCブランド、スキーやテニスを楽しみ、個人主義がスタートした世代。

団塊世代は、、比較的同質な経済状況や価値観を持っているが、
その次の世代である、しらけ世代は、世代間でも、ライフスタイルや家計に差が出てくる。

20代、30代のスタッフさんに、
日本人や働き方について「親から、どう聞かされていた?」と聞くと、
「日本は平和な国で良かったね」
「仕事は仕事。プライベートの時間は尊重して」という答えが多い。

経営者は、
色んな時代、家庭の背景から、身についている価値観と
一緒に仕事をしていなければならない。

ちょうど、飛行機が、、生まれ育った町の上空を飛びました。


権利と義務について

先週のブログの内容。。。
どうして、あのテーマを書き留めておいたかと言うと・・・
最近、ご支援先で「それ」を思い起させる事案が、
相次いでいるから。

私が、大先輩から聞き、学び、感じたことを、
聞かせてあげたいスタッフさんが、たくさん増えてきた。。

 
「始業時間の10分前には出勤してね、引き継ぎもあるから」と、マネージャーが教えると、
「イヤです、その時間は、給料発生しませんよね?」と、返すスタッフ。

「長時間勤務だから、バックヤードで、飲食しても良いです」と、許可を出すと、
ずーーっと、バックヤードで携帯を見ながら、モグモグタイム。
やるべき清掃等も、できていない状態で。。

「あ、掃除、気づきませんでした。でも、飲食OKと言われてマス!
 たまたま、さっきから休憩入ったところでーす」

繁忙期、相談もなしに
「旅行に行きます。有給休暇ですから。休みます!」

なんだか、、
最近、そうゆう人の比率が、増えてきているのかな??

権利と言えば、権利だけど。。ちょっと違うんだよな。

早く出勤しても、給料はつかないかもしれないけど、
モグモグしている時間はあるし、
手が止まっているときもある、だらっとしている時間もある。。ずーっと働きっぱなしじゃない。

前回のブログのように、
プラス・マイナスは、ゼロなんだろうに。

少し、こちらが損している・・・=貸し勘定がある。
くらいのほうが、
人生トータルでは、上手くいく。
そうじゃない人が、上手くいくはずがない。


人生トータルでは、 プラス・マイナスゼロ。自分の実力通りになる。

船井総研で、サラリーマン・コンサルタントをしていたころ。
自分の成績と、収入の関係には、こだわっていた。
特に、生意気盛りの20代の後半。

これだけの成績を収めたら、
このくらいの給料はもらえるだろう。
あの先輩は、このくらいの成績で、こんな動きをしていて、このくらいの収入だ。
じゃあ、俺はどのくらいに評価してもらえるのか?

今よりも、もっと、とんがっていた。嫌な社員だっただろうな~~。

ただ、、、
お金そのものについては、実際に振り込まれているかどうかは、一度も確認したことがない。
現ナマは、見なくても、問題なかった。
評価のほうを気にしていた。そうゆう意味では「リアリスト」ではない。

自分の成績も、会社の売上も上がっているのに、
年収が減ったこともある。
所属チーム、部署が予算未達だったから。
それでも個人の労働分配率(粗利に占める給料の割合)は20%台前半の好成績。

「なんでやねーーん!」と怒る。

素行に問題あり社員や、成長の悪い社員を
「どこも引き取るところがないから、オマエのところで面倒見てやってくれ」
と言われ、自分も「それを乗り越えてこそ男だ」と思って、自分の部署のメンバーにした。

だから、
当然、チームとしてのパフォーマンスは下がる。
「1年間奮戦してきたのに、結局、内容じゃなく、数字しか見ないのかーーー!」

 
そんなとき、船井幸雄会長が、ボーナス支給日、
全体の会議の場で話していた言葉に、救われた。

「こんなに頑張っているのに、ボーナスはこれだけか・・・と思う人もいるでしょう。
俺は、実力に比べて、もらい過ぎているかな?と思う人もいるでしょう。
でも、長い人生をトータルで見れば、
プラス・マイナスゼロになるようにできています。
実力よりもボーナスのほうが低い人は、
後で必ず、たくさん戻ってきます。
今、実力よりも、もらい過ぎた人は、
後で、その分だけ損をするようになります。
早く、その金額に見合う力をつけるようにしてください。
世の中には、色んな会社や仕事があり、
もっと努力をしている人がたくさんいます。」

 
船井総研では、社内のデキる社員を集めて、チームを作り、
楽に稼げる業界をコンサルティングすれば、成績は上がり、収入も上がった。
それが最短距離で、多くの社員はそうしていた。

ダメの烙印を押された社員も、受け入れる、
色んな業界のコンサルティングを行うという、私のスタンス。
ここを評価してくれる先輩も、いてくれた。

「中西、今は、大変かも知らんけど、
世の中全般、人生トータルとしては、オマエのやり方のほうが、正統派やで。
会社の中の常識だけで生きるなよ」

こんなことを語ってくれる先輩方がいたことに、
当時も救われ、感謝した。

そして、今、その通りになりつつある。
良かったなあ~と思っています。


いつもの支援時間よりも、ちょっと早めに終わりましたので、
夕日が見える時間に、空港に着きました。

ふと、そんなことが頭をよぎり、書き留めておきました。


「右上がり」のダンディズム


地方の公共施設が会場となっている勉強会。
入口看板に、
「ロゴ入り」で社名を書いていただいていました!!

この、ちょっとしたお気遣い、とっても嬉しいです。
ありがとうございます。

こんなことをしていただける主催者様だから、
ご自身の会社も、仲間も、お客様に支持されるのでしょうねー。

 
余談、、
ロゴのような
「右上がり」には、独自のこだわりがあります。笑

例えば、
ご支援先の販促物を作るとき、
タイトル回りによく使うことがある、ちょっとした「吹き出し」
・・・文章の端に、ちょこっと付け足すスペース・・・ わかりますよね??

これを「右下がり」にデザインしてくるデザイナーや印刷会社には、
毎回、「ここ、右上がりにして!」と校正を出します。

だから、私が最後まで校正した過去のチラシやDM、ポスター等の販促物には、
「右下がり」のスペースは、一切、ないはず。

「右上がり」デザインか、
「右下がり」デザインか・・・
普通の人からすれば、同じかもしれない。
デザイナーさんは、スペースの加減や、なんとなく・・・で決めているかもしれない。

私のなかでは、同じように見えて、同じでない。。

ただのゲン担ぎで、
販促物の効果自体には、それほど影響はないだろう。
ご支援先の社長ですら
「そこはどっちでもいいですよ、中西さん」と言ってくれるかもしれない。

でも、
社長の心に、ピッタリ寄り添い、
少しでも、売上を上げてもらいたい!
一抹の不安要素すら、排除して、現場に落とし込みたい。
そんな思いから、、
「右上がり」には、こだわりがあるのです。


上州名物・かかあ天下とからっ風

「〇〇、こんなんじゃダメだろー!」

社長を呼び捨てにして、ズバッとダメ出しするのは、
社長のお母さま。
夕方、工場の仕事を終えて、事務所に顔を出す。
いつも肩にタオルを巻いている。
全力で仕事してきた感が、全身から沸き立つ。
髪は、短髪。チーター(水前寺清子)のような。

「ナニ、言ってんだ、これはこうゆう意味でやってんだよ!」
息子である社長も、負けずにやり返す。

目の前で、数分間、激しい言葉が飛び交う。

「そうかい、じゃあもう、好きにしな!」

この親子バトル、
いつも決まって、お母さまの、この言葉で終わる。

 
驚くことが、いくつかある。

この言葉を発したあとは、まったく何もなかったかのように
ごく普通の会話に戻る。
あれだけ罵倒しあっていたのに、お互い、ジトジトあとを引かない。
カラッとして、今までの喧嘩が、嘘のような平常になる。

そして、
言いたいことを言って
「好きにしな!」と言ったあとは、本当に、好きにさせる。
息子も、母親の言うことを、少し勘案しながら、施策を決めている。

最後に、
暴風雨のような親子は、バトル中も、そばにいる私を、絶対に巻き込まない。
「ねえ、中西さん」とか「中西さんは、どう思う」とか、
「だいたい、アンタがついていながら・・・」とか、一切ない。
仲裁の必要なく、完結させる。
まして、1対1を、2対1にしよう・・なんて気は毛頭ない。
私には「すみませんねー」と言いながら、やりあっている。

 
場所は、群馬。

「上州名物・かかあ天下と空っ風」という有名な言葉がある。

養蚕で栄えた群馬では、勤勉で働き者の女性が多く、発言権も強かった。
からっ風とは、激しく、乾いた「赤城おろし」。
吹き荒れるのは日中の一時で、夕暮れには、止んでしまう。そして晴天をもたらす。

まさに、この言葉の通り、上州名物の親子喧嘩だった。

お母さまの訃報。
同じ地域にある、ご支援先の葬儀社さまから、
ご連絡いただき、知ることとなりました。
ご冥福をお祈りします。

もう、この素敵な「上州名物」を目にすることはできない。
でも、私たちの胸のなかには、
学ばせていただいたことが、生き続けている。





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