2019年7月13日 9:22
できない人は、言葉で説得し
できる人は、行動で説得する
できない人は、話したがり
できる人は、聞きたがる
できない人は、お金を求め
できる人は、成長を求める
できない人は、過去にこだわり
できる人は、未来にこだわる
できない人は、不可能と思い
できる人は、可能と思う
できない人は、他人のせいにして
できる人は、自分のせいにする
できる人もできない人も
能力にほとんど差はない。
ほんの少しの意識の違いによって
結果に差が生まれる。
上記の文章は、
ご支援先の社長が、私や幹部さんに向けて、
半月ごとに売上の速報値とともに、
感じたことをメッセージとして、定期配信しているメールからの引用。
まったく、同感。
そして、非常に良くまとまっている。
今の自分は、
できる人、できない人。どっちだろう?
※
できない人に限って・・・
「私は、できている」と判断するから、
こうゆう文章を見せても、話にすらならないんだよな~・笑
この文章に、1行、付け加えるとしたら・・・
この文を読んで、
できない人は、私は「できる」と自認し、
できる人は、私には「できていない点もある」と自認する。
こんな感じかな。
2019年7月7日 22:03
始末(しまつ)という言葉には、色んな意味がある。
1)「始末をつける」物事の終わり、片付け。処理。
ワル者が「さっさと始末してしまえ!」って、使ったり、
「始末に負えない」や「始末が悪い」とも使う。
2)「始末を見守ろう」初めから最後までの顛末。事の成り行き。という意味もある。
3)「挙句に、この始末かよ」良くない結果。を示す場合も。
大阪では、このようにも使われる。
もしかしたら、全国的には、一般的ではないかもしれません。
4)「始末する人」倹約する人。無駄遣いせず、生き金を使う人。
当社のスタッフは、私が何も言わなくても、
社内用のメモ用紙を、雑紙をリサイクルして、こう使ってくれている。
「始末する人」「始末できる人」だ。

この一事は、万事を示す。
全てにおいて「費用対効果」を考え、動いてくれる。
とてもありがたい。
だから、会社に利益が残る。還元もできる。
社会情勢がどうなっても、
安定的に、お給料を払い続けることができる会社を作ってゆける。
自分が一人前以上の仕事ができていないうちから、
ラクして稼ぐこと、
権利の主張が多い人は、
うちの社風にあわないから、入社しないほうが良い。
2019年6月15日 21:39
「お前に、ずっと、謝ろうと思ってたことがあるねん」
30年ぶりの中学同窓会で。
このヤンチャ系・バスケが上手な(ヨコやん)と再会。
開口一番、声をかけられた。
中学時代、ある日の試合での出来事。
中西君は、レギュラーの末席として、試合に出ていたが、
試合中、足首を痛め、ベンチに引き下がった。
ジャンプして着地した場所が、相手チーム選手の靴の上。
足首をグネッっと、やってしまったのだ。
すると、
このヨコやん、試合をしながら、
ベンチの顧問と中西少年に、
「試合に出ろ!!」
「アイツ(代わりのメンバー)じゃ、勝てないから」と。
顧問も、顧問で・・・
「中西、ああゆうとるぞ、行けるか?」と聞いてきた。
「行けるか?」と言われれば、
「わかりました。行きます!」としか、言いようがないだろ!
レギュラーとなり、殴られることを受け入れ、
目的達成のための仲間との信頼を感じ、
「ヘタレ」から、少しだけ強くなっていたかもしれない中西少年。
足は、めちゃめちゃ痛かったけど、
意気に感じ、チームのために・・と、そこから最後までフル出場。
翌日、あまりにも痛く、腫れあがっていたから、
病院に行ったら「折れていますね」。
骨折していたのだ。
彼は、そのことを気にしていてくれていたみたいで、
30年ぶりの再会で、声をかけてくれた。
いやいや、
市内でも1、2を争うプレイヤーだったヨコやんに、
足が不自由でも、お前が必要。と言われたことを、
誇りに思っている。嬉しかったで。
ということは、伝えた。
まだ、
「レギュラーになれ。一緒に殴られよう」
と言ってくれたことに、お礼が言えてない。
次、会った時には、必ず、伝えよう。
・・・
実はこのとき、骨折の原因となった「相手チームの着地シューズ」の選手こそ、
後の北陸高校・出口選手。(知る人ぞ、知る選手・・・)
中学生で、2m近くの身長。
靴の大きさも、見た事ないサイズだったから、そりゃ、乗っかる。
当時は、ただデカイだけの大らかな選手という印象だったけど、
中学卒業後、当時、まだ無名だった北陸高校に進学し、
たった1年弱で見違えるほどの動きをする選手となった。
そして、インターハイ・決勝での奇跡の大逆転優勝の立役者に。
部活の帰り、量販店のテレビの前で、ちょうど観ていた。
佐藤信長・関口聡史・長谷川誠・・
後の「スラムダンク」のモデルであろうタレントの揃った
最強・能代工業に、勝ち、初優勝。
「勝利を運んだ1年生」と話題だった。
これも、ちょっとした誇りと、思い出だ。
2019年6月14日 21:30
中学時代の部活動は、バスケ部。
顧問の先生から、
ボコボコに殴られるのは、日常だった。
バスケは好きだけど、
殴られるのは、嫌だった。怖かった。
小賢しいヘタレだった中西少年は、
中学1~2年生のとき、
チームの先輩方を見て、ルールを導き出した。
「どんな人が殴られているのか?」「どんな人は殴られていないのか?」
答えは、
「最上級生のレギュラー選手は、漏れなく殴られる」だった。(笑)
試合に出ている上手な先輩は、全員が殴られ、
控え選手は、殴られていなかった。
一番、良いのは、
試合の途中から出てくる「準レギュラー」の先輩だな・・・と判断した。
顧問の先生に殴られたのを、見たことがない。
でも、試合には出れる。
何らかの理由で、レギュラー選手が退いた後、
試合の途中から出てくるのが「準レギュラー」選手。
あまり期待されていない分、活躍すると、喜ばれる。
かっこよさが目立つ。
殴られるのは、嫌。
完全な補欠メンバーとなって、
試合に出れないのも、嫌だから、
中西少年は、ここを目指そう!とした。
あまりにも、真面目に練習すると、
レギュラーになってしまうから(なんて横暴な自信だ・・・)
時々サボらなければならない。と、サボっていた。
手も抜いた。
見つかると、怒られるけど、殴られはしなかった。
心は痛むけど、殴られて痛いよりもマシ。それで良かった。
3年生の先輩が引退した後のある日、
同級生のレギュラーのメンバー達に、倉庫に呼び出され、
「レギュラーになれ」と言われる。
「アイツ(=同じポジションの別の同級生)じゃダメだから、
お前がレギュラーになれ」と。
レギュラーになりたくない理由は、
みんな知ってたけど、
「俺らも、殴られるやん、一緒に殴られようや!」と。
部活のメンバーは、
ちょっとヤンチャ系のメンバーを中心に構成されていたから、
断ると、ちょっと面倒だな・・・笑
いう打算と、
彼らが、認めてくれている嬉しさもあり、
「わかった、やる」と、了承した。
中学も、高校も、バスケの背番号は、7番。
新幹線の自由席7番の席が空いていると、座る。

あのとき、レギュラーメンバーの同級生が、
「殴られることに付き合え。レギュラーになれ」と、
誘ってくれていなかったら・・・
今の自分は、あったかな?
たぶん、ない。
「小賢しいヘタレ」道まっしぐらだ。・・・今でも時々、顔をのぞかせる・笑
・・・
案の定、レギュラーになると、殴られた。
チームの中では5人中3~4番目くらいかな。
1番殴られたのは、キャプテンのカーくん。みんなから好かれていた。
2番は、とても上手な中心メンバー・ヤンチャ系のヨコやん。
5番は、いつもひたむきなプレイをするイッちゃん。
殴られ方には、パターンがあった。
基本は、顔面、平手打ち。
避けたり、後退したりすると、何発も食らう。
ベンチから体育館の真ん中くらいまで、
顧問の先生は前進し、生徒は後退し、バシバシ食らい続けることもある。
そうならないための「殴られ方」のコツも、見つけた。
手が頬に当たる直前、首を緩くして、顔だけ平手打ち進行方向に流す。
しかし、体自体は、前方向に。先生との間合いは詰めたまま。
怖いけど、少し間合いを詰めると、
先生も耳に当てるのはマズイと思うから、連発は避けれる。。
今となっては、良い思い出。
先生にも、友達にも、とても、感謝している。
だから、
自分は「殴らない」と決めている。
2019年6月9日 21:19
全て「自分」があるだけ。
全ては、自分の受け止め方。
教師が育てるのではない。
自分で育つのだ。
監督が育てたのではない。
自分で育ったのだ。
上司が育てたのではない。
自分で育つのだ。
生徒も、
選手も、
配下のメンバーも、
一律に成長するわけでなない。
その環境下で「自分で、何を得るか?」次第で、それぞれの成長を見せる。
たとえば、、、
教師に殴られた経験。
「あのときは・・・」と、流す人。
「俺も、殴られたから、お前のことも殴る」と、自分の経験を、他にも適用する人。
「許さない・・・」と、こだわる人。
「殴られた。だから俺は、殴らない」と、自分の経験から、別の方法を模索する人。
全ては、
自分の「受け止め方」が決めるのだ。

屋外が気持ちいいカフェ。
G20前、警官ウロウロ。厳戒態勢の大阪で朝食を。