2020年8月1日 22:22
かわいいディスタンスと出会いました!
パウチされた貼り紙よりも、断然、こっちのほうがいいですね。

本日のブログは愚痴・・・
&自分も気をつけたい教訓です。
コロナの真っ只中の4月「きっと大変だろうなー、少し助けてあげよう」と、
マッサージ屋さんに行ったときに「回数券」を買いました。
「家賃の足しくらいにはなるだろう・・」
「大変でしょうが、乗り切ってくださいね」の気持ちで。
そして、8月・・・
このお店に行って、この回数券を使おうとすると・・
「有効期限が3カ月でして、、期限を過ぎていまして、使えません・・」とのこと。
あちゃーーー!!
やってしまった。。。
しかし・・・あのとき、助けてあげようとしたことが、
仇になってしまった・・・涙
スタッフさんには、恨み言ひとつ言わず、引き下がりました。
↑↑スタッフさんの役割も理解している、いい客です!笑
実は、
最近、ちょっと似たようなことを、クライアント先の社長が話されていました。
飲食店応援クーポン(先払いの回数券)を、コロナ中の春先に買ったこの社長。。
私と同じ「少しでも助けになれば・・」という義侠心で。
7月、このクーポンを飲食店で使ったそうですが、、
そのときの店員さんの反応が、
(あ~~。。無料券ですかーー)(お金が入ってこず、残念)的な
雰囲気を醸し出したものだったそうです。
回数券を買った私のほうが
「なんだか、すみません・・・」という気持ちになってしまいました。
でも、困っていたときに、助けたつもりだったのになあ。。とのこと。
人は、時間が過ぎれば、記憶が薄れてしまう生物である。
それが、長所でもある。
しかし、、当時と同じ感覚を、忘れてはならないことも、たくさんある。
もしも、自分が経営者だったら、どうゆう判断や行動をするのか?
という視点で、全スタッフが
「期限切れの回数券」や
「期限が切れていない回数券」への対応ができるようになると、きっと良い会社になる。
2020年7月19日 21:01
前職の船井総研時代、
月に1度の全体会議の際、発刊される「社内報」に、
リーダーが、文章を書くコーナーがありました。
ひと月につき、5~6人ずつ、各部署のリーダーが
近況報告や、最近のトピックスなどを書きます。
これが、年に1度くらいは、回ってくるので、
「労力と効果」を打算的に判断し、毎回、同じ内容を掲載していました。
その内容が、こちら。
↓↓
遠くをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す。
遠くをはかる者は、
百年のために杉苗を植う。故に富有なり。
近くをはかる者は、
ただ眼前の利に迷うて、
まかずして取り、植えずして刈り取ることのみ。故に貧す。
以上、二宮尊徳の言葉。
チームメンバー全員で「遠くをはかり、苗を植え、富有る者」となるべく邁進中です!
↑↑
おそらく、各リーダーの寄稿文の中で、最も短文であったと思います。
「目の前の利に迷い、刈り取るだけ」ともとれる会社体質への
「アンチテーゼ的な意味合い」と解釈できる内容であったため、
会議で社内報が配布された後、時々
心ある上司、同僚、後輩から「中西さん・・・(ニヤリ)」と、声をかけられる・笑
毎年、同じ内容。。ということに、気づいている人は、
編集者である総務部スタッフも含め、ほとんどいなかった。笑
500人規模の会社の
月1回の社内報の寄稿文コーナーの一人の内容が、毎年同じ。。
「気づくか、気づかないか」
「気づかないだろう」という仮説を確かめる意味でも、実験していました。

遠くをはかり、苗は植えていましたが・・・
不良社員でしたねー。。
2020年7月18日 20:57
毎年、7月7日=七夕が近づくと、
当社が入居しているオフィスビルが、
1階ロビーに、笹と短冊を用意してくれます。
今年は、忙しくて、願い事を書くタイミングがなかったのですが・・・
7月7日の夜中、オフィスに戻ると、
スタッフさんが、用意してくれていました。
願い事は、毎年、同じ、この内容。

追っても、追っても、
追いつかないかもしれない夢・・・・。
でも、しつこく、しつこく、しつこーーく、追いかけ回します!
2020年7月11日 22:20
工場長は、号泣していた。。
コロナの影響で、担当工場の閉鎖が決まり、
会議で発表されたときのことである。
これまで、苦楽を共にしてきたスタッフたちは、
おそらく、職をなくすであろうこと。
その場が、なくなること。
過去の思い出や、人の顔が思い浮かんだのだろう。
男泣きしていた。
もちろん、工場閉鎖は、彼のせいではない。
コロナであろうが、
雨が降ろうが、ヤリが降ろうが、
工場に荷物を集めきれなかった、
社長とそれを支えるコンサルタントである私の責任である。
二度と、このような目にあわせてはいけない。
日ごろから「やるべきこと」を、やっていないと、このようになる。
彼の涙以降、会議に集まるスタッフたちのなかで、
加速的に良化する人たちが出てきた。
それまで、先輩たちに気を遣って、自分の意見を
遠回しに発言していた幹部が、ズバリ直言するようになった。
それまで、意見を求められれば、的確な発言をしてくれていた幹部が、
意見を求められなくても、発言するようになった。
一方で・・・
残念ながら、それでも変わらない幹部もいる。。
ある後輩が、私に「名言」を吐いた。(珍しく)笑
「コロナは、経済・経営を壊したのではない。時間を早めただけです」
まさに、その通りである。
「生意気」だからこそ、とても、勉強しているヤツである。
3年後、消滅していたであろう会社や店が、
この半年間で消滅することになっただけ。
いずれ、近い将来、なくなっていた。
3年先も、繁栄している会社は、今、元気にやっている。
3年先、消滅していたコンサルタントには、今、仕事がない。
リモートワークも同じ。いずれそうなっていた。
ネットの繁栄、海外との交易交流のあり方・・・・
全て「いずれそうなる」が、一気にスピードアップして現出している。
人間も同じである。
悠長に「コロナが終われば・・」などと、
今、自分の仕事内容をギアチェンジして
これまで以上に、充実させることのできない人間は、
「スピード感をもって」腐ってゆく。取り残される。給与が減る、職を失う。
いずれ、そうなっていたのである。
前述の「覚醒した」幹部たちは、
3年後、会社の大幹部になる人間たちである。
ここから一気に、登ってゆくだろう。
いずれ、そうなっていたのである。
2020年6月27日 20:58
ここから、2回連続で、オール余談「読んでも得なし・ヘビー」分類
・・・
私の「虎辞書なる」の愉しみ方は、
往年の名選手たちの姿を見ることにある。
勝負の世界で、メシを食うため、勝つため、生き残るために、
必死で「工夫」を重ねた姿が「個性」として、そこにある。
その個性が、彼らのストーリーと重なって、
存在感に磨きがかかり、今でも光り輝いている。

投手は、アンダースロー・細身の男前、小林繁。
1978年、江川の「空白の1日」事件で、巨人のエース小林が、
ライバル球団の阪神にトレード移籍。
どうしても巨人に入団したい江川が一度、阪神に入団し、
即日、巨人・小林とトレードされたのである。
トレードに出された小林投手は、移籍会見で、
恨み言を一切言わない、毅然とした態度。
移籍1年目から、巨人戦に闘志を燃やし、志願して巨人との試合に先発。
巨人戦8連勝。その年、22勝。
中西少年は、1978年当時5歳だから、ほぼ記憶にない。
ただ「江川=悪者」「わがままなヤツ」のイメージだけが、植え付けられた。
幼少期の教育とは、恐ろしいものである。
最近の酒造メーカーのCMでの小林・江川の共演は、じーーんと来るものがありました。
対する打者は、篠塚利夫。。
こちらも、細身で長身の天才・高打率打者。
千葉の名門・銚子商業で、2年生から主力。夏の甲子園優勝を経験し、巨人に入団。
西武ライオンズ(今年からメジャー挑戦)の安打製造機・秋山昇吾選手が、
某テレビ番組における篠塚さんの一言で
「流し打ち」の極意を知り、そこから、一気に打撃開眼したこと。
イチロー選手は、篠塚モデルのバットを使っていたこと。。等も、有名。
映像を見ながら、37年後の現在の「裏付け」がとれる。
当時から、体力やセンスだけでなく、知性的な理論も兼ね備えていたのだ。
それを感じながら、当時のスマートなバッティングを見ると、とても感慨深い。

投げるは、左のサイドスロー投手の代表格・角盈男。。
主に、左打者が出てきたときに、起用されるが、
現代野球のように、左打者対策だけのワンポイント・リリーフ。ということはなく、
右打者とも、対戦していた。そうゆう時代である。
・・・小林も角も、野球選手としては、珍しい鳥取県出身であり、
アンダースローに転向した投手である。
※「左のサイドスロー」について、明日のブログに詳しく、展開します。
そして、対する打者は・・・我らが「浪速の春団治」こと、川藤幸三である。
足の怪我をきっかけに、20代で、代打の専門に。
打席に入るだけで、結果がどうあれ、
ファンが、大喜びして盛り上がっていた選手である。
なぜか?
野球が好き、チームが好き、そうゆうことを象徴する、
ある事件が有名である。
34歳で、戦力外=クビを通告されたとき「給料はいらんから、野球を続けさせてくれ」と、
球団に懇願し、最低保証年俸で契約。
この話を知った阪神ファンの関西の有名人達が「川藤の給料を、俺たちが出そう」と、
ヒット1本・1万円のカンパ形式で、お金を集めて、本人に渡そうとした。
しかし、川藤は「受け取るわけにはいかない」
「自分のためでなく、ファンのために使う」と、
このお金で、甲子園の年間予約シートを購入し、毎試合ファンを招待したという。
外国人選手にも(英語は話せないが)積極的に話しかけて、
異国の地のチーム内で、孤立させることはなかった。
「給料はいらないから、仕事をさせてくれ!」
いざというとき、そう言える、自分でありたいものである。
もちろん、そうならないように、不断の努力は続けるが。
根底に、この心構えがあれば、決して見捨てられることはない。
この逆「給料は欲しい、仕事はそれなり」では、切られる。
いつも心に「川藤」を・・・。
個性的でありたい。
と思って、個性的になったわけではない。
生きるための「進化」が、そうさせた個性派の選手たちが、
昔も今も、プロ野球で、躍動している。