2022年8月28日 20:46
ひと言で「犬」と言っても、
ドーベルマンからチワワまで。
「馬」と言っても、サラブレッドから道産子まで。
「コロナ」と言っても、アルファからBA5まで。
同じ分類だけど、その性質は、大きく異なる。
その扱いを、同じに扱うべきではない。先日、そうゆう主旨のブログを書きました。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2022/08/06/
そして、ブログの最後に、
ヒトの職業のなかで、ひと言で分類できないほどに、
違いがある職業とは、何か?と、質問しました。
今回、その答えを、書いておきたい。
それは、、、
皆さん自身の職業である。
仕事するなら、そうゆう矜持(プライド)で、仕事していなきゃ、ダメだ!
って、ことです。
私は、一発で「コンサルタント」である!と答える。
皆さんは、一発で「自分の職業である!」と答えて欲しい。
自分の職業だ。と思わなかった人は、
今の自分の仕事に、真剣に取り組んでいない。誰にも負けずにやってゆく!
と日々、革新していない証拠です。一番になる!と仕事してない証拠です。
クリーニング店の受付スタッフさんは、「そりゃ、クリーニング受付でしょ!」
クリーニング店経営者は、「そりゃ、クリーニングの経営者でしょ!」
どのくらいの人が、
私の問いに「正解」を出すことができたでしょうか?
自分の職業以外を答えたヤツ・・
血ぃ、吸うたろか!
「芸人さん」も、同じ職業名でも、その性質、ピンキリですよね。
それでも、私は「コンサルほどピンキリじゃない」と、思っています。
2022年8月14日 20:02
大阪のアングラ映画館より。
アフガニスタンで活動した医師・中村哲さんの映画を観てきました。
以前から、その活動を知り、畏敬の念を抱いていた中村医師は、
2019年12月、現地で武装勢力の襲撃により命を落とされました。
今回、その活動記録をまとめたドキュメンタリー映画が完成。
戦乱が続いたアフガニスタンで、
長年、現地の皆さんの病気の治療を行い、
しかし、病気を根本的に改善するためには、良い土地そのものがなければならない。
と、考え、
独学で治水土木を学び、用水路を作り、砂漠を緑の大地に変えたグレートな人。
アフガニスタンの数万人の命を支えたと言われている。
監督の舞台挨拶もあり、裏側や秘話も聞けました。
改めて、たくさんのことを学び、感じる。
以下、今回、印象に残った中村哲さんの言葉
「平和とは理念でなく、現実の力である」
「安全は、武器を作るよりも、信頼を作ることによって、もたらされる」
「利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、
人の心に触れ、信頼を作る」
「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」
私は、ずっと、クライアントのために「武器」を作り、
「作戦」を考案している。
哲さんは「信頼」のほうが、安全をもたらすという。
うーん、考えさせられるなあ。
武器と信頼のジンテーゼとは、何か?
映画に行く前、一応、19歳を誘ってみたら、ついてきました。
映画館内の来場者を見渡すと・・・きっと最年少だな。
館内は、ほとんどが年配者。
若い人にこそ観てもらい、何かを感じてもらいたいけどなあ。
ジジイになってから、コレ観ても手遅れだぜ!
映画館を出ると、感想を聞く前に、感想を言ってきました。
19歳の着眼点は、なかなか面白い・笑
その感想を題材に、
ここには書けない内容だけど、価値あるミーティングを開催しておきました。
2022年7月31日 22:21
4か月前のJR東日本新幹線の月刊車内誌「トランヴェール」事件
毎月、沢木耕太郎さんの連載コーナー「旅のつばくろ」を楽しみにしています。
秀作を、このブログでも何度か書き留めました。
学生のころ、沢木さんの書籍を何冊も読み、その影響を受け、
そして、30年の月日が流れ、お互い歳をとった今。
「旅のつばくろ」を読むことで、その現在地を確認する。
毎月「旧友」に会うような感覚で、
東京駅から東へ向かう新幹線に乗るたび、楽しみにしている連載でした。
3月30日。
3月号もなかなか、良い事が書いてある。持って帰って、ヤツにも見せよう。
でも、出張中だし、、荷物になるから、
明日31日、大阪に帰るときに、カバンに入れて帰ろう。。と思っていた。
が、なんと、仕事の手の早いJR東日本は、
3月31日の時点で、4月号に入れ替えてしまっていた。
嗚呼。。不覚!!
1冊くらい入れ替え忘れて、3月号が残ってないか?と、
車内の各席を見渡すも、
そこは、さすがJRの社員(か、外注業者)、全席、完ぺき・満開の桜の表紙=4月号。
3月号の内容を、
思い出せる範囲で、忘れないように書いておく。
↓↓
沢木さんが学生時代、百貨店の外商部で、配達のアルバイトをしていた。
外商顧客である政治家や著名人、重役宅。いわゆる富裕層宅に行くが、
見るからに学生配達員の沢木さんに対して、横柄な態度をとる人も多かった。
テレビや雑誌での態度や発言。百貨店に来店した際や、社員の前とは、
全く異なるものであった。いわゆる、オモテの顔と、ウラの本当の顔である。
そんな中「井深」という表札のある立派な門構えの家の顧客だけは、
いつも丁寧な言葉と態度で接してくれる。海外製の靴下のお土産までくれたことがある。
それが、ソニーの井深大さんであった。
沢木さんは、こうまとめていた。
沢木さん自身も、これまで仕事をしてこれた一つの要因は、
取材先がどんな人であろうと、
発注者・制作者がどんな人であろうと、
まったく同じ態度で臨んできたことにある。と。
↑↑
私も、それは、心して仕事している。生きている。
時々、損しているかもしれないが。
大きな視点で見れば、それが良い。
というより、性格的に、それしかできない。
・・・・
で、
4月号に、沢木さんの連載が消えていた。
5月号にも、6月号にも、連載なし。。
突然、何の予告もなく、消えてしまいました。
最後の連載が、そんなソニーの井深さんの話でした。
先週のブログ、ソニーのリモコンで思い出しました。
2022年6月25日 21:13
スポーツネタ、あとひとつ。
キックボクシング、那須川天心と武尊(タケル)の試合より。
団体が異なるため、交わることのなかった
最強の2人が、その垣根を超えて対戦。
一歩も引かぬ、とても良い試合でした。
この試合を観戦して、思い出したのが、
1994年のボクシング、辰吉丈一郎対薬師寺保栄。
初の日本人同士の世界戦の大激闘。この試合に匹敵する良い試合でした。
で、「辰吉・薬師寺」のYOUTUBE動画を、もう一度観た。
天心・武尊の3Rの激闘状態が、ずーっと12R続くのである。
辰吉は52歳の現在も、世界チャンピオンを目指して、
当時から所属しているこの大阪帝拳のジムで、トレーニングを続けているそうである。
自宅は大阪市内。朝、ロードワークをして、犬の散歩、洗濯をした後、
昼からジムでトレーニング。。という毎日を送っているという。
いつか会えないかなーと思いながら、
ボクシングファンなら誰もが名を知る「大阪帝拳」の前を通る。
あの試合当時(大学生のころ)は、どちらかと言えば、アンチ辰吉派で、
薬師寺を応援していたけど、
今は、ダントツ、辰吉派である。
ジム経営、トレーナー、ユーチューバー、タレント・・・
有名ボクサーの引退後にも、様々な道があるなか、
未だに現役、困難を乗り越え、いつまでも、ボクサーとしての最強の男を目指し、
その仕事をずっと続けること。
そこを、尊敬し、共感している。私もコンサルタントとして、最強の男を目指す。
当時、勝っても負けても、多くの人の心をとらえていた理由が、
今になって、やっとわかった。
そして、生き様によって、TVに出なくなってから、ファンになっている。
唯一無二の存在である。
(直接、会ったことないから、よくわからないけど・笑。イメージの中で)
2022年6月11日 21:08
その後、四国で
手頃な岩場があれば、潜って魚をモリで突き、
龍馬に会い、慎太郎にも会い、
海沿いのサラブレッド牧場に迷い込み、
馬と一緒に、パンツ一丁でシャワーを浴びてた牧場主のおっちゃんが、
波打ち際を、暴れん坊将軍みたいに、馬に乗って調教する姿に、感動して・・・
(白のランニングシャツと白パンツ一丁の“暴れん坊将軍”である)
愛媛から夜行のフェリーで大阪に早朝、戻る。
<長距離フェリーの楽しみは・・・日のあるうちに、大浴場に入ることだ!最高に気持ちいい>
大阪に戻って、さっそくその日の昼、出社すると
机の上には、どかーーん、と、山積みの書類。。。
休んだ分、やれ!!というメッセージである・笑
・・・そこのとこの容赦も、遠慮もない。。
よしよし・・・休んだ分、やったるわ!
中西さん、戻ってきたね!ポンポンポン(肩を叩く)
「旅に出たまま、もう帰って来ないかも・・・」って、心配してたんだよー。
と、2つ上の優しい先輩。(休んでしまって、ご迷惑をおかけして、本当、申し訳ないです・・)
GWが明けた、全社会議の日、
ボクシング・川島のサインを渡すために、
ベテランの先輩のデスクに行ってみた。
入社後、初めて会った、ギラギラ系・メガネのおじさん。
後に、船井最大のパチンコチームの領袖(ボス)となる人である。
事情を話し、サインを渡すと、
「おー!そうか、そうか、ありがとう」と言って、
私の目の前で、すぐに、お礼の電話をかけ始めた
「あーー、どうも、どうも、船井総研の○○ですー」
「今、若い衆から、サインを届けてもらいましてね・・・・」
・・・
「ええ、ええ、じゃまた、よろしく!」
なんだか、かっこいいなあー。
⇒即時処理。&部下の目の前でお手本を示す。ということである。
学ぶことが、たくさんあった。
と共に、
今、この時間も、電話の向こうに広がっている
四国の大らかな自然と、人のあたたかさを思い出し、
今、自分は「修羅の現実」に戻っていることを、最も実感した瞬間である・笑。
学生の気分が、
ここで、本当に完全に断つことができた瞬間。とも言える。