2020年9月12日 22:42
ニュースを聞いて、
直感的に思ったことが、5つほどある。
仕事先での帰りの駅で、キレイな夕焼けを見ながら、書き留めておきたい。

第一「その事実については、肯定的に受け止めている」
まあ、良かったんじゃないか?
今よりは、世の中が、良くなる可能性があるだろう!!
第二「また、マスコミって、こうゆうものだなあ・・・」
テレビでは、最長政権であったこと、株価が上がったことを、称えた報道をしていた・・・
禁じ手を使って、金をバンバン刷って、強制的に時給を上げただけ。
であるという、本質の分析はしていない。
何よりも、こうゆう未曽有の事態の最中、退陣するリーダーが
世界を見渡して、他にいるのかどうか?
私は、そこを知りたい。
そうゆうことを、なぜ、報道しないのか?
世界のコロナ映像をセンセーショナルに伝えると同様に、伝えて欲しいなあ。
マスコミは、まったく信じるに、値しない。
第三「体調管理も仕事のうち。ダメ社員の象徴である」
最近の若手ダメ社員は「病気」を理由に、
長期欠勤したり、退職したりすることが多い。
その原因は、、まさかの、あなただったのですねーー!
一国のリーダーがこれでは、そうゆう人間が増えるのも、自明の理である。
「病気」が理由であると、誰も、何も、「さわれない」風潮。。。
「体調管理も仕事のうち」=それに対して給料をもらっている・・・仕事の一部である、という、
私が教えられた常識や認識は、間違っているのか?
時代遅れなのか??
持病がありながら、それと上手に付き合い、それをも活用して、仕事をしている
中小企業の社長や幹部を、私は、幾人も知っている。
第四「病気は契機であり、真因はコロナに負けた、であろう」
「台風で、木が倒れた」
なぜ、倒れたのだろうか?
「強い台風が来たから」・・・これは、きっかけ(契機)である。
「根が弱っていたから」・・・これが、本当の理由(真因)です。
と、何年か前のブログにも、書いています。
「病気だから退陣した」
これは、きっかけ(契機)である。
本当の理由(真因)は、
「政策に支持が得られない、乗り切る自信がない」つまるところ
「未曾有の事態への対処ができない」のである。
以下、2014年の私のブログからの抜粋(我ながら、なかなか良いことを書いている!)
↓↓↓
世の中で起こるあらゆる出来事に関して
「契機」と「真因」を、毎回・毎回、あやふやにしないことが大切なのです。
「契機」も大事だし、
「真因」も大事。
しかし、
繰り返しミスが起きる、
成長が足踏みしている会社や人には、
どちらかと言えば、「真因」を追究する習慣がありません。
出来事の理由を「きっかけ=契機」だけで、
結論付けてしまっていることが多いのです。
本当の理由は、なんだったのか?
根本的な理由は、なんだったのか?
それは「契機」なのか「真因」なのか、
明確に仕分けてみましょう。
「それは、なぜか?」を、3回。
自分に聞き、他人に聞き、真因を追究してみましょう。
↑↑↑
「病気だから退陣」=契機のみと、とらえている人、大多数。。。
第五「本物の強さと、見せかけの強さ、その違い」
本当の「強さ」を持ちたいもの、それを持った人を見抜きたいものである。
調子の良いとき、自分が強いポジションにあるときは、
先頭に立って、勇ましく、強そうにしている。
いざ、逆境になると、まっさきに戦場から姿を消す。押されて、流されてしまう。
もしかして、この人は、そのタイプの人ではないか??と
思っていたことが、的中してしまった。。
強さの定義についても、
過去のブログに、武将の言葉の引用を、記している。
↓↓↓
戦場で本当に強いのは、まじめなものである。
たとえ、非力であっても、責任感が強く、
退くなと言われれば、骨になっても、退かない者が、多ければ多いほど、
その家は強い。
合戦で、勝ちに導く者は、そうゆう者たちである。
↑↑↑
世界大戦中の
イギリス・チャーチルと、ナチス・ヒトラーの対比とも、重なる。
↓↓↓
勝ったチャーチルは、
厳しい現場戦線にも赴いた。
断固とした態度、信念、自信。そして笑顔と葉巻。演説。
被害地域、戦地の最前線に
足を運び、人の心を奮い立たせた。
負けたヒトラーは、
負け始めると、指令室に籠ることが多くなり、現場に姿を見せることはなかった。
勢いに乗っているとき、攻めているときは、姿を多く見せていた。
↑↑↑
以上、5つのことを、感じました!!
病気の人に、否定的なことを言ったからって、炎上しませんようにーー・笑
もちろん、、、
彼の政策に対応して、手を打っていた結果、
うまく儲けさせてもらった。という事実はあるので、
感謝はしている。
個人としては、お疲れ様でした!と言いたい。
次のリーダーの施策に、対応してゆく準備をしよう。
2020年9月6日 21:10
飲食店のお話が、連続する・・・。
こちら、満席の回転寿司屋さんの、サブメニュー。。

デザートを注文しようとしたら・・・
・プリン
・手作りプリン
両方とも、同じ220円である。。
ほほう・・・・ニヤリ・・・
店員さんに、聞いてみた。
「すみません、
手作りじゃないプリンって、どんなプリンですか??」
すると、、、やや困った顔で、、、
「そのへんに、売ってるプリンです」との答えが返ってきました。
来たーーー!!
おおーー、面白くなりそうだぞ~。
「コンビニとか、スーパーで売ってるプリンですか?」
店員さん「はい、そうです」
「じゃあ・・・ボクは、手作りプリンにします。一つください」
「あの~・・・そのへんで売ってるプリンを、注文する人がいるんですか?」
店員さん「それが、、案外、いるんです」
「へーーえ~~、意外です!」
店員さん「お子様は・・・いつものプリンがいいって・・・」
なるほど!!
そうゆうことか・・・
想像するに、おそらく、、
プッチンプリンが、カラメル部分が上になり、立った状態で出てくる。
それが、ただの「プリン」というメニューなんだ。
※
ちなみに、中西家においては、スーパーで100円以下で売られているプリンを
お子様が「今、この場で食べたい」と言っても、すんなり220円、払うことは、ない。笑
たとえ、100円ちょっとの差額であっても
(いいじゃない、それくらい)と、冷たい目で見られても、
(ケチ)と思われても。。。
「価格に対する価値」のバランスについて、コンコンと、話して聞かせて、
お子様ご本人に、注文するかどうかを、判断してもらう。
そして、、
これが、手作りプリン。である。

確かに、
これは、間違いなく、手作り感・満点だ。
量を・・・「手作り」であることをいいことに、完全に「手加減」している!笑
220円の売価に、合わせるには、やむなし・・か??
2020年8月16日 21:37
大学4年の夏、北海道ツーリングのうち、3分の1の時間を費やしたのは、
名馬に出会う牧場めぐり。

一番上の写真は、引退発表の翌日のトウカイテイオー。
在道中、偶然、目にしたスポーツ新聞で、引退発表を知って、
急きょ「二風谷」の牧場を人づてに探しまわって、やっと会う。
「帝王」の風格ある佇まい。
簡単には、近寄ってくれませんでしたが、、
何とか、この距離で、記念撮影できました。
現在では、名馬たちの繋養先は、
観光地として管理され、遠くからしか見ることができませんが、
当時は、そこに注目する人も少なく、まだまだ、大らかな時代でした。
(本当はやっちゃダメだけど・・心ゆくまで、近くで触れ合うことも、たくさんできた)
牧場に、そーーーっと入って、仕事しているおじさんに聞く。
「すみません・・・
ここに、スーパークリークがいるって、
聞いて、京都から来たんですけど・・・」
※牧場では、素人には、「馬は、馬」にしか見えず、
見分けがつかないから、こうして尋ねるしかない。
※種馬は、別の囲いに1頭だけ、入れられていることが多い。。
牧場に、観光客なんて、
ほとんど行かなかった時代だから、
厩務員さんの人柄次第で、
わざわざ、こんな風に撮影ポーズまでしてもらえることもありました。

西山牧場にて、ニシノフラワーと。
シンザン、ミホシンザン、エリモジョージ、タマモクロス、ミスターシービー、オグリキャップ、イナリワン、アイネスフウジン、リンドシェーバー、サクラユタカオー、サクラチヨノオー、サクラホクトオー、ニシノライデン、ニホンピロウイナー、メジロマックイーン、メジロライアン、ニッポーテイオー、ミホノブルボン、イブキマイカグラ、ハギノトップレディ、アドラーブル、シンコウラブリイ・・・そして、夏の休養中のライスシャワー・・・もちろん、テンポイントの墓も。。
たくさんの名馬の牧場を訪問していました。
(まだ、昔話が、つづく)
2020年8月15日 20:23
入社前から、いわゆる「ブラック企業」の呼び声、高かった??笑
のが、前職のコンサルタント会社・船井総研である。
もっとも、当時「ブラック」という言葉はなく、
単に
「めちゃめちゃコキ使われる」
「ほとんどの新入社員は、辞めてゆく」
「休みがない」会社。。と言われていた船井総研に
自ら望んで、第一志望として就活して、6月で内定をもらっていた。
クソ・生意気な22歳だったはずだけど・・・
さすがに、働くことへの不安はあった。
「俺が、そうゆう会社で、やってゆけるんだろうか?」
「生き残れるのかな??」
でも、夏の北海道ツーリングを通して、ある「変な」覚悟ができた。
「コンサルタント会社で、やるだけやって、ダメだったら、
この北海道のどこかの牧場で、住み込みで、働かせてもらおう・・・」というものだ。
↓
「いや、待てよ・・・
俺は、牧場でも、通用しない人間かもしれない。夏はいいけど、
厳しい冬に耐えられないかも。もしも、牧場がダメだったら・・・」
↓
「1年のうち、6月・7月・8月は、こうして北海道を満喫して、
9月~3月は、都会の高時給バイトで、必死で働く。
4月・5月は沖縄で、このスタイルもアリかも・・・」
北海道を
「最後、こんな自分を受け入れてくれる場所」
「帰ってこれる場所」と、身勝手に決めてしまったのだ・笑
だから、やれるところまで、頑張ろう!
もしダメだったら、北海道に帰ってくれば、何とかしてくれるだろう!
事実、仕事の物量が大変なときには、
常に、北海道の風景が、脳裏に思い浮かんでいた。
・・・・
夏の北海道のライダーハウスには、
色んな人が集まる。
もちろん、バリバリのビジネスマンが長期休暇をとってツーリングしていたり、
ナイスミドルのカッコイイおじさん達もいる。けど、
大半は、いわゆる「資本主義社会のスピンアウト組」である。
でも、
とても、人間臭くて、楽しい人たちだった。

ツーリングを通して、
最も、相容れない種類の人間とも出会う。。。
それは・・夏になると、特定の低価格ライダーハウスにやってきて、
そこの「主」のようになって、
ハウス内の一番奥の良い場所に、自分の私物を並べ、テリトリーを作り、
毎年、夏の間中、そこに居座る。
自分のことを「棟梁」などと呼ばせ、毎日、新しく泊まりに来るライダーに、
独自マナー「ここのしきたり」を小言して、
ハウス内で、偉そうなポジションをとろうとする、いい年のオッサン。
そして「棟梁」をチヤホヤすることで、
自分の「居場所」や「存在価値」を担保しようとする
「取り巻き」のオタク・ライダーども。。。笑
クソガキ大学生2人組は、
遭遇から数時間で、いち早く彼らを「○○」と見抜き、
バカにしていた。笑
(普遍的な社会の縮図を、ライダーハウスに見ていたわけだ・・)
しかしながら、
一方で・・・ここまでひどいレベルじゃなくても、
「こうして生きる方法もあるんだ」
ということも、理解し、どこかで余裕もできた。
自分が全く相容れない人からも、学び、自分に取り込んでいた。
北海道との出会い、
旅先での人との出会いのおかげで、
社会で生きるための「覚悟」みたいなもの。が、できた。
2020年8月9日 21:14
前回ブログからの続き・・・
贅沢温泉旅館での寛ぎに匹敵する、自分の中での「贅沢な旅」があったか??
あった!
その答えは・・
お金は最低限だったし、
普通の宿にすら、泊まらなかったけど、
大学4年生の夏。。友人と2人、バイクで訪れた北海道ツーリングである。

行く先も、泊まる場所も、決めないで、
とにかく、思いつくままに、北海道の色んなところに行った。
いつ帰るとも、決めていない。
「明日、どうするーー?」
「ここ、面白そうやから、行ってみよっかーー。」
そんな感じの毎日を、約2~3週間、過ごした。
宿は「ライダーハウス」という、
地元の方が、無料~1000円程度で提供してくれている
簡易宿泊施設。全員ゴロ寝。
トイレ付き、時々シャワーありで、泊まることができる小屋である。
当時は、スマホも、ネットもないから、
ライダーハウスや、名所で、出会う人たちに
「このあたりに泊まれるところないですか?」
「どこか、行って良かったところってありますか?」と、
その都度、情報を仕入れて、地図やメモを頼りに、目的地に向かう。
宿が見つからない場合は、無人駅の待合室で野宿になる。
朝ごはんは、ライダーハウスの世話好きな誰かが、作ってくれたりすることもある。
オーナーが、おにぎりを準備してくれるところもある。
コーヒーだけで済ませることもある。
昼ごはんは、
北海道限定のコンビニ・セイコーマートのお世話になることが多かった。
景色の良い川や海や山の景色を眺めながら、コンビニ弁当を食べる。
夜ごはんは、店探しの「嗅覚」が問われる。。
ライダーハウス近辺の良さげな定食屋を、調べておいてから、
ライダーハウスのオーナーに「この店、どうですか?」と尋ねる。
北海道の人は、
とにかく、みーーんな、大らかで、温かく、優しかった。
「良く来たねー」という精神(自分たちで切り拓いた、開拓者の精神)が、
根本に流れていることが体感できた。
今、考えれば、
これが、最も「贅沢」な旅だった。
就職前の若者たちに、伝えたいことである。
(つづく)