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総理=リーダー退陣に、感じた5つのこと

ニュースを聞いて、
直感的に思ったことが、5つほどある。
仕事先での帰りの駅で、キレイな夕焼けを見ながら、書き留めておきたい。

第一「その事実については、肯定的に受け止めている」
まあ、良かったんじゃないか?
今よりは、世の中が、良くなる可能性があるだろう!!

第二「また、マスコミって、こうゆうものだなあ・・・」
テレビでは、最長政権であったこと、株価が上がったことを、称えた報道をしていた・・・
禁じ手を使って、金をバンバン刷って、強制的に時給を上げただけ。
であるという、本質の分析はしていない。
何よりも、こうゆう未曽有の事態の最中、退陣するリーダーが
世界を見渡して、他にいるのかどうか?
私は、そこを知りたい。
そうゆうことを、なぜ、報道しないのか?
世界のコロナ映像をセンセーショナルに伝えると同様に、伝えて欲しいなあ。
マスコミは、まったく信じるに、値しない。

第三「体調管理も仕事のうち。ダメ社員の象徴である」
最近の若手ダメ社員は「病気」を理由に、
長期欠勤したり、退職したりすることが多い。
その原因は、、まさかの、あなただったのですねーー!
一国のリーダーがこれでは、そうゆう人間が増えるのも、自明の理である。
「病気」が理由であると、誰も、何も、「さわれない」風潮。。。
「体調管理も仕事のうち」=それに対して給料をもらっている・・・仕事の一部である、という、
私が教えられた常識や認識は、間違っているのか?
時代遅れなのか??
持病がありながら、それと上手に付き合い、それをも活用して、仕事をしている
中小企業の社長や幹部を、私は、幾人も知っている。

第四「病気は契機であり、真因はコロナに負けた、であろう」
「台風で、木が倒れた」
なぜ、倒れたのだろうか?
「強い台風が来たから」・・・これは、きっかけ(契機)である。
「根が弱っていたから」・・・これが、本当の理由(真因)です。
と、何年か前のブログにも、書いています。

「病気だから退陣した」
これは、きっかけ(契機)である。

本当の理由(真因)は、
「政策に支持が得られない、乗り切る自信がない」つまるところ
「未曾有の事態への対処ができない」のである。

以下、2014年の私のブログからの抜粋(我ながら、なかなか良いことを書いている!)
↓↓↓
世の中で起こるあらゆる出来事に関して
「契機」と「真因」を、毎回・毎回、あやふやにしないことが大切なのです。
「契機」も大事だし、
「真因」も大事。
しかし、
繰り返しミスが起きる、
成長が足踏みしている会社や人には、
どちらかと言えば、「真因」を追究する習慣がありません。
出来事の理由を「きっかけ=契機」だけで、
結論付けてしまっていることが多いのです。
本当の理由は、なんだったのか?
根本的な理由は、なんだったのか?
それは「契機」なのか「真因」なのか、
明確に仕分けてみましょう。
「それは、なぜか?」を、3回。
自分に聞き、他人に聞き、真因を追究してみましょう。
↑↑↑
「病気だから退陣」=契機のみと、とらえている人、大多数。。。

第五「本物の強さと、見せかけの強さ、その違い」
本当の「強さ」を持ちたいもの、それを持った人を見抜きたいものである。
調子の良いとき、自分が強いポジションにあるときは、
先頭に立って、勇ましく、強そうにしている。
いざ、逆境になると、まっさきに戦場から姿を消す。押されて、流されてしまう。
もしかして、この人は、そのタイプの人ではないか??と
思っていたことが、的中してしまった。。
強さの定義についても、
過去のブログに、武将の言葉の引用を、記している。
↓↓↓
戦場で本当に強いのは、まじめなものである。
たとえ、非力であっても、責任感が強く、
退くなと言われれば、骨になっても、退かない者が、多ければ多いほど、
その家は強い。
合戦で、勝ちに導く者は、そうゆう者たちである。
↑↑↑

世界大戦中の
イギリス・チャーチルと、ナチス・ヒトラーの対比とも、重なる。
↓↓↓
勝ったチャーチルは、
厳しい現場戦線にも赴いた。
断固とした態度、信念、自信。そして笑顔と葉巻。演説。
被害地域、戦地の最前線に
足を運び、人の心を奮い立たせた。
負けたヒトラーは、
負け始めると、指令室に籠ることが多くなり、現場に姿を見せることはなかった。
勢いに乗っているとき、攻めているときは、姿を多く見せていた。
↑↑↑

以上、5つのことを、感じました!!
病気の人に、否定的なことを言ったからって、炎上しませんようにーー・笑

もちろん、、、
彼の政策に対応して、手を打っていた結果、
うまく儲けさせてもらった。という事実はあるので、
感謝はしている。

個人としては、お疲れ様でした!と言いたい。

次のリーダーの施策に、対応してゆく準備をしよう。


プリンと手作りプリン。価格に対する価値

飲食店のお話が、連続する・・・。

こちら、満席の回転寿司屋さんの、サブメニュー。。

デザートを注文しようとしたら・・・
・プリン
・手作りプリン 
両方とも、同じ220円である。。

 
ほほう・・・・ニヤリ・・・
店員さんに、聞いてみた。
「すみません、
 手作りじゃないプリンって、どんなプリンですか??」

すると、、、やや困った顔で、、、
「そのへんに、売ってるプリンです」との答えが返ってきました。

来たーーー!!
おおーー、面白くなりそうだぞ~。
「コンビニとか、スーパーで売ってるプリンですか?」

店員さん「はい、そうです」

「じゃあ・・・ボクは、手作りプリンにします。一つください」
「あの~・・・そのへんで売ってるプリンを、注文する人がいるんですか?」

店員さん「それが、、案外、いるんです」

「へーーえ~~、意外です!」

店員さん「お子様は・・・いつものプリンがいいって・・・」

なるほど!!
そうゆうことか・・・
想像するに、おそらく、、
プッチンプリンが、カラメル部分が上になり、立った状態で出てくる。
それが、ただの「プリン」というメニューなんだ。


ちなみに、中西家においては、スーパーで100円以下で売られているプリンを
お子様が「今、この場で食べたい」と言っても、すんなり220円、払うことは、ない。笑
たとえ、100円ちょっとの差額であっても
(いいじゃない、それくらい)と、冷たい目で見られても、
(ケチ)と思われても。。。
「価格に対する価値」のバランスについて、コンコンと、話して聞かせて、
お子様ご本人に、注文するかどうかを、判断してもらう。

そして、、
これが、手作りプリン。である。

確かに、
これは、間違いなく、手作り感・満点だ。
量を・・・「手作り」であることをいいことに、完全に「手加減」している!笑
220円の売価に、合わせるには、やむなし・・か??


競走馬に出会う北海道旅

大学4年の夏、北海道ツーリングのうち、3分の1の時間を費やしたのは、
名馬に出会う牧場めぐり。

一番上の写真は、引退発表の翌日のトウカイテイオー。
在道中、偶然、目にしたスポーツ新聞で、引退発表を知って、
急きょ「二風谷」の牧場を人づてに探しまわって、やっと会う。
「帝王」の風格ある佇まい。
簡単には、近寄ってくれませんでしたが、、
何とか、この距離で、記念撮影できました。

現在では、名馬たちの繋養先は、
観光地として管理され、遠くからしか見ることができませんが、
当時は、そこに注目する人も少なく、まだまだ、大らかな時代でした。
(本当はやっちゃダメだけど・・心ゆくまで、近くで触れ合うことも、たくさんできた)

牧場に、そーーーっと入って、仕事しているおじさんに聞く。
「すみません・・・
 ここに、スーパークリークがいるって、
 聞いて、京都から来たんですけど・・・」
※牧場では、素人には、「馬は、馬」にしか見えず、
 見分けがつかないから、こうして尋ねるしかない。
※種馬は、別の囲いに1頭だけ、入れられていることが多い。。

牧場に、観光客なんて、
ほとんど行かなかった時代だから、
厩務員さんの人柄次第で、
わざわざ、こんな風に撮影ポーズまでしてもらえることもありました。

西山牧場にて、ニシノフラワーと。

シンザン、ミホシンザン、エリモジョージ、タマモクロス、ミスターシービー、オグリキャップ、イナリワン、アイネスフウジン、リンドシェーバー、サクラユタカオー、サクラチヨノオー、サクラホクトオー、ニシノライデン、ニホンピロウイナー、メジロマックイーン、メジロライアン、ニッポーテイオー、ミホノブルボン、イブキマイカグラ、ハギノトップレディ、アドラーブル、シンコウラブリイ・・・そして、夏の休養中のライスシャワー・・・もちろん、テンポイントの墓も。。

たくさんの名馬の牧場を訪問していました。
(まだ、昔話が、つづく)


覚悟は、自身の思考確立によって ~対極も取り込む

入社前から、いわゆる「ブラック企業」の呼び声、高かった??笑
のが、前職のコンサルタント会社・船井総研である。
もっとも、当時「ブラック」という言葉はなく、
単に
「めちゃめちゃコキ使われる」
「ほとんどの新入社員は、辞めてゆく」
「休みがない」会社。。と言われていた船井総研に
自ら望んで、第一志望として就活して、6月で内定をもらっていた。

クソ・生意気な22歳だったはずだけど・・・
さすがに、働くことへの不安はあった。
「俺が、そうゆう会社で、やってゆけるんだろうか?」
「生き残れるのかな??」

でも、夏の北海道ツーリングを通して、ある「変な」覚悟ができた。
「コンサルタント会社で、やるだけやって、ダメだったら、
 この北海道のどこかの牧場で、住み込みで、働かせてもらおう・・・」というものだ。

「いや、待てよ・・・
 俺は、牧場でも、通用しない人間かもしれない。夏はいいけど、
 厳しい冬に耐えられないかも。もしも、牧場がダメだったら・・・」

「1年のうち、6月・7月・8月は、こうして北海道を満喫して、
 9月~3月は、都会の高時給バイトで、必死で働く。
 4月・5月は沖縄で、このスタイルもアリかも・・・」

北海道を
「最後、こんな自分を受け入れてくれる場所」
「帰ってこれる場所」と、身勝手に決めてしまったのだ・笑

だから、やれるところまで、頑張ろう!
もしダメだったら、北海道に帰ってくれば、何とかしてくれるだろう!

事実、仕事の物量が大変なときには、
常に、北海道の風景が、脳裏に思い浮かんでいた。

・・・・
夏の北海道のライダーハウスには、
色んな人が集まる。
もちろん、バリバリのビジネスマンが長期休暇をとってツーリングしていたり、
ナイスミドルのカッコイイおじさん達もいる。けど、
大半は、いわゆる「資本主義社会のスピンアウト組」である。
でも、
とても、人間臭くて、楽しい人たちだった。

ツーリングを通して、
最も、相容れない種類の人間とも出会う。。。
それは・・夏になると、特定の低価格ライダーハウスにやってきて、
そこの「主」のようになって、
ハウス内の一番奥の良い場所に、自分の私物を並べ、テリトリーを作り、
毎年、夏の間中、そこに居座る。
自分のことを「棟梁」などと呼ばせ、毎日、新しく泊まりに来るライダーに、
独自マナー「ここのしきたり」を小言して、
ハウス内で、偉そうなポジションをとろうとする、いい年のオッサン。
そして「棟梁」をチヤホヤすることで、
自分の「居場所」や「存在価値」を担保しようとする
「取り巻き」のオタク・ライダーども。。。笑

クソガキ大学生2人組は、
遭遇から数時間で、いち早く彼らを「○○」と見抜き、
バカにしていた。笑
(普遍的な社会の縮図を、ライダーハウスに見ていたわけだ・・)

しかしながら、
一方で・・・ここまでひどいレベルじゃなくても、
「こうして生きる方法もあるんだ」
ということも、理解し、どこかで余裕もできた。

自分が全く相容れない人からも、学び、自分に取り込んでいた。

北海道との出会い、
旅先での人との出会いのおかげで、
社会で生きるための「覚悟」みたいなもの。が、できた。


お金はなくとも、時間と心の自由の「贅沢旅」

前回ブログからの続き・・・
贅沢温泉旅館での寛ぎに匹敵する、自分の中での「贅沢な旅」があったか??
あった! 
その答えは・・

お金は最低限だったし、
普通の宿にすら、泊まらなかったけど、
大学4年生の夏。。友人と2人、バイクで訪れた北海道ツーリングである。

行く先も、泊まる場所も、決めないで、
とにかく、思いつくままに、北海道の色んなところに行った。
いつ帰るとも、決めていない。

「明日、どうするーー?」
「ここ、面白そうやから、行ってみよっかーー。」
そんな感じの毎日を、約2~3週間、過ごした。

宿は「ライダーハウス」という、
地元の方が、無料~1000円程度で提供してくれている
簡易宿泊施設。全員ゴロ寝。
トイレ付き、時々シャワーありで、泊まることができる小屋である。

当時は、スマホも、ネットもないから、
ライダーハウスや、名所で、出会う人たちに
「このあたりに泊まれるところないですか?」
「どこか、行って良かったところってありますか?」と、
その都度、情報を仕入れて、地図やメモを頼りに、目的地に向かう。
宿が見つからない場合は、無人駅の待合室で野宿になる。

朝ごはんは、ライダーハウスの世話好きな誰かが、作ってくれたりすることもある。
オーナーが、おにぎりを準備してくれるところもある。
コーヒーだけで済ませることもある。

昼ごはんは、
北海道限定のコンビニ・セイコーマートのお世話になることが多かった。
景色の良い川や海や山の景色を眺めながら、コンビニ弁当を食べる。

夜ごはんは、店探しの「嗅覚」が問われる。。
ライダーハウス近辺の良さげな定食屋を、調べておいてから、
ライダーハウスのオーナーに「この店、どうですか?」と尋ねる。

北海道の人は、
とにかく、みーーんな、大らかで、温かく、優しかった。
「良く来たねー」という精神(自分たちで切り拓いた、開拓者の精神)が、
根本に流れていることが体感できた。

今、考えれば、
これが、最も「贅沢」な旅だった。
就職前の若者たちに、伝えたいことである。

(つづく)





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