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レジェンドたちに学ぶ。「生き残ること」

ここから、2回連続で、オール余談「読んでも得なし・ヘビー」分類
・・・
私の「虎辞書なる」の愉しみ方は、
往年の名選手たちの姿を見ることにある。

勝負の世界で、メシを食うため、勝つため、生き残るために、
必死で「工夫」を重ねた姿が「個性」として、そこにある。
その個性が、彼らのストーリーと重なって、
存在感に磨きがかかり、今でも光り輝いている。


投手は、アンダースロー・細身の男前、小林繁。
1978年、江川の「空白の1日」事件で、巨人のエース小林が、
ライバル球団の阪神にトレード移籍。
どうしても巨人に入団したい江川が一度、阪神に入団し、
即日、巨人・小林とトレードされたのである。
トレードに出された小林投手は、移籍会見で、
恨み言を一切言わない、毅然とした態度。
移籍1年目から、巨人戦に闘志を燃やし、志願して巨人との試合に先発。
巨人戦8連勝。その年、22勝。
中西少年は、1978年当時5歳だから、ほぼ記憶にない。
ただ「江川=悪者」「わがままなヤツ」のイメージだけが、植え付けられた。
幼少期の教育とは、恐ろしいものである。
最近の酒造メーカーのCMでの小林・江川の共演は、じーーんと来るものがありました。

対する打者は、篠塚利夫。。
こちらも、細身で長身の天才・高打率打者。
千葉の名門・銚子商業で、2年生から主力。夏の甲子園優勝を経験し、巨人に入団。
西武ライオンズ(今年からメジャー挑戦)の安打製造機・秋山昇吾選手が、
某テレビ番組における篠塚さんの一言で
「流し打ち」の極意を知り、そこから、一気に打撃開眼したこと。
イチロー選手は、篠塚モデルのバットを使っていたこと。。等も、有名。
映像を見ながら、37年後の現在の「裏付け」がとれる。
当時から、体力やセンスだけでなく、知性的な理論も兼ね備えていたのだ。
それを感じながら、当時のスマートなバッティングを見ると、とても感慨深い。


投げるは、左のサイドスロー投手の代表格・角盈男。。
主に、左打者が出てきたときに、起用されるが、
現代野球のように、左打者対策だけのワンポイント・リリーフ。ということはなく、
右打者とも、対戦していた。そうゆう時代である。
・・・小林も角も、野球選手としては、珍しい鳥取県出身であり、
アンダースローに転向した投手である。
※「左のサイドスロー」について、明日のブログに詳しく、展開します。

そして、対する打者は・・・我らが「浪速の春団治」こと、川藤幸三である。
足の怪我をきっかけに、20代で、代打の専門に。
打席に入るだけで、結果がどうあれ、
ファンが、大喜びして盛り上がっていた選手である。
なぜか?
野球が好き、チームが好き、そうゆうことを象徴する、
ある事件が有名である。
34歳で、戦力外=クビを通告されたとき「給料はいらんから、野球を続けさせてくれ」と、
球団に懇願し、最低保証年俸で契約。
この話を知った阪神ファンの関西の有名人達が「川藤の給料を、俺たちが出そう」と、
ヒット1本・1万円のカンパ形式で、お金を集めて、本人に渡そうとした。
しかし、川藤は「受け取るわけにはいかない」
「自分のためでなく、ファンのために使う」と、
このお金で、甲子園の年間予約シートを購入し、毎試合ファンを招待したという。
外国人選手にも(英語は話せないが)積極的に話しかけて、
異国の地のチーム内で、孤立させることはなかった。

「給料はいらないから、仕事をさせてくれ!」
いざというとき、そう言える、自分でありたいものである。
もちろん、そうならないように、不断の努力は続けるが。
根底に、この心構えがあれば、決して見捨てられることはない。
この逆「給料は欲しい、仕事はそれなり」では、切られる。
いつも心に「川藤」を・・・。

個性的でありたい。
と思って、個性的になったわけではない。
生きるための「進化」が、そうさせた個性派の選手たちが、
昔も今も、プロ野球で、躍動している。


ドライバービューとスカイビュー(目の前視点と上空視点)

オヤジ待望のプロ野球が、開幕しました!
ということで・・・
ご無沙汰していたスポーツがらみのネタを、喜びの余り、連発させたい!

開幕までの長い自粛期間、関西では、
タイガースファンのために、地方局が、
「虎辞書なる」(トラジショナル)なる番組を放映していました。
過去、阪神タイガースが、
気持ちよーーく、勝った試合だけを、約1時間半、だらだらと放送します。

点をとられるシーンは、割愛され、
点をとるシーンを、重点的に、編集して放送します。

これが・・・なぜだか、私には、物足りない。。
痛快なはずなのに、「面白くない」のである。
理由を考えてみました。

野球も、人生も、すべてが、
山あり、谷ありの「つながりある」ドラマであって、
山ばかりでは、
なんだか、結局、つまらないものになる。

谷に落ちないよう、あるいは、谷から這い上がるため、
何とか、心技体をフル稼働させて、必死になって、
ちょっとした山に登れることが、「面白味」を生み出している。
場合によっては、そのまま負けてしまって悔しいことも、あるんだけど。。

この「ザ・阪神びいき番組」を観ていて、
そうゆうことを感じました。

「気持ち良い」の連続は、
「気持ち良くない」のである。

今、もがいている自分の状態を、ドラマか映画でも観るように、
(こりゃ谷だなー。これから山がくるかな? いや、これから崖に落ちるぞ!!)なんて
「目の前にある風景を見る目線」と「少し上空からその自分を見る目線」。。
ちょうど、カーナビの「ドライバービュー」と「スカイビュー」の
両方の画面を見るような感覚で、
生きていると、間違いが少なくて済むし、余裕も生まれる。

普段、街を歩いているときも、食べているときも、
腹立たしいときも、嬉しいときも、
今、自分を上空から観たら、こんな感じかなーー?と、
想像しながら、生活しています。(※ちょっとした変人です)


強い単品で「引っ張り込む」~コロナ時代の経営

コロナ時代に、商店が勝ち残る施策は??

テイクアウト導入か?
宅配サービスか?
ドライブスルーか?
非接触か?

どれも、決定打にはならない。だろう。
全部「付随サービス」の域を出ない。

そもそも、
「この店のこれが欲しい!」という
「強い単品」あってこそ、付随サービスが、効果的に稼働する。

欲しくないもの。どこにでもあるものを、
いくら「届けます」「お持ち帰りできます」と言われても・・・といったところ。

「相手に合わせる」よりも
「相手を引っ張り込む」ほうを志向するマーケティングのほうが強い。

物流の究極の極意は
「動かない」ということにある。


この店舗の「ナンバーワン単品」は、
一目瞭然「焼き小籠包」であるらしい。
強い単品があるから、店内は満席。
テイクアウト依頼の電話がひっきりなし。
宅配部隊も、フル稼働。

 
ウィズ・コロナ・・・の経営。
これも「入り方」を、間違えてはいけない。

テイクアウトをしても、宅配をしても、
決して、それが「切り札」になることは、ない。
「焼け石に水」程度の足しにしかならない。

まず「強い単品」を持つことである。


大よりも小。大に対する漠然たる不信感


プロペラ機での地方都市への出張のひとコマ。。

私は、ジャンボ機よりも、
プロペラ機のほうが、好きなのです。
前回ブログのような、オーディオ機器は、小型機の場合、充実していないし、
よく揺れるけれども、
もしも、墜落したときでも、何とか工夫すれば、
生き残ることができそうな気がするのです。

遊園地のアトラクションも、同様です。
大きな「入れ物」に乗せられて、振り回されることが、苦手なのである。
自分で運転できる「ゴーカート」や「ボート」
「射撃」などのほうが、圧倒的に好きなのです。

「巨大な入れ物」への漠然たる不信感があるのだと思います。
「自分の力で、何とかできる余地」が、大きければ大きいほど、
楽しくもあり、危険も少ない。という認識です。

心底、大企業よりも、
中小企業のほうが、良い。
もし、大企業であっても「中小企業的」な大企業であるほうが良い。
そんな確信を持って、生きています。


達人とのランチタイム

達人とのお昼の食事。。

私が注文した、この定食セットを見て、
達人は、何と評したか・・・

「大根のツマが、チョロっと出ているところに、この店舗の繁盛ぶりが出ている」

この一言に、衝撃を受けてしまう、
私の「感性」も、変なのかもしれないが、
この着眼点・着想に、どうしようもなく、惹かれてしまうのである。。

メニューを見ても、店舗を見ても・・・
何気ない、ひと言が
「知の結晶」である。

  
私が、数十店舗の現場と数字を見て、
導き出した、某業界の「繁盛の法則」=気づいている人は、ほとんどいないことも、
達人は、何も見ていないのに、チラシをひと目見ただけで、スパッ!と、言い切る。
「そんなもの、パチンコ屋も、同じだ!」と。

なぜ、そんなことができるようになるのか・・・・

余すところなく、吸収したい。





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