津軽藩と南部藩~1つの県に2つの国
週末は、青森にて、有志グループによる勉強会に、
ゲスト講師として招かれました。
定期的に呼んでいただける勉強会なので
「中西さんに教えてもらったことを、実行したら、売上が上がってます!」
メンバーさんから、こんなことを言われると、とてもうれしい気持ちになります。
勉強会は、朝からスタートして、みっちり6時間。
そして夕方4時に終了。
バスの出発まで、時間があったので、弘前城へ。。。
城マニアの後輩が「ナンバーワン」と評した城です。
本当は、桜が有名なのですが、今日は、紅葉です。
ところで、青森県は、今でも
青森・弘前を中心とした「津軽」と、
八戸を中心とした「南部」で、地域性や、風習がまったく異なります。
ぶっちゃけ「仲があまりよろしくない・・・」といった感。
江戸時代の「藩」の境によって、商圏が異なっている
戦国時代の終わり、津軽地方は、南部氏の配下だった「津軽為信」が、
単独で上洛し、勝手に自分の領地を、豊臣秀吉に認めてもらったに過ぎない・・・と南部の人たちは見ている。
戊辰戦争の際には、奥羽列藩同盟を結んで、新政府軍と戦っていたのに、
津軽藩だけが、早々に降伏。結果、お隣の南部藩が大窮地に立たされた・・・と感じている。
店舗展開をする場合でも、
「青森で上手くいったから、次は県内第二の都市・八戸に出店しよう」とか、逆に
「八戸で上手くいったから、次は県庁所在地・青森に出店しよう」と、簡単にいかない県なのです。
旧南部藩だった八戸は、現在でも、どちらかと言えば、
同じ南部氏の領地だった「岩手県」との関わりが強いのです。
昔は、通行手形。
今で言う「パスポート」がなければ、藩同士を行き来できなかった時代。
「藩」は、まったく別々の「国」なので、言葉も文化も違っていました。
お国柄や、その地域の成り立ちには、
現在のマーケティングにも活かせる要素が、たくさんあるのです。