2024年12月22日 19:14
数々の名演技・変幻自在・「演技自体を楽しんでいるなあ」
【人生には、いつもコミカルさが内包されていてよい】ということを、
感じさせてくれる俳優さんでした。
写真は、名作ドラマ「白い巨塔」より
(再放送を何度も観てしまう・・お気に入り)
主役の財前五郎=唐沢寿明の義理の父・財前又一=西田敏行の名セリフ。

「ええか、人間、金ができたら、名誉が欲しなんねん。
人間の究極の欲望は、名誉や」
「名誉ができたら、金も人も、自然についてくるけど、
金はどこまで行っても、ただのカネに過ぎん」

カネの次は、名誉。
カネで買えるものは、ほとんど、何でも持っている人もいる。
カネを持っていても、カネで買えないものに、飢える。
その欠乏を、カネやモノで埋め尽くしてゆく。
粋がったり、背伸びをしても、まったく幸せではない。
次に、欲しくなるのが「名誉」である。
今、簡単に手に入る「名誉」と「カネ」の中間みたいなものが、
SNSの「いいね」ですね。
カネは「人の命」のために使う。
結果として、その死後、名誉を得る。というのが、王道です。
西田さんのどの出演番組なのか、忘れてしまったけど・・・・
「オレがブタで、お前がサルだったころはなあー」って、
堺正章さんと出演していたときのコメントが、とても面白くて、覚えています。
初期、ドラマ西遊記の「猪八戒」役・コメディ路線からスタートしました。
中~後期は、打ち合わせナシのアドリブも有名でした。
監督も、台本を無視しても怒らない(怒れない?)ほどの大御所役者さんに。
(白い巨塔・財前又一が「カツラ」という設定も、西田さんの提案によるものだという)
「ジャズのようなセッション・即興・予測不能からの創造を大切に」
と、演技=仕事について話しておられました。
ご冥福をお祈りします。
2024年12月15日 19:36
私は、その現役時代を知りません。
横綱・千代の富士。弟弟子の横綱・北勝海(保志)を育てた
「九重親方」時代からの記憶です。
(横綱2人も、同じ部屋から出すって、すごいなあー!きっと厳しいんだろうなあ)
と、思っていました。
そして、後年、大相撲中継の解説で人柄を知る。
やっぱり厳しい辛口解説が、抜群でした。だいたいの取組みで、怒ってたもんなあ・笑
昭和のお父さんって、だいたい、こんな感じ。
厳しくて、自分勝手で、でもちょっとお茶目なところがある。
着物姿に、江戸っ子的で粋な話しぶりは、唯一無二。大阪人の憧れです。
大相撲協会とNHKで特集してくれないかな?
「北の富士さんの解説特集」希望!

そして、以前のブログでも、お伝えしました。この件・・・
マイナスなことは、
メールなど文章で伝えず、直接、電話や対面で伝える。
プラスのことは、
メールや文章で、広く多くの人に伝える。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2021/07/25
これ、守るべき教訓です。
思えば、たった3年前だったんですね。。
まだまだ、ずっと聞けると思っていたのに・・・
今年、鬼籍に入ったキャスターの小倉智昭さん、
落語家の桂ざこばさんも、北の富士さんと同じカテゴリーに属する気がします。
「直言」が爽快に感じる、そうゆう大先輩が、いなくなってゆくなあーー。
ご冥福をお祈りします。
2024年12月8日 20:15
美空ひばりさんの晩年のコンサート
重い病気で、楽屋にベッドを持ち込むような状態であったにも関わらず、
舞台に立つと、シャキッと、歌いあげる。
ステージが終わったと同時に、楽屋に戻って、ばたん。と倒れた。
という有名なエピソード。

そうゆうのに、憧れています。
38度の熱があっても、仕事しているときには、本当に36度になります。
で、仕事が終わると、また、ばたん。となる。
(オレは、ひばり姐さんに、少しだけ近づいたぞ~~)と、
虚ろになりながら、
ニヤついているのです。
何が、それを支えているのか?
なぜ多少の体調不良でも、仕事に行きながら、治せるのか?
オレがやらなきゃ、ダメなんだ!
あの会社、あの人の役に立ちたい!という(勝手な)使命感である。
※約束してるから。とか、迷惑かけるから。とか、そうゆう次元ではない。
・・・・
でも、きっと実際は、ほとんどのケース、そんなことない。
1日や2日や1週間、いや、ずっと、私がいなくても、きっと全然、問題ない。
・・・・
ただ、、
これだけ、わが身が大変な状況でも、
御社のために役に立ちたい!と思っている人間は、この世の中に、俺しかいない!!
それだけは、事実だ。
そうゆう、
おせっかいで、勝手な自負で動いています。
客観的に見れば、どれほどのものでもないことだけど。
まあ、でも、
自分を支えるうえで大事なことではないかな?と思っています。
人は「必要とされている」と思えば、頑張れる生き物です。
そして「必要とされている」とは、自分が感じるもの。
自分で決めるものです。
日頃の自分の行動と心の持ち方、それ次第で、やりがいを持って生きることができます。
2024年12月7日 19:34
コンサルタント。というか、
プロ意識で仕事をしている人間として、変な自負?自慢??がある。
病気になるタイミングは
必ず、大型の連休中である。ということ。
だから、ここ何十年間、
仕事のある日に、病気になったことがない。休んだことはない。
ゴールデンウィーク、お正月、お盆。。。
気が抜けたとき、
それまでの疲れがドッと出るように、病気になって、動けなくなる。
※私の周りの「デキる人」は、みなこんな感じである。

今回のぶっ倒れは、ちょっとスパンが短い・・・・
ここ数か月、おかげさまで、ほぼ毎日、仕事で外に出ているので、
「久しぶりに、土日で2日間休みがとれる日」に、病気となりました。
コンサルタントとして、
もうひとつの自慢は、全国のクライアント先に、朝イチで出張に行く日、
日ごとに異なる朝の出張の時間ですが
その日その日の時間ごと、
目覚ましが鳴る直前に、目が覚める。ということです。
寝ているときから、コンサルティングの助走が始まっています。
こんなに頑張っていても、
師匠には、褒めてもらえない。怒られる。
「自分が、どうなったときに、病気になるのか?」
「オマエは、それを、つかんでいるか?」
「アホ!ちゃんと、つかんでおけ!」
病み上がりでも、容赦なく、怒られる。
「ヤバそうやな」と思って、
早めに、葛根湯とか飲んではいたんですけど・・・
と言っても、
「違う!その前の原因をつかめとゆうとるやろ、ほら、何や!!」
くかーーーー。
たまらんなあ。
確かに、
起こってからのこと。よりも、
未然に、起こならいようにする。学ぶ。次に活かす。
ほうが、大切なのである。
2024年12月1日 19:51
関ヶ原の戦いの前夜。
歴戦の勇将・島津義弘は、西軍の総大将・石田三成に、
「今から、家康本陣に、夜討ちを仕掛けよう」と、進言した。と言われている。
しかし、三成に却下される。
「明日、堂々と戦う。天下分け目は、勝ち方が大事だ」というのが、その理由である。
結果、西軍は敗北する。
これと同じようなことが、
コンサルティングの現場では、時折、起こる。
「これをしなければ、勝てない!絶対、実行して欲しい」という
「勝ち筋」提案を、大将=経営者・オーナーに却下されることがある。
そうすると、
「沈む=負ける」とわかっている船に、乗らなければならない。
私は「コンサルティング契約の範疇で責任をとる」と、肚を決めて
「最悪に突き落とされたなかの最善」を模索する。
が、そこで一生懸命、働くスタッフの皆さんのことを考えると、
本当に、やるせない気持ちになる。
ああ、
関ヶ原のときの島津義弘って、
きっと、こうゆう気持ちだったんだろうな・・・なんて、
時々、思うこともあるわけです。
それと、(石田三成って、きっと実戦に疎くて、現実の力と自分の作った建前の見極めができない、こうゆう人だったんだな)とか。
・・・・・
いつも「夜討ち」案を、前向きに取り入れていただき、
ちゃんと遂行していただいているご支援先の皆さんには、
本当に感謝しかありません!!
・・・・・
ボストン・コンサルティング・グループ代表だった堀紘一さんは、
コンサルタントの提案と、受け入れる会社のことを、
このような表を使って、説明しています。

A案を採用する会社は、とても少ない。
が、爆発的に業績を上げるのは、A案を採用する会社である。
たいていの会社は、B・C案を実行する。と、説明しています。
私のコンサルティングの場合、
A+C÷2という、中間B案を提示するケースは、ほぼない。
Aでも、Cでもない、
まったく異なる、生成発展した第三の道=Xを出すように、心がけている。
クライアントと、包み隠さず、ちゃんと本音で語り合えば、
A案をも、凌駕する案「X」が出てくる。
大・堀紘一にも、ここの力だけは、負けない。
私に言わせれば、中間案=B案は、愚の骨頂。
こうやって、表に記すことすら、恥ずかしくて、、私はしない。できない。
・・・・
島津義弘は、自分の勝ち筋の案が受け入れられなかった。
そして、予想通り、西軍は敗北する。
・・・・
といって、
石田三成他の武将たちと運命を共に、死ぬわけでもなく、
家康に降参するわけでもなく、裏切るでもなく、
背中を向けて逃亡もしなかった。泣き寝入りもしなかった。
敗戦したから、脱出した。
しかし、敵の大軍の正面を突き破って、戦場を離脱して、本拠地・薩摩まで帰ったのである。
=AでもCでもない。まさに「X」の道を選んだのである。
「島津の退き口」と言われます。
捨て奸(すてがまり)という壮絶な戦法で、主君を逃がした。
(また、機会があれば、詳しく紹介します)
そのあと、薩摩に戻ってからは、兄の義久とともに、
家康からの出頭要請を、のらりくらり・あの手この手で、
ダラダラかわして、結局、本領安堵で生き残った。
知恵と武力と勇気と共に、したたかさも持ち合わせている。
同じ「戦う人」として、時空を超えて、尊敬に値する。