2025年12月13日 19:28
成功は「他人の不幸」がもとになっていることが多い。
そこから巡ってきたチャンス、タイミングを「つかめるか」「つかめないか」
つかんだ後「絶対、離さない」。
それが、その人の運命を決める。
このことを
不謹慎。と道徳的観点により、フタをする人も多い。
しかし、これは世の中の現実・真実のひとつである。
たとえば、スポーツ選手が、レギュラーをつかむ。成功するのは、
現レギュラー選手がケガや不調等により離脱している間に、活躍できるかどうか。
それまでの沸々とした万端の準備。
そこに、たまたまの巡ってきた偶然をつかめるか。
それで決まる。
ビジネスも同じ。
良い立地に、ドル箱店舗を出店できているのは、
それまで入居していた会社の採算割れ等による空きテナント(=他人の不幸)を、
サッとチャンスとしてとらえ、成功に変えたものである。
他にも、
他社の「納期遅れ」や「クレーム」が、きっかけで、自社に安定取引の仕事が回ってきた。
他社の「過剰投資で破綻した設備」を、安く購入し、高収益の生産体制となった。
他社の「雇用ミスマッチ」で、優秀な中途入社人財と巡り合えた。。等々、
他人の不幸を、見逃さずチャンスにする準備ができていたから、成功するのである。
私が、高校バスケ部で「レギュラーをつかめた」のは、
紺野先生・顧問の時代=1年生のときです。
1学年上の同ポジションのレギュラーの先輩から奪いました。
先輩は、眼鏡をかけたプレイヤーでした。
長身でガタイも良く、激突して相手を跳ね飛ばすパワープレイヤーだったので
「クラッシャー」と呼ばれていました。
ある試合中、その激しいプレイで、眼鏡が壊れてしまいました。
代わりの眼鏡も部品も、コンタクトも用意しておらず、
身体は元気なのに、プレイ続行不可能となる不幸に見舞われてしまいました。
=自分の眼鏡までも「クラッシュ」させてしまいました。。
(紺野先生に、めっちゃ、怒られてました・・・)
(私も、とにかく先生が怖かったので、試合には出たくなかった・・・。なんとか、先輩のメガネを元通りに戻そうと必死でした。テーピングで直そう。とか、他の部員の眼鏡をかけれないか。とか、やっていました)
結局、急遽、
試合に出たことのなかった私が代役として出場。
その試合、途中出場から20点以上を得点しました。
初登場で相手もノーマークでした。たぶん、試合にも勝ちました。
私が試合に出ている間に、
ベンチで何とか眼鏡を復旧させた先輩が、
「出れます!」と、紺野先生に申告に行きましたが、
「もうええわ!」(引っ込んでろ)と、一蹴されていました。
(早く、代わってくださいーー)と思いながら、プレイしていた私は、
コート上からベンチのその光景を見ていました。
次の試合から、先輩と併用で使われることが多くなり、
徐々に、私の出場時間のほうが増え、
やがて、先輩は、部活自体を辞めてしまいました。
スポーツ観戦のとき、いつも最も注視するポイントは、
準主力メンバーの「つかみかける瞬間」「つかんだ後の仕事」
現主力メンバーの「つかまれた後の態度」。
ビジネスにおける教訓は、普段からの準備。
「いつかチャンスが巡ってくる」と考えて。
それに「いつかミスを犯してしまう」と考えたリカバリー準備。
他社には絶対にチャンスの芽を与えないこと。
・・・・
あのとき、クラッシャーさんが、
ちゃんと予備の眼鏡をカバンにいれていたら・・・そうゆうことでもあります。
2025年11月23日 19:27
なぜ、私はこうゆう写真を撮るのか?

それは、1981年=小学校3年生のとき、
神戸で開催された「ポートピア博覧会」のときに撮った
1枚の写真が、思い出に残っているからです。
その1枚とは、
住友館の「森の妖精」をイメージしたキレイなお姉さんと、
近所の同級生と一緒に、テレっテレのニヤニヤで、写真を撮ってもらったもの。
きっと「いや、ええわ、撮らへん」と言ったのに、
父親に「ええから、撮ってもらえ!ほら、二人とも早く行け!」と、
半分、無理やり撮られたものです。
当時、ポートピアで撮った写真のなかで、
結果として、この1枚が最も記憶に残り、今のこうゆう行動に至る。
三つ子の魂、百まで。
と言いますが、これも、きっとそうゆうこと。
=脳が柔軟な若人には、できるだけ色んな体験をさせてあげたい。
そして、写真って、大事です。
表面上のイヤ=一時の恥ずかしさを、乗り越え、一歩踏み出したその先に、
自分の人生を豊かにしてくれる「真の価値」が待っています。
今は少し躊躇することでも、
誰かが、背中を押してくれれば、
あとから大きな財産となるものです。
2025年11月22日 19:29
「中西さんが、万博おじさんみたいになっています」と
独立以来、14年ぶりに会った、前職・船井総研の後輩より。
船井総研で立身出世を遂げ、進化中の彼。
私が船井を離れてからも、このブログをチェックしてくれているそうです。
「ただの万博おじさんちゃうやろ!
どうゆう万博おじさんか、質の違いを、言ってみろ!」
「君は、僕が万博のパビリオンにたくさん行き、それにコメントしていること、
1か月以上、ブログにそれ以外のことが掲載されていないこと。つまり量的なことを言っただけだ」
「それで、良くそんな要職をつとめていられるな」
「お前がその程度なら、船井もその程度やぞ!!」
なーーんて、
昔、さながらに、ビシバシ、シバキあげてやりたかったけど・笑
そこは、
爽やかに「そうやろ? チェックしてんのかー。」と、
大人な対応をして無難に過ごす。ほかのメンバーもいたしね。
ですが、この記事を見て、
またさらにグレードアップしてくれ。
フフフ・・・
今日は、キミの想像を超える私の万博おじさんぶりを、披露してやろうではないか・・・

ほれ。

ほーーれ。
パビリオンに入るまでの行列の長い「待ち時間」を、どうやって楽しむか?
オモテに出てこない各国の実態を、どうやって知るか?
私は、
各国のコンパニオンさんと「話すこと」「一緒に写真を撮ること」が一番。
と考えて、実行していました。
思い出に残ること、楽しいことは、
やっぱり「人」との関わり。
これは「永遠不滅の価値」だと思います。
・・・・
後輩君、
彼の良いところは、こうゆうことを、言われやすい。
愛されるキャラクターです。
それを素直に、前向きに受け取り、少しずつでも自分を変化させてゆこうとする点。
さらに多くの人、会社の成長の役に立つ人になってもらいたい。
2025年11月2日 19:01
万博には「シグネチャー・パビリオン」というものがありました。
「いのち輝く未来社会のデザイン」を体現するパビリオン群の総称で、
各分野の第一人者である8人の「プロデューサー」が、
それぞれのテーマに基づいた展示を手がけています。
つまり、企業でも、国でもなく、日本が世界に誇る「個人」が作った、パビリオンです。
中でも、人気を博したのが、
以前のブログでもご紹介した「落合陽一」がプロデュースをした
Null2(ヌルヌル)
何度予約しても、入ることができませんでした。
当選確率2%、というのですから、無理もありません。。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2019/09/21/
「俺は、君があまり公にしていない親父(信彦)のときから、知ってるんだぞ!」
と、念じて申し込んでも、当たらない。。
それが、当たらない理由だったのかもしません・笑
入場できなかったので、パビリオンの内容はわからない。
落合陽一に対しては、評価はするも、言ってることが、なんだか難しいし、
才能はあるけど、頭でっかちのチャラいヤツ・・の可能性もあるかも??
と思っていましたが、
今回、私が一目を置き、
ほかの皆さんからも評判も高めていたのは、
多忙な彼が、万博の開催期間184日のうち約100日。
つまりは、2日に1度以上は、大阪の現場に来ていて、
自ら内部やCPUの調整を行っていた。ということ。
そして、地下鉄が止まってしまい、
来場者が会場から帰れなくなったことがあった日。。。
大阪の別の場所から、遠隔操作で、null2を解放し、
帰宅困難の方に、楽しんでもらったという事実。
(困ったとき、頼るべきはこうゆう人だな)
(僕が、帰宅困難民になったとき、「落合パビリオンに行ってみよう!」となっただろうか?)
(そして、経営者として、こんな人になれるだろうか?)
才能がある。
しかも、
お客様、スタッフがいる現場に足を運ぶという態度・姿勢がある。
困ったとき、頼りになる。
これこそ、
最強ではないか!
才能が普通。もしくは、普通以下なのに、
現場に足を運ばず、お客様も見ない、スタッフも見ない、商品も見ない。。では、
どうしようもない。
「落合」のような経営者が率いる企業に、勝てるわけがない。
2025年11月1日 19:21
ずっと独立を保つことができている国は、世界の中では、稀有なのです。
サンマリノと同じ理由=山岳地帯の小国で、
手に入れる労力コストと価値が見合わないから
他国に侵略をされず「独立」を保ってきたケースとして
スイス(これは強大な軍隊を持つ)。ブータン。ネパール。があるそうです。
その他に、独立を維持してきた国は、タイ。
東南アジアで唯一、植民地化されなかった国です。
「チャッピー君」(チャットGPTを若者はこう呼ぶらしい)に、
その理由を尋ねると、
タイは、
<条約での譲歩と見返りの獲得>
領土の一部を英仏に譲り、国家の独立を保証させた。
→ 「一部を差し出して、全体を守る」という現実的判断。
<近代化を“自発的”に実施>
ラーマ5世(チュラーロンコーン大王)は、ヨーロッパに学び軍・行政・教育を改革。
→ 「文明国」として列強の“支配対象”から“対等な交渉相手”に。
<王室外交の巧妙さ>
王族が直接ヨーロッパを訪問し、タイの「知性と教養」をアピール。
→ 欧米の新聞が「シャムはアジアの紳士国家」と評した。
スイスのことも、チャッピー君に、聞いてみた。
~ヨーロッパのど真ん中にあり、四方を列強に囲まれていた。
そのため「中立」は理想ではなく、生存戦略として生まれた。
平和主義ではなく、“武装中立”というリアリズムである。
<地形+民兵制による武力抑止>
アルプスの山岳地帯を要塞化し、「攻めても得がない国」を演出。
→ ヒトラーも「侵攻のコストが高すぎる」として断念した。
<傭兵外交(スイス傭兵)>
他国の戦争に傭兵を送り込み、ヨーロッパ各国に「貸し」を作る。
→ 「攻めれば味方が減る」構造を作り出した。
<金融・調停国家への転換>
中立を制度化(1815年ウィーン会議)→ 世界の資金が集まる金融ハブへ。
→ 「戦わずして影響力を持つ」モデル国家へ進化。
そして、日本も独立を保ってきた国。として、掲載されています。
~文化を盾に、近代化を武器に。知的サバイバル国家。
文化と軍事のバランスで列強を“かわす”。
キリスト教・銃火器・貿易・情報を、選択的に受け入れた。
<情報鎖国ではなく、情報管理>
外交・科学・軍事の最新知識を、オランダ経由で吸収(蘭学)。
→ 完全に閉じず、選んで開く。
<“幕末の柔軟さ”で列強の要求を分散>
黒船来航後、各国と条約を結ぶことで一国支配を避けた。
→ 「複数の列強が利権を分け合う=一国による植民地化を防ぐ」。
<明治維新による先取り近代化>
欧米列強が「支配対象」とみなす前に、自ら近代国家を樹立。
→ 植民地どころか、帝国主義の一角へ。
これを、まとめさせてみました。
タイ スイス 日本
戦略の主軸 外交バランス 中立と抑止 自発的近代化
手段 譲歩と交渉 武装と金融 文化と情報
成功要因 国益を最優先 実利主義 柔軟な知性
核心の思想 「勝たずに生きる」 「守って稼ぐ」 「学んで追い越す」
・・・・
個人的な見解では、日本は独立国家ではない。
「国民に独立国家と思わせる、巧みなアメリカ支配を受けている。アメリカの属国」と考えていますが。。。
・・・・
「先進なるものを、自ら積極的に取り入れること」
「学んで活かすこと、知性・文化」
それが、日本人の日本人たる所以であり、大切なことである。
また、独立維持の共通点は、
地理にもあります。
山岳地帯の小国。
四方を海に囲まれた小国。
自国の特徴を活かす、重要な要素です。