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どの選択肢を選ぶか?人生は分岐点の連続である。

お笑い芸人のバカリズムが、脚本を書き、
竹野内豊が主演したドラマ「素敵な選TAXI」。

コミカルな演技、良く考えられた台本に加えて、
毎回、流れる冒頭コメントが、
真理を述べているように感じていて、気に入っている。

↓↓
人生とは、分岐点の連続である。
人は、日常生活において、
さまざまな分岐点に遭遇し、選択を迫られる。

それは、その後の人生に
さほど影響を及ぼさないものから、
生死に関わるほど重大なものまで…。
一度、選択を誤ったら、
後戻りできないのが人生です。

もし、そんな人生の分岐点に
戻ることができるとしたら、
あなたならどこに戻りますか?

このタクシーはね、
お客さんがやり直したい 分岐点に戻してあげることができるんですよ。
 
人生には幾多の分岐点がありまして。。
どんな仕事に就くか。
どんな部屋に住むか。
夜は何を食べようか。
どう時間を過ごすか。
そういった分岐点で、どの選択肢を選ぶか。
それで人の人生というのは、決定していくんです。
↑↑

まさに、その通り!!真理である。

誰と付き合うか、
どのテナントに入るか、
どの事業に参入するか、
どの地域に進出するか、、、
人生よりも下位レベルにある、経営においても、選択の連続である。
あと戻りは、できない。

 
自分が、最も正しいベストな選択ができるよう、
心に曇りない状態で、物事を見聞きし、勉強し、
自分が高まる良い環境に身を置くこと。

自分を「選択」してくれた人には、
全力で付き合い、最大の効果をもたらすこと。

だいたい、
低迷している人も会社も、
こうゆう「選択」が、間違っているだけである。。笑


仕事先へ向かう途中、可愛いタクシーに巡り合えて。。
ふと「素敵な 選・タクシー」のことを、思い出しました。


内部昇進的・リーダーの成功の可能性。期待をかけてしまう!

故・仰木彬監督は、「名将」「名監督」と言われる。
近鉄、オリックスの監督として、弱小チームを優勝争いの常連へと導き、
野茂やイチローなどの個性を伸ばして、名選手も育てた。

しかし、就任当初、知名度ゼロの、本当に地味な存在でした。

近鉄ファンであった中学生の私は、
「仰木監督」誕生を、嘆いていた。
「誰??オオギって? 西本サンの復帰か、もっと実績ある人にやってもらいたい!」

そのとき、父親が言った言葉を、今でも、覚えている。
「いや、この仰木は、ええかもしらんぞ。
 三原監督、西本監督という名監督の下で、コーチとして、ずっと、そのやりかたを見てきている。
 直前の岡本監督の下で、今の選手の特長もつかんでいる。
 そんな経験をしている人は、滅多にいない。
 球団が、教育させていたのかもしれん。
 選手として有名じゃない監督のほうが、監督としては成功するもんや」

「うーーーん、そうか・・・」
「で、ミハラって、誰?? そんなに凄いん?」

「三原はなあ・・・」と、三原監督の凄い話を、伝え聞く。。

 
前職・船井総研の社長も、上記に同じであった。
コンサルタントとしては、地味だった人、内部昇進的な人が、
会社の業績を伸ばしている。

内部昇進とは言え、必ずしも、従ってきたリーダーの完全コピーではない。
良いところは真似するが、悪い点はやらない。
身近で支えることで、温めてきた独自の考えを、ちゃんと持つようになる。
多少、賢ければ。。。
腹には「まったく違うもの」を持っているものである。

そんなこんなで、内部昇進的・内閣である菅さんには、
ちょっと期待している。

数十年ぶりとなる、
政治屋・家系ではない、選挙地盤を譲ってもらっていない、
「労働の汗」の感覚も体験している(覚えていて欲しい)、総理の誕生である。

ググって、調べると、息子さんが3人。
それぞれ、一人前の男に育っているらしい。
=家庭がコントロールできている。
それだけでも、前のリーダーよりも、期待できるのはないか?
(また、こうゆうタブー視されていることを、、懲りずに書く・・・笑)


政治談議・・・
可能な限り、早めに解散総選挙は、したほうが良いだろう。という、個人的見解。
「コロナ対策・優先」の清廉さも、必要であるが、
したたかさも、大事である。日本のリーダーは、したたかであって欲しい。
タイミングは大事。主体的に動いたほうに分がある。これは経営も歴史も政治も、同じ。
清・濁、両極端を併せ持って、80~90点をとれる。

1年後、満了による解散なら、
その真摯さ、清廉さを1年後、大衆が覚えているか?たぶん、覚えていない。
政策の優秀さ、イメージ戦略で・・・120点を目指すのか?
でも、0点(以前のブログの天人相関説)の可能性が、どんどん大きくなってくる。


総理=リーダー退陣に、感じた5つのこと

ニュースを聞いて、
直感的に思ったことが、5つほどある。
仕事先での帰りの駅で、キレイな夕焼けを見ながら、書き留めておきたい。

第一「その事実については、肯定的に受け止めている」
まあ、良かったんじゃないか?
今よりは、世の中が、良くなる可能性があるだろう!!

第二「また、マスコミって、こうゆうものだなあ・・・」
テレビでは、最長政権であったこと、株価が上がったことを、称えた報道をしていた・・・
禁じ手を使って、金をバンバン刷って、強制的に時給を上げただけ。
であるという、本質の分析はしていない。
何よりも、こうゆう未曽有の事態の最中、退陣するリーダーが
世界を見渡して、他にいるのかどうか?
私は、そこを知りたい。
そうゆうことを、なぜ、報道しないのか?
世界のコロナ映像をセンセーショナルに伝えると同様に、伝えて欲しいなあ。
マスコミは、まったく信じるに、値しない。

第三「体調管理も仕事のうち。ダメ社員の象徴である」
最近の若手ダメ社員は「病気」を理由に、
長期欠勤したり、退職したりすることが多い。
その原因は、、まさかの、あなただったのですねーー!
一国のリーダーがこれでは、そうゆう人間が増えるのも、自明の理である。
「病気」が理由であると、誰も、何も、「さわれない」風潮。。。
「体調管理も仕事のうち」=それに対して給料をもらっている・・・仕事の一部である、という、
私が教えられた常識や認識は、間違っているのか?
時代遅れなのか??
持病がありながら、それと上手に付き合い、それをも活用して、仕事をしている
中小企業の社長や幹部を、私は、幾人も知っている。

第四「病気は契機であり、真因はコロナに負けた、であろう」
「台風で、木が倒れた」
なぜ、倒れたのだろうか?
「強い台風が来たから」・・・これは、きっかけ(契機)である。
「根が弱っていたから」・・・これが、本当の理由(真因)です。
と、何年か前のブログにも、書いています。

「病気だから退陣した」
これは、きっかけ(契機)である。

本当の理由(真因)は、
「政策に支持が得られない、乗り切る自信がない」つまるところ
「未曾有の事態への対処ができない」のである。

以下、2014年の私のブログからの抜粋(我ながら、なかなか良いことを書いている!)
↓↓↓
世の中で起こるあらゆる出来事に関して
「契機」と「真因」を、毎回・毎回、あやふやにしないことが大切なのです。
「契機」も大事だし、
「真因」も大事。
しかし、
繰り返しミスが起きる、
成長が足踏みしている会社や人には、
どちらかと言えば、「真因」を追究する習慣がありません。
出来事の理由を「きっかけ=契機」だけで、
結論付けてしまっていることが多いのです。
本当の理由は、なんだったのか?
根本的な理由は、なんだったのか?
それは「契機」なのか「真因」なのか、
明確に仕分けてみましょう。
「それは、なぜか?」を、3回。
自分に聞き、他人に聞き、真因を追究してみましょう。
↑↑↑
「病気だから退陣」=契機のみと、とらえている人、大多数。。。

第五「本物の強さと、見せかけの強さ、その違い」
本当の「強さ」を持ちたいもの、それを持った人を見抜きたいものである。
調子の良いとき、自分が強いポジションにあるときは、
先頭に立って、勇ましく、強そうにしている。
いざ、逆境になると、まっさきに戦場から姿を消す。押されて、流されてしまう。
もしかして、この人は、そのタイプの人ではないか??と
思っていたことが、的中してしまった。。
強さの定義についても、
過去のブログに、武将の言葉の引用を、記している。
↓↓↓
戦場で本当に強いのは、まじめなものである。
たとえ、非力であっても、責任感が強く、
退くなと言われれば、骨になっても、退かない者が、多ければ多いほど、
その家は強い。
合戦で、勝ちに導く者は、そうゆう者たちである。
↑↑↑

世界大戦中の
イギリス・チャーチルと、ナチス・ヒトラーの対比とも、重なる。
↓↓↓
勝ったチャーチルは、
厳しい現場戦線にも赴いた。
断固とした態度、信念、自信。そして笑顔と葉巻。演説。
被害地域、戦地の最前線に
足を運び、人の心を奮い立たせた。
負けたヒトラーは、
負け始めると、指令室に籠ることが多くなり、現場に姿を見せることはなかった。
勢いに乗っているとき、攻めているときは、姿を多く見せていた。
↑↑↑

以上、5つのことを、感じました!!
病気の人に、否定的なことを言ったからって、炎上しませんようにーー・笑

もちろん、、、
彼の政策に対応して、手を打っていた結果、
うまく儲けさせてもらった。という事実はあるので、
感謝はしている。

個人としては、お疲れ様でした!と言いたい。

次のリーダーの施策に、対応してゆく準備をしよう。


偶然を必然に。外部から取り入れ。小口化。・・経営成功の秘訣。

20年前の馬産地と、現在の馬産地が、大きく様変わりした点は、
名馬たちの管理が厳重になったこと
=名馬と近くで触れ合うことは、ほぼ不可能に近くなったこと。
だけではない。

牧場にも、企業化の波が押し寄せ、
組織ぐるみで「勝つこと」「顧客志向」を追求した牧場が、大躍進している。

2000年代以降の20年間は、いわゆる「社台グループ」が
生産牧場ランキングの上位3位までを、ほぼ独占する状態が続いているのです。

1990年代まで、「名門」と言われていた牧場に、今、その面影はない。
調べてみると、廃業したり、売却したり・・・という牧場が、半分以上。
当時、名門と言われていたのは、
メジロ牧場
シンボリ牧場
バンブー牧場
トウショウ牧場
西山牧場(ニシノ)
谷岡牧場(サクラ)
カントリー牧場(タニノ)
谷川牧場(シンザンを生み出した)
荻伏牧場(「華麗なる一族」の系統)等々。。
その名前を冠名につけたサラブレッドが躍進し、ある種の「ブランド」になっていました。

1990年代までの名門牧場の共通点は、
このようなものでした。
1)血の配合により、偶然、強い馬が出て、その牧場を引っ張る。
2)自分の牧場のなかで、良血を受け継がせ続ける。
3)ごひいきにしてくれる有力馬主(お金持ち)を抱えている。あるいは自分自身が馬主。

これを、「社台グループ」は、どう変えたか??
※あくまで、外部から見ていた私見である。完全な研究はできていない。。

1)については、
生まれてからデビューまで、牧場で過ごす仔馬のころから「英才教育」を行う施設や、プログラムを整えて「血による偶然」を「トレーニングによる必然」に近づけた。もちろん、血の配合の研究は、どの牧場でもやっている。

2)については、
海外から積極的に良血の種牡馬を受け入れる。牝系よりも牡系重視。

3)については、
いわゆる「一口馬主」制度を強化、提携を積極化して、一般消費者が、誰でも馬主になれる仕組みと、そのサービス面、販路を拡大した。

「偶然を、必然へ・・・ハードとソフトの組み合わせ」
「血は内部で完結させず、外部からの血を入れる」
「高級・高価なものを、大衆向けに小口化する」

一般企業の経営に通じるものがある。

そして、
社台グループ総帥 故・吉田善哉氏は、
3人の息子に、3つの独立した牧場を分社化させ、受け継がせた。
この3人の息子の3牧場が、
現在、生産牧場ランキング上位3位を、20年間にわたり、ほぼ独占しているのである。

社台の創始者は、優秀な後継者を育てた。
これも、一般企業の経営に通じることである。
自らも優秀な種牡馬であり、育成ファームであり、小口化したのである。


覚悟は、自身の思考確立によって ~対極も取り込む

入社前から、いわゆる「ブラック企業」の呼び声、高かった??笑
のが、前職のコンサルタント会社・船井総研である。
もっとも、当時「ブラック」という言葉はなく、
単に
「めちゃめちゃコキ使われる」
「ほとんどの新入社員は、辞めてゆく」
「休みがない」会社。。と言われていた船井総研に
自ら望んで、第一志望として就活して、6月で内定をもらっていた。

クソ・生意気な22歳だったはずだけど・・・
さすがに、働くことへの不安はあった。
「俺が、そうゆう会社で、やってゆけるんだろうか?」
「生き残れるのかな??」

でも、夏の北海道ツーリングを通して、ある「変な」覚悟ができた。
「コンサルタント会社で、やるだけやって、ダメだったら、
 この北海道のどこかの牧場で、住み込みで、働かせてもらおう・・・」というものだ。

「いや、待てよ・・・
 俺は、牧場でも、通用しない人間かもしれない。夏はいいけど、
 厳しい冬に耐えられないかも。もしも、牧場がダメだったら・・・」

「1年のうち、6月・7月・8月は、こうして北海道を満喫して、
 9月~3月は、都会の高時給バイトで、必死で働く。
 4月・5月は沖縄で、このスタイルもアリかも・・・」

北海道を
「最後、こんな自分を受け入れてくれる場所」
「帰ってこれる場所」と、身勝手に決めてしまったのだ・笑

だから、やれるところまで、頑張ろう!
もしダメだったら、北海道に帰ってくれば、何とかしてくれるだろう!

事実、仕事の物量が大変なときには、
常に、北海道の風景が、脳裏に思い浮かんでいた。

・・・・
夏の北海道のライダーハウスには、
色んな人が集まる。
もちろん、バリバリのビジネスマンが長期休暇をとってツーリングしていたり、
ナイスミドルのカッコイイおじさん達もいる。けど、
大半は、いわゆる「資本主義社会のスピンアウト組」である。
でも、
とても、人間臭くて、楽しい人たちだった。

ツーリングを通して、
最も、相容れない種類の人間とも出会う。。。
それは・・夏になると、特定の低価格ライダーハウスにやってきて、
そこの「主」のようになって、
ハウス内の一番奥の良い場所に、自分の私物を並べ、テリトリーを作り、
毎年、夏の間中、そこに居座る。
自分のことを「棟梁」などと呼ばせ、毎日、新しく泊まりに来るライダーに、
独自マナー「ここのしきたり」を小言して、
ハウス内で、偉そうなポジションをとろうとする、いい年のオッサン。
そして「棟梁」をチヤホヤすることで、
自分の「居場所」や「存在価値」を担保しようとする
「取り巻き」のオタク・ライダーども。。。笑

クソガキ大学生2人組は、
遭遇から数時間で、いち早く彼らを「○○」と見抜き、
バカにしていた。笑
(普遍的な社会の縮図を、ライダーハウスに見ていたわけだ・・)

しかしながら、
一方で・・・ここまでひどいレベルじゃなくても、
「こうして生きる方法もあるんだ」
ということも、理解し、どこかで余裕もできた。

自分が全く相容れない人からも、学び、自分に取り込んでいた。

北海道との出会い、
旅先での人との出会いのおかげで、
社会で生きるための「覚悟」みたいなもの。が、できた。





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