2020年9月27日 21:03
お笑い芸人のバカリズムが、脚本を書き、
竹野内豊が主演したドラマ「素敵な選TAXI」。

コミカルな演技、良く考えられた台本に加えて、
毎回、流れる冒頭コメントが、
真理を述べているように感じていて、気に入っている。
↓↓
人生とは、分岐点の連続である。
人は、日常生活において、
さまざまな分岐点に遭遇し、選択を迫られる。
それは、その後の人生に
さほど影響を及ぼさないものから、
生死に関わるほど重大なものまで…。
一度、選択を誤ったら、
後戻りできないのが人生です。
もし、そんな人生の分岐点に
戻ることができるとしたら、
あなたならどこに戻りますか?
このタクシーはね、
お客さんがやり直したい 分岐点に戻してあげることができるんですよ。
人生には幾多の分岐点がありまして。。
どんな仕事に就くか。
どんな部屋に住むか。
夜は何を食べようか。
どう時間を過ごすか。
そういった分岐点で、どの選択肢を選ぶか。
それで人の人生というのは、決定していくんです。
↑↑
まさに、その通り!!真理である。
誰と付き合うか、
どのテナントに入るか、
どの事業に参入するか、
どの地域に進出するか、、、
人生よりも下位レベルにある、経営においても、選択の連続である。
あと戻りは、できない。
自分が、最も正しいベストな選択ができるよう、
心に曇りない状態で、物事を見聞きし、勉強し、
自分が高まる良い環境に身を置くこと。
自分を「選択」してくれた人には、
全力で付き合い、最大の効果をもたらすこと。
だいたい、
低迷している人も会社も、
こうゆう「選択」が、間違っているだけである。。笑

仕事先へ向かう途中、可愛いタクシーに巡り合えて。。
ふと「素敵な 選・タクシー」のことを、思い出しました。
2020年9月19日 22:28
故・仰木彬監督は、「名将」「名監督」と言われる。
近鉄、オリックスの監督として、弱小チームを優勝争いの常連へと導き、
野茂やイチローなどの個性を伸ばして、名選手も育てた。
しかし、就任当初、知名度ゼロの、本当に地味な存在でした。
近鉄ファンであった中学生の私は、
「仰木監督」誕生を、嘆いていた。
「誰??オオギって? 西本サンの復帰か、もっと実績ある人にやってもらいたい!」
そのとき、父親が言った言葉を、今でも、覚えている。
「いや、この仰木は、ええかもしらんぞ。
三原監督、西本監督という名監督の下で、コーチとして、ずっと、そのやりかたを見てきている。
直前の岡本監督の下で、今の選手の特長もつかんでいる。
そんな経験をしている人は、滅多にいない。
球団が、教育させていたのかもしれん。
選手として有名じゃない監督のほうが、監督としては成功するもんや」
「うーーーん、そうか・・・」
「で、ミハラって、誰?? そんなに凄いん?」
「三原はなあ・・・」と、三原監督の凄い話を、伝え聞く。。
前職・船井総研の社長も、上記に同じであった。
コンサルタントとしては、地味だった人、内部昇進的な人が、
会社の業績を伸ばしている。
内部昇進とは言え、必ずしも、従ってきたリーダーの完全コピーではない。
良いところは真似するが、悪い点はやらない。
身近で支えることで、温めてきた独自の考えを、ちゃんと持つようになる。
多少、賢ければ。。。
腹には「まったく違うもの」を持っているものである。
そんなこんなで、内部昇進的・内閣である菅さんには、
ちょっと期待している。

数十年ぶりとなる、
政治屋・家系ではない、選挙地盤を譲ってもらっていない、
「労働の汗」の感覚も体験している(覚えていて欲しい)、総理の誕生である。
ググって、調べると、息子さんが3人。
それぞれ、一人前の男に育っているらしい。
=家庭がコントロールできている。
それだけでも、前のリーダーよりも、期待できるのはないか?
(また、こうゆうタブー視されていることを、、懲りずに書く・・・笑)
※
政治談議・・・
可能な限り、早めに解散総選挙は、したほうが良いだろう。という、個人的見解。
「コロナ対策・優先」の清廉さも、必要であるが、
したたかさも、大事である。日本のリーダーは、したたかであって欲しい。
タイミングは大事。主体的に動いたほうに分がある。これは経営も歴史も政治も、同じ。
清・濁、両極端を併せ持って、80~90点をとれる。
1年後、満了による解散なら、
その真摯さ、清廉さを1年後、大衆が覚えているか?たぶん、覚えていない。
政策の優秀さ、イメージ戦略で・・・120点を目指すのか?
でも、0点(以前のブログの天人相関説)の可能性が、どんどん大きくなってくる。
2020年9月12日 22:42
ニュースを聞いて、
直感的に思ったことが、5つほどある。
仕事先での帰りの駅で、キレイな夕焼けを見ながら、書き留めておきたい。

第一「その事実については、肯定的に受け止めている」
まあ、良かったんじゃないか?
今よりは、世の中が、良くなる可能性があるだろう!!
第二「また、マスコミって、こうゆうものだなあ・・・」
テレビでは、最長政権であったこと、株価が上がったことを、称えた報道をしていた・・・
禁じ手を使って、金をバンバン刷って、強制的に時給を上げただけ。
であるという、本質の分析はしていない。
何よりも、こうゆう未曽有の事態の最中、退陣するリーダーが
世界を見渡して、他にいるのかどうか?
私は、そこを知りたい。
そうゆうことを、なぜ、報道しないのか?
世界のコロナ映像をセンセーショナルに伝えると同様に、伝えて欲しいなあ。
マスコミは、まったく信じるに、値しない。
第三「体調管理も仕事のうち。ダメ社員の象徴である」
最近の若手ダメ社員は「病気」を理由に、
長期欠勤したり、退職したりすることが多い。
その原因は、、まさかの、あなただったのですねーー!
一国のリーダーがこれでは、そうゆう人間が増えるのも、自明の理である。
「病気」が理由であると、誰も、何も、「さわれない」風潮。。。
「体調管理も仕事のうち」=それに対して給料をもらっている・・・仕事の一部である、という、
私が教えられた常識や認識は、間違っているのか?
時代遅れなのか??
持病がありながら、それと上手に付き合い、それをも活用して、仕事をしている
中小企業の社長や幹部を、私は、幾人も知っている。
第四「病気は契機であり、真因はコロナに負けた、であろう」
「台風で、木が倒れた」
なぜ、倒れたのだろうか?
「強い台風が来たから」・・・これは、きっかけ(契機)である。
「根が弱っていたから」・・・これが、本当の理由(真因)です。
と、何年か前のブログにも、書いています。
「病気だから退陣した」
これは、きっかけ(契機)である。
本当の理由(真因)は、
「政策に支持が得られない、乗り切る自信がない」つまるところ
「未曾有の事態への対処ができない」のである。
以下、2014年の私のブログからの抜粋(我ながら、なかなか良いことを書いている!)
↓↓↓
世の中で起こるあらゆる出来事に関して
「契機」と「真因」を、毎回・毎回、あやふやにしないことが大切なのです。
「契機」も大事だし、
「真因」も大事。
しかし、
繰り返しミスが起きる、
成長が足踏みしている会社や人には、
どちらかと言えば、「真因」を追究する習慣がありません。
出来事の理由を「きっかけ=契機」だけで、
結論付けてしまっていることが多いのです。
本当の理由は、なんだったのか?
根本的な理由は、なんだったのか?
それは「契機」なのか「真因」なのか、
明確に仕分けてみましょう。
「それは、なぜか?」を、3回。
自分に聞き、他人に聞き、真因を追究してみましょう。
↑↑↑
「病気だから退陣」=契機のみと、とらえている人、大多数。。。
第五「本物の強さと、見せかけの強さ、その違い」
本当の「強さ」を持ちたいもの、それを持った人を見抜きたいものである。
調子の良いとき、自分が強いポジションにあるときは、
先頭に立って、勇ましく、強そうにしている。
いざ、逆境になると、まっさきに戦場から姿を消す。押されて、流されてしまう。
もしかして、この人は、そのタイプの人ではないか??と
思っていたことが、的中してしまった。。
強さの定義についても、
過去のブログに、武将の言葉の引用を、記している。
↓↓↓
戦場で本当に強いのは、まじめなものである。
たとえ、非力であっても、責任感が強く、
退くなと言われれば、骨になっても、退かない者が、多ければ多いほど、
その家は強い。
合戦で、勝ちに導く者は、そうゆう者たちである。
↑↑↑
世界大戦中の
イギリス・チャーチルと、ナチス・ヒトラーの対比とも、重なる。
↓↓↓
勝ったチャーチルは、
厳しい現場戦線にも赴いた。
断固とした態度、信念、自信。そして笑顔と葉巻。演説。
被害地域、戦地の最前線に
足を運び、人の心を奮い立たせた。
負けたヒトラーは、
負け始めると、指令室に籠ることが多くなり、現場に姿を見せることはなかった。
勢いに乗っているとき、攻めているときは、姿を多く見せていた。
↑↑↑
以上、5つのことを、感じました!!
病気の人に、否定的なことを言ったからって、炎上しませんようにーー・笑
もちろん、、、
彼の政策に対応して、手を打っていた結果、
うまく儲けさせてもらった。という事実はあるので、
感謝はしている。
個人としては、お疲れ様でした!と言いたい。
次のリーダーの施策に、対応してゆく準備をしよう。
2020年8月22日 21:46
20年前の馬産地と、現在の馬産地が、大きく様変わりした点は、
名馬たちの管理が厳重になったこと
=名馬と近くで触れ合うことは、ほぼ不可能に近くなったこと。
だけではない。
牧場にも、企業化の波が押し寄せ、
組織ぐるみで「勝つこと」「顧客志向」を追求した牧場が、大躍進している。

2000年代以降の20年間は、いわゆる「社台グループ」が
生産牧場ランキングの上位3位までを、ほぼ独占する状態が続いているのです。
1990年代まで、「名門」と言われていた牧場に、今、その面影はない。
調べてみると、廃業したり、売却したり・・・という牧場が、半分以上。
当時、名門と言われていたのは、
メジロ牧場
シンボリ牧場
バンブー牧場
トウショウ牧場
西山牧場(ニシノ)
谷岡牧場(サクラ)
カントリー牧場(タニノ)
谷川牧場(シンザンを生み出した)
荻伏牧場(「華麗なる一族」の系統)等々。。
その名前を冠名につけたサラブレッドが躍進し、ある種の「ブランド」になっていました。
1990年代までの名門牧場の共通点は、
このようなものでした。
1)血の配合により、偶然、強い馬が出て、その牧場を引っ張る。
2)自分の牧場のなかで、良血を受け継がせ続ける。
3)ごひいきにしてくれる有力馬主(お金持ち)を抱えている。あるいは自分自身が馬主。
これを、「社台グループ」は、どう変えたか??
※あくまで、外部から見ていた私見である。完全な研究はできていない。。
1)については、
生まれてからデビューまで、牧場で過ごす仔馬のころから「英才教育」を行う施設や、プログラムを整えて「血による偶然」を「トレーニングによる必然」に近づけた。もちろん、血の配合の研究は、どの牧場でもやっている。
2)については、
海外から積極的に良血の種牡馬を受け入れる。牝系よりも牡系重視。
3)については、
いわゆる「一口馬主」制度を強化、提携を積極化して、一般消費者が、誰でも馬主になれる仕組みと、そのサービス面、販路を拡大した。
「偶然を、必然へ・・・ハードとソフトの組み合わせ」
「血は内部で完結させず、外部からの血を入れる」
「高級・高価なものを、大衆向けに小口化する」
一般企業の経営に通じるものがある。
そして、
社台グループ総帥 故・吉田善哉氏は、
3人の息子に、3つの独立した牧場を分社化させ、受け継がせた。
この3人の息子の3牧場が、
現在、生産牧場ランキング上位3位を、20年間にわたり、ほぼ独占しているのである。
社台の創始者は、優秀な後継者を育てた。
これも、一般企業の経営に通じることである。
自らも優秀な種牡馬であり、育成ファームであり、小口化したのである。
2020年8月15日 20:23
入社前から、いわゆる「ブラック企業」の呼び声、高かった??笑
のが、前職のコンサルタント会社・船井総研である。
もっとも、当時「ブラック」という言葉はなく、
単に
「めちゃめちゃコキ使われる」
「ほとんどの新入社員は、辞めてゆく」
「休みがない」会社。。と言われていた船井総研に
自ら望んで、第一志望として就活して、6月で内定をもらっていた。
クソ・生意気な22歳だったはずだけど・・・
さすがに、働くことへの不安はあった。
「俺が、そうゆう会社で、やってゆけるんだろうか?」
「生き残れるのかな??」
でも、夏の北海道ツーリングを通して、ある「変な」覚悟ができた。
「コンサルタント会社で、やるだけやって、ダメだったら、
この北海道のどこかの牧場で、住み込みで、働かせてもらおう・・・」というものだ。
↓
「いや、待てよ・・・
俺は、牧場でも、通用しない人間かもしれない。夏はいいけど、
厳しい冬に耐えられないかも。もしも、牧場がダメだったら・・・」
↓
「1年のうち、6月・7月・8月は、こうして北海道を満喫して、
9月~3月は、都会の高時給バイトで、必死で働く。
4月・5月は沖縄で、このスタイルもアリかも・・・」
北海道を
「最後、こんな自分を受け入れてくれる場所」
「帰ってこれる場所」と、身勝手に決めてしまったのだ・笑
だから、やれるところまで、頑張ろう!
もしダメだったら、北海道に帰ってくれば、何とかしてくれるだろう!
事実、仕事の物量が大変なときには、
常に、北海道の風景が、脳裏に思い浮かんでいた。
・・・・
夏の北海道のライダーハウスには、
色んな人が集まる。
もちろん、バリバリのビジネスマンが長期休暇をとってツーリングしていたり、
ナイスミドルのカッコイイおじさん達もいる。けど、
大半は、いわゆる「資本主義社会のスピンアウト組」である。
でも、
とても、人間臭くて、楽しい人たちだった。

ツーリングを通して、
最も、相容れない種類の人間とも出会う。。。
それは・・夏になると、特定の低価格ライダーハウスにやってきて、
そこの「主」のようになって、
ハウス内の一番奥の良い場所に、自分の私物を並べ、テリトリーを作り、
毎年、夏の間中、そこに居座る。
自分のことを「棟梁」などと呼ばせ、毎日、新しく泊まりに来るライダーに、
独自マナー「ここのしきたり」を小言して、
ハウス内で、偉そうなポジションをとろうとする、いい年のオッサン。
そして「棟梁」をチヤホヤすることで、
自分の「居場所」や「存在価値」を担保しようとする
「取り巻き」のオタク・ライダーども。。。笑
クソガキ大学生2人組は、
遭遇から数時間で、いち早く彼らを「○○」と見抜き、
バカにしていた。笑
(普遍的な社会の縮図を、ライダーハウスに見ていたわけだ・・)
しかしながら、
一方で・・・ここまでひどいレベルじゃなくても、
「こうして生きる方法もあるんだ」
ということも、理解し、どこかで余裕もできた。
自分が全く相容れない人からも、学び、自分に取り込んでいた。
北海道との出会い、
旅先での人との出会いのおかげで、
社会で生きるための「覚悟」みたいなもの。が、できた。