2022年6月4日 21:20
酒販店に到着して、
3たび、入社してからの1ヶ月のことを話す。
その日、3度目の公演。さすがに、自分で飽きてくる。
で、たとえば、このお店ならば・・・ということを
「先輩方がやってること(やっているで、あろうこと)」と
「自分が下働きでやっていること」に分けて、そのままを、お話しした。
入社後からつけているノートを持って、旅に出ていたので、それも、見せた。
先輩が、クライアント先でヒアリングしている(であろう)内容を、聞き取りした。
すると、コンサルティングを受けたい。という話になった。が、
どうすれば良いのか、わかならいので、
いったん、名刺を交換して、後日連絡ということに。
すっかり夕方になってしまい、
「これからどうする?」「ここに泊まっていけ!」というお誘いを、
お気持ちのみ、ありがたくちょうだいして、室戸岬に向かう。
その前に・・・約束の「定時連絡」を会社に入れなきゃならない時間。
緑の電話ボックス。テレフォンカードを入れて、電話をかける。
ものすごい勢いで、テレカの度数が減ってゆく・・
(当時、船井総研はフリーダイヤル契約すら、していなかった・笑)
1つ上の先輩が、祝日にもかかわらず、やはり、出社していて、電話に出てくれた。
「えーーーー!?今、四国なのー??」
「実は、明日、来てもらおうと思ってたんやけど・・・」
(↑大阪を離れて、正解や!笑)
でも、
コンサルティングを受注できそうだ。という話をすると、
ちょっと、空気が変わった。その先輩よりも、先に受注する訳である。
「それは・・・○○さん(=猛者上司たち)に連絡して、行ってもらうようにしたほうがいいね」「伝言ノートに書いておくよ」
というわけで、
主任の先輩にくっついて、支援同行させてもらうこととなり、
依頼書の「担当者」欄に、主任と私、2名並列で、名前を書いてもらった。
これが入社1年目、入社して2ヶ月目での「初受注」である。
初受注は、
会社の力で、仕事がとれたのか、
個人の力で、仕事がとれて会社に貢献できたのか??
80%は会社の力である。
でも、20%の個人の自力と運で、お客様と出会えた。
偶然に、偶然が重なった、まがいなりの初受注は、
・自分自身が、何かしら動くことで、仕事にありつけること。
・仕事もプライベートも境目なく、過ごしていれば、必ずチャンスは巡ってくること。
・会社をステージとして、自分が演じて、お客様を満足させること
(会社から仕事をもらうのではない、自分が会社に仕事を持ってくるんだ。それができなきゃ、一生、ハードな下請け仕事)
そんなことを、学び体験しました。
当時は、なんとなく感じていただけ。
徐々に、体験が生き方として、沁みついてくる。
会社にかかってくる電話を、ひたすらとり続ける。とか、
先輩からどこかクライアントを譲ってもらう。とか、
誰かにお膳立てしてもらって、仕事をもらう。とか、そうゆうスタイルではない、
実力が無いなりに、少しだけ
自分のスタイルが通用したことが、嬉しい初受注の体験でした。
2022年5月29日 20:17
商工会議所の職員さんの用事は、
地元出身のボクシング・世界チャンピオンのサイン色紙を
講演に来てくれたベテラン・コンサルタントさんに、届けておいて欲しい。
というものだった・笑
サインをもらっておいてあげる。と、その際、約束していたらしい。
何とも、律儀な・・・・。
そして、ちゃんと、私の分も、持ってきてくれた。
「アンタッチャブル」の異名の世界チャンピオン、川島郭志。
徳島県海部町/海南高校出身。
防御が早すぎて、対戦相手が「触ることができない」から「アンタッチャブル」
それほどのディフェンス力と、身のこなしであった。

相手パンチが当たる直前で、顔をクルっと流す「スリッピング・アウェー」が、得意技。
いつかのブログに書いた
・・・中学バスケ部・顧問先生の連続ビンタ攻撃をやわらげる技と同じやん!!
・・・オレも、この技、やってたで!!
ってことで、シンパシーを感じる、笑、とても、かっこいいボクサーでした。
ツーリングで、とんでもない戦利品をゲットできた。
今でも家に置いている。
で、商工会議所の職員さんに、
先輩たちがやっていること、
どんな仕事をしているのか?
なんで、この会社に入ったのか??
なんで、今、この四国にいるのか???を、また、話した。
大将と奥さんも、色々、つけ加えてくれた。
今、酒販店の売上アップチームに配属されていることを知ると、
「前向きな酒販店があるから、紹介したい」と言う。
いやいや、紹介されても、何もできないです。と言ったけど、
この職員さん、酒販店さんに、
勝手に電話して、勝手にアポイントをとりつけてしまった。
「はい、今から一緒に行こう。それ、話してあげて!」
(続く)
2022年5月28日 21:35
腹が、、、、減った。
とりあえず、このあたりで、うまい飯屋を探そう。
地元情報誌を、立ち読みして探そう。。と、
田舎町のショッピングセンター風・施設の本屋に行った。
しかし、情報誌に旨そうなお店は掲載されていなかった。
いかにも、観光客相手の「嘘くさい店」しか、掲載されていない。
そこで、書店の店主に聞いた。
「あの、大阪から来たんですけど、
このあたりで美味しいお昼ご飯を食べれるお店は、ありますか?」
旅(=人生)の名手のやり口だ・笑
「わからないことは、知っていそうな人に聞く」
知っていそうな人の探し方に、観察眼とセンスが問われる。
で、声をかける行動力が大切である。
「迷う者、道聞かず」
すると、店を教えてくれた。
丁寧に、道を教えてくれたうえ、
電話して、ランチの営業確認&予約までしてくれた。
「今から、こうゆうお兄ちゃんが行くから~」と。
現地に行ってみると、社会人1年目が行くにしては、
敷居の高そうなお寿司屋さん。
一瞬、たじろぐ。
が、せっかく電話してもらったんだから、入ってみよう。
カウンターに座り、大将&奥様と、お話をする。
どうやら、すし店の大将と、書店の主人は、同級生(悪友)であるらしい。
バイクが好き、龍馬が好き、四国が好きであること。
コンサルタント会社に入ってからの約1ヶ月間に起こったこと。を話した。
「何というコンサルタント会社に就職したの?」と聞かれて、
船井総合研究所と、答えると、
「ん?? なんか聞いたことがあるぞ?」という反応。
(いやいや、、、そんなことはない。。)
当時は、今よりも、もーーーっと、無名の会社である。
「船井総研です!」と、電話をかけると、
「社長!!フナイ証券さんから電話ですーー」なんて、ことは当たり前。
※財テク、株をしてる社長、多かったんだろうなー。
「あなたーー、フナイ商店さんから電話よー」とか、
「あ、あの格安電化製品のフナイ電気さんの子会社でしょ」とも。
「心当たりがある」と言って、
寿司屋の大将が電話をしたのは、商工会議所の職員さん。
すると、
「船井総研、知っている」
「去年、商工会議所で、講演を依頼した」
「そのときの講師の話が、良かった。面白かった」
電話を代わってもらって、少し話をしたら、
「今から、寿司屋に行く」とのこと。
「いやいや、ぼく、入社1年目。
しかも、1ヶ月働いただけ。
来てもらっても、困るから、来ないで」と、言ったけど、
、、、
来た。。。
入社当時、一番最初に買った、いわゆる「船井本」。

まだ、本棚に残しています。
2022年5月22日 21:01
4月に入社してから、毎日、終電か、それ近くまで仕事をする。
会社に泊まること週1~2日。
土日も休みナシ。濃厚激務が、1か月。
体感的には、3か月分くらい働いた、長い、長い、1ヶ月。
(GWは、少しは、まとまって休めるのか?)
(さすがに、休みたいぞ!)と思い、同じチーム内で、
一緒に、馬車馬のように働いている先輩に聞いてみた。
1つ上の面倒見の良い先輩。
答えは「え!?中西君、、、それは、無理ちゃうかなー。ボクが1年目の時のGWはね・・・・・」
2つ上の優しい誰よりも仕事している先輩にも、聞いてみた。
「だよね、だよね、休みたいよね。ワタシも休みたいけど・・・」
3つ上の、軽やかなお兄さん的な先輩にも聞いてみた。
「あー、ええんちゃう。休んでも!
他の部署の先輩全員に聞いて、仕事がなければ!!聞いてみたらええねん。ダメもとで・笑」
1人目であきらめず、社歴順に3人に聞いた。3つ上の先輩の意見を採用した。
(組織においては、より上位の先輩の発言が有効なのである!)
ちょっとした、ずる賢さ・粘り方を、1ヶ月で学んだ・笑
我々、若手スタッフに、仕事をくれるのは、
個別のクライアントを持ち、現場で仕事して活動=稼いでいる、
リーダー、チーフ、主任の皆さん、4人の猛者たち。
ひとりひとりに、勇気を出して、聞いてみた。
「GW中、お手伝いできる、お仕事はありますか?」
これで、4人とも「ない」と返事があれば、
「2日間だけ、お休みいただいて、よろしいですか?」と言える。
これが、休みをもらうときの、手順である。
自分の希望や都合を、先に言わない。
まず、先輩に仕事の状況を聞いてみてから。
社会人としての当然のルールは、こうして学んでゆく。
答えは、4人とも
「今のところは、ない。しかし、直前にならないと、わからない」
「だから、直前に聞いてくれ」
希望を、つなぎ、
GWに突入する前日の定時連絡で、全員に確認すると、
3日間の休みがとれた!!
ただし、この2つの条件付きである。
1)毎日、夕方に会社に連絡を入れること。
2)その際、誰か先輩が「出てきて欲しい」と言えば、すぐに出社すること。
大阪にいると、呼び出される可能性・大。
そうだ、どこかに行ってしまおう!
そうだ、もう一度、坂本竜馬に会いに行こう。
「志」を思い出すために!!
当時の愛車・400ccのバイク、カワサキ・ゼファーに乗り、
四国半周のツーリングに出かけた。
夜明けとともに、いそいそと、
地図と最低限の着替えをリュック1個に詰め込み、大阪を出発。
お金がないから、高速道路は使わず、
淡路島を下道で通過し、
ふらふら、漁港や海岸に立ち寄り、釣り人や老人に話しかけ、
徳島の海岸線「南阿波サンライン」を走り、
昼過ぎには、高知県との県境、室戸岬の手前、徳島県宍喰町(現・海陽町)に着いた。
漁港には、こんな風景がある。
こんな風景が、私のモチベーションをアップさせてくれる。

↓↓

(続く)
2022年5月21日 22:30
大学を卒業して、
船井総研という経営コンサルタント会社に入社して1年目、22歳。
約25年前の4月~5月、ちょうど今頃の時期の出来事。回想録。
入社した同期社員の関心事のひとつは、
「誰が一番に、コンサルティングの仕事を受注するか?」ということ。
※少なくとも、私は、そうであった。
「依頼書」という契約書の「担当者」欄に、
自分の名前が書かれること=自分のクライアント先ができることに、憧れを抱いて、
新人は、仕事をスタートする。
その「初受注」のための最短ルートは、
会社にかかってくる電話に出ること。と、教えられました。
「ローコスト・オペレーション」が徹底されていた船井総研では、
「電話受付」専門の部署など、なかった。
部署ごとの電話番号もない。
フロアごとにさえ、分かれていない。
代表電話番号1つから、各部署の内線につなぐという方式で、大阪本社に150名が勤務していた。
「人件費も、電話回線代も、もったいない。誰かが電話に出れば、それで良い。」
このコスト意識の高さ(ケチ)が、
中小企業の魂を知るコンサルタントを生みだす土壌でもあった。
・・・ただし、今、考えれば・・・である。
当時は、おバカ大学生、世間知らずの低能クソガキだったから、
「電話受付の専門スタッフくらい、雇えよ!」「逆に非効率だ。こっちは忙しいんだ」って、思っていた。
コンサルティングや講演を依頼したい会社が、電話をかけてくるのを、
新人が、いち早くキャッチし、それを自分の部署の先輩につなげ、
自分も何かの役割をもらい、先輩に、くっついて行く。
これが「初受注」の推奨モデルであった。
ただ、、、
ほぼ、耐えることなく、鳴り続ける電話の99%は、
先輩のクライアント先=既存顧客からの入電である。
もちろん、新人の仕事は、電話に出ることだけではない。
毎日が終電、あるいは、泊り込みでの勤務。
膨大な仕事(主に調査とデータ入力)を、先輩からいただき、
納期に間に合わせるため、必死で作業をしている。
正直、電話に出ても、時間の無駄で、何の得にもならない。
そこで、私が感じていたことは、以下の通り。
事務社員のお姉さま方が、電話に出れば良いだろ!!
比較的、ゆったり目に、おしゃべりしながら仕事をしていて、
ランチは1時間たっぷり食べて、いつも定時に帰るんだから。
どうも、上記の大義名分を作り、
電話に出るという「作業」を新人にやらせている感が、ぷんぷん漂う。
新人を「操作」しているな。
そのことに、入社1週間くらいで、気づいた。
率先して電話に出る新人は、
社内のお姉さま方から「良い子、優秀な子」とされ、
自分が電話に出れるタイミングと場所だけしか、
電話をとらない私は「言うことを聞かないダメな子」とされる。
俺はコンサルタントになりたいんや。
おぼえめでたき社員になりたいわけちゃうわ!
なーーーんて、思ってた。笑
そんな私が、入社2か月目、
新人の中で、最速で、受注できた経緯を、書き留めておく。
(続く)

出張中、東京駅から新幹線のホームより。
現在の船井総研が入居している立派なビルが見える。
25年前の大阪事務所は、
大阪の繁華街のはずれ「兎我野町」という怪しめエリアの雑居ビルの2フロア。
夜、お姉さま方から、遊んでいかない?の声を、たくさんかけられながら、歩く街でした。