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偶然を必然に。外部から取り入れ。小口化。・・経営成功の秘訣。

20年前の馬産地と、現在の馬産地が、大きく様変わりした点は、
名馬たちの管理が厳重になったこと
=名馬と近くで触れ合うことは、ほぼ不可能に近くなったこと。
だけではない。

牧場にも、企業化の波が押し寄せ、
組織ぐるみで「勝つこと」「顧客志向」を追求した牧場が、大躍進している。

2000年代以降の20年間は、いわゆる「社台グループ」が
生産牧場ランキングの上位3位までを、ほぼ独占する状態が続いているのです。

1990年代まで、「名門」と言われていた牧場に、今、その面影はない。
調べてみると、廃業したり、売却したり・・・という牧場が、半分以上。
当時、名門と言われていたのは、
メジロ牧場
シンボリ牧場
バンブー牧場
トウショウ牧場
西山牧場(ニシノ)
谷岡牧場(サクラ)
カントリー牧場(タニノ)
谷川牧場(シンザンを生み出した)
荻伏牧場(「華麗なる一族」の系統)等々。。
その名前を冠名につけたサラブレッドが躍進し、ある種の「ブランド」になっていました。

1990年代までの名門牧場の共通点は、
このようなものでした。
1)血の配合により、偶然、強い馬が出て、その牧場を引っ張る。
2)自分の牧場のなかで、良血を受け継がせ続ける。
3)ごひいきにしてくれる有力馬主(お金持ち)を抱えている。あるいは自分自身が馬主。

これを、「社台グループ」は、どう変えたか??
※あくまで、外部から見ていた私見である。完全な研究はできていない。。

1)については、
生まれてからデビューまで、牧場で過ごす仔馬のころから「英才教育」を行う施設や、プログラムを整えて「血による偶然」を「トレーニングによる必然」に近づけた。もちろん、血の配合の研究は、どの牧場でもやっている。

2)については、
海外から積極的に良血の種牡馬を受け入れる。牝系よりも牡系重視。

3)については、
いわゆる「一口馬主」制度を強化、提携を積極化して、一般消費者が、誰でも馬主になれる仕組みと、そのサービス面、販路を拡大した。

「偶然を、必然へ・・・ハードとソフトの組み合わせ」
「血は内部で完結させず、外部からの血を入れる」
「高級・高価なものを、大衆向けに小口化する」

一般企業の経営に通じるものがある。

そして、
社台グループ総帥 故・吉田善哉氏は、
3人の息子に、3つの独立した牧場を分社化させ、受け継がせた。
この3人の息子の3牧場が、
現在、生産牧場ランキング上位3位を、20年間にわたり、ほぼ独占しているのである。

社台の創始者は、優秀な後継者を育てた。
これも、一般企業の経営に通じることである。
自らも優秀な種牡馬であり、育成ファームであり、小口化したのである。


七夕の願いは・・毎年同じ!

毎年、7月7日=七夕が近づくと、
当社が入居しているオフィスビルが、
1階ロビーに、笹と短冊を用意してくれます。

今年は、忙しくて、願い事を書くタイミングがなかったのですが・・・
7月7日の夜中、オフィスに戻ると、
スタッフさんが、用意してくれていました。

願い事は、毎年、同じ、この内容。

追っても、追っても、
追いつかないかもしれない夢・・・・。
でも、しつこく、しつこく、しつこーーく、追いかけ回します!


ガテン系・身体コミュニケーション

仕事で必要な大きな荷物を、
時間的に、家でも事務所でも、受け取ることができず・・・
運送会社の「センター留め」にしてもらい、
夜中、受け取りに行きました。

巨大物流センターは、夜中も、こんな感じで動いています。
いやー・・・この果てしない、壮大な物量と、
仕分けの技術に、感動を覚え、しばらく見学。。。笑

6個口の重たい荷物を用意してもらい、
車に積み込んでいると・・・・
出荷場に来ていた、
この会社の運送ドライバーさんが、
何も言わずに、手伝ってくれました。

ガテン系の仕事って、
とてもわかりやすい、こうゆう醍醐味があります。
ハッキリ言って・・・・大好きです!笑

浅黒い中年のおじさんでした。
「すみません!!ありがとうございます」と、謝意をあらわすと、
ただ、笑って、手をあげて、自分の車へ帰ってゆきました。

普通の服で、普通の車で、
こんな時間に、巨大センターに入ってきて、
目をパチクリさせて、感動していたのを、見ていたのか??

重たい荷物だったので、
「ヨーーシ!」と気合を入れて、
小走りで、楽しそうに荷物を運んでいた姿を、見ていたのか?

※決して、エッチラ、オッチラ、ヨタヨタと、運んでいたわけではない。
颯爽と、運んでいた(つもりだ)

自分なりに、イケてる感じで運んだつもりでも、
プロから見れば「危ない運び方だなあ、助けてやらねば」と、
思われたのかな?

それとも・・・
これが、このガテン系ドライバーさんの「生き方のルール」なのか。

「昭和の男」が、
最も、憧れる行為の一種である。
かなり以前のブログに書いた「高倉健」と「池部良」の、
殴り込みシーンと同じである。

ともかく、
私が、このドライバーさんの、この行動で、
この運送会社のファンになったことは、間違いない。

私も、こんな人になりたいな・・・と、
今更ながら、感じたことも、間違いない。


「日本は戦争に負ける」=「コロナは交通事故以下」~アフターコロナ最低限の条件

緊急事態宣言が解除されました。
が、きわめて不機嫌である。笑

「ウィズ・コロナ」など、今ごろ言っても、遅い。

ちょっと学習すれば、そんなこと、誰でもわかることで、
最初から、その前提で施策を作れば、大混乱と大損失は、防ぐことができた。
大阪の取り組みが、最も洗練されていることも、わかっていた。

3月時点のブログに書いているから、そこを読んでみて欲しい。

「新たなステージを、乗り切ってゆきましょう」とか言う前に、
現状把握と、問題点の認識=数字でリスクの実態をつかむ。
それに即した対策を立てる。
という「課題解決への入り方」が
ほぼ、間違っていたことを認めて、改めなければ、社会も、経済も、まず、復活しない。
国のトップの施策もダメなら、
マスコミの報道も、ダメダメだ。。。
そして、大衆の脳は「悪い方向」へと、洗脳されてゆく。
消費者の「心」を、明るく、前向きな方向に開放しなければ、復活はない。

「学校を、いきなり一斉休校にしたのは、間違いでした!」
「海外からの渡航者・帰国者を、検査なし、待機要請だけで帰してしまったのが、
 最大の間違いでした!」
「緊急事態宣言は、このミスをリカバリーするもので、そこまでする必要はなかったかもしれません。」
「アベノマスクについては、給料減らして責任とります。」

「数字で見ると、コロナに感染する人の割合は、10万人に2人です」
「陽性でも、入院が必要な人は、10人に1人以下です」
「入院して、死に至ることもあります。が、それは、他の病気と同程度の確率です」
「マスコミの皆さんにおけれましては、感染者・死者を報道するときには、
 インフルエンザや、癌にかかる人、交通事故に遭う人、それが原因で死ぬ人の数と、
 並べて報道してください」
「今のうちに、医療体制を、万全に整備しておきます。
 もしもかかってしまった場合でも、安心してください。」

ここから、再スタートするのが、復活の最短距離なのに・・・。

 
今、統計データと実態を、冷静に見れる人だけが、
「コロナは、適切に気をつければ、大したことない」という意見を持っている。

適度とは「交通事故に遭わない、遭わせないくらい」に気をつけるのである。

交通事故、月々4万件。
コロナ感染、現在、月に1万件。交通事故の4分の1である。
自分が原因で、
いつ、誰に、迷惑をかけるかわからない。のは、同じである。
「こうすれば、絶対に免れることができる」という策がないのも、同じである。
「交通事故に遭うのが危険だから、
 全員、外出しないでください、店を閉めてください」と言ったようなものである。

「コロナは、等身大でとらえれば良い」「他の病気と大差ない」
「過剰に反応しすぎているだけ」
なのに、流れは違う方向にどんどんそれてゆく。
大っぴらに言えば「常識がない」と言われる。

きっと、戦時中「日本は戦争に負ける」と、
現状を正確に分析し、読んでいた人は、
こんな気持ちに、似た感じだったのだろうなー。

定期的に吐き出す毒・・・の回でした。

大阪・北新地の夜・・・
元に戻る日は、このままだと、遠い先になりそうです。


コンサルタントの梁山泊

「梁山泊」・・・
中国の歴史小説「水滸伝」の主人公たちが集う、秘密の拠点。
好漢108人が、悪政はびこる政府から、国を救うために集まり、
戦いの拠点とした場所である。

ここから転じて「梁山泊」は
「一芸に秀でた有志が集まる場所」を、意味する代名詞のように使われている。
※独立の時、社名の候補の一つとしていた言葉でもある。笑

大学卒業と同時に、入社したころの(株)船井総合研究所は、
まさに「コンサルタントの梁山泊」であった。
とんでもない傑物・英雄が、ゴロゴロしていた。
少なくとも、私は、そうとらえていた。
(水滸伝そのままに、決して、お行儀の良い人たちではなかったが・・・)

相当の覚悟を決めて、入社したものの
社員総会に参加し、そこで、顧問先での事例発表をする先輩たちの姿を見て、
「とんでもないところに来てしまった・・」
「俺には、無理だ・・」
「3年間、頑張ってみて、無理だったら、
ツーリングで訪れた北海道の牧場で、働かせてもらおう・・」と、
心底、思ったものである。
総会参加後の感想文にも、そのように書いたことを覚えている。

コロナ禍の今、
影響を受けずに、仕事をさせてもらっているのは、
船井総研が「梁山泊」であった時代に、在籍させてもらい、
必死で食らいついて、勉強し、質問し、
先輩・仲間・後輩、クライアント様に、
たくさんのことを学ばせてもらったおかげである。

色んな差支えもあって、
ここでは書けないような「キーポイント」になる原則がある。
今度、会ったときにでも、聞いてもらいたい。

 
街を歩いている最中・・・
得意(趣味??)の
「目的地まで、ちょっと遠回りして、違う道を歩いてみる」をしていると、
「梁山泊」の表札が掲げられたお屋敷を発見しました!

この場所。。。地図検索してみるも、
何も出てこない。。。謎の場所である。
果たして、ここで、何が行われているんだろうか。
さすがに、ピンポン!はできませんでした。





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