2021年5月23日 22:47
ヒトを含む、生物の原点の勉強になる。。
集団で1頭を狙う。これは、自然界の法則である。
集団となることは、目的を達成させるために、大きな力を持つ。
集団の中で、実際に「働いている」ヤツは、ひと握りだけ。
他の大勢は、美味しいところに与ろう・・・と、本気を出していない。
リスクは最小限。「正々堂々、正面から・・・」という論理は、生物にはない。
ステップを踏んで、仕留める。
ハートがあり、スキルに優れたヤツは、
集団の中で、一目置かれる(置かれていそうだ)献身的に、任務を遂行する。
肉食獣の「狩り」が、
案外、地味なことは、ライオンに限ったことではない。
クマは、雑食である。ドングリや草木がメイン。時々昆虫やカニを食べている。
シカの肉を食べるときも、死肉を食べていることが多い。
シャチは、集団でクジラを襲うが、ガブーーッとやるわけではない。
かわるがわる、みんなでクジラの上にのっかり、
浮上して息つぎすることをさせず、窒息死させる。そのあとから、ゆっくりムシャムシャ食べる。
現代の人間社会に、通じることが、たくさんある。
受注活動や営業活動、生産活動も、そうゆうものだ。
決して、派手なものではない。地道なものだ。
集団の力を発揮するほうが強い。
一部の勇敢で、技術ある、人格者が他をひっぱる。
半数以上は、働いているポーズをしている。
段階を踏んでこそ、獲物を手にすることができる。
子供にこそ、見せるべき理由・その1
さあ、キミは、
今、どのライオンか?
どのライオンになりたいのか??

ヒヨコ君、草食獣に狙われる。。
逃げろ~~!!
2021年5月22日 21:56
生物系のテレビ番組では、
私の一番見たいところが、カットされてしまう。
「捕食シーン」である。
ライオンたちが、獲物を見つけ、ばーーっと、走り出す。
待ち伏せ等の連携プレイで、草食獣に、飛びかかる!
↓
で、次のシーンでは、
みんなで、ムシャムシャ食べているところが、映し出される。。
これが現代のテレビの悲しい点。。
違う!
俺は、その間のシーンが見たいんだ!!
飛びかかってから、どうやって、仕留めるのか?
捕食=つまりは、生き物が「食事」に、いつ、どうやって、変わるのか??を見たいんだ!
きっと「残酷だ、子供に見せられない」などと言う、
アホ視聴者の声に、配慮してのことであろう。。
しかし、実は、この映像、子供にこそ、見せるべきなのである。
理由は、また後日。。
そうだ!
こうゆうときこそ、ユーチューブの出番だ!
で、検索してみると、あります、あります、、リアルなライオンの狩りの動画。
皆さん、ライオンがどうやって、フィニッシュ=食事タイムにもってゆくのか?
知っていますか?
ライオンの「狩り映像」ばかり、ユーチューブを約6時間も見て、わかったことがあります。
「狩り」は、意外に地味な作業なのです。

私のイメージとしては、
ライオンが、ガブーーッと、
噛みついたり、
牙や爪で切り裂き、草食獣の血が流れる・・という狩りをイメージしていましたが、、
現実は違っています。
まず、対象となる一頭の水牛を、メスライオンが、群れで、取り囲む。
勇敢なヤツが、飛びかかる。次に、それを見ていた、まあまあ勇敢なヤツが飛びかかる。
半数以上のヤツは「見てるだけ」か「攻撃しているポーズをしてるだけ」
飛びかかるが、決して、前からは、行かない。
お尻にしがみつく。=動きを止める。
そのあと、何頭も、お尻にしがみつく。=地面に横倒しすることが目的。
そのうちに、一番、勇敢で狩りの上手そうなヤツが、喉元に的確に噛みつく。
でも、食いちぎる。。というよりも、窒息させ、体力を奪う目的。
嚙みついたまま、動かない。離れない。
水牛が体力を消耗して、疲れて、倒れる。
そこで、その他大勢のライオンが、群れて寄ってくる。
下腹部のやわらかいところだけに、集中して、食べ始める。
この間、平均すれば、約1時間前後は、かかっている。
仲間が食べ始めても、
喉元に食らいついた勇敢な彼女は、ずっと体勢をキープしたままである。
<後編>に続く・・・笑
2021年3月14日 21:36
いわゆる「ドカタ」補助のアルバイトの内容は、
あわゆる建設資材の積み下ろし、穴掘り、
コンクリを作って、運んで、流し込む。
ショベルカー等、機材を使ってのアレコレ。
体力には、それなりの自信があるほうだったけど、
ジブリ爺さんの要領やスピードに、ついてゆけず、
社会では、高校生程度の体力は、通用しない無力さを痛感する、
でっかい槌で、家屋をバキバキに解体する仕事が、一番怖かった。
困ったのは、ジブリ爺さんとのコミュニケーション。。
「そこ、ハツれ」
「え?」
「ハツれ!」
「ハ??ツ??る???、え?」
大きな掘削機で、ドドドドッと、地面に穴をあけることを、
建設用語で「ハツる」と言います。
高校生相手にも、説明なんて、一切なし。
ジブリは、不機嫌になって、自分でやりはじめる。
「あ、わかりました!やります!」と言うと、
何も言わず、マシンを放り出して、別の場所に行ってしまう。
「それ、もんどけ!」
「もめ??」
「もめ!」
「え??(爺さんの肩??何を、もむんですか??)」
ビスなんかで、穴をあけることを「もむ」という。
ジブリは、言葉も何を言ってるか、わからないから、
何度も聞き直す。。笑
聞き直すと、不機嫌になるから、適当にやってると、
また、怒られる。。
もっとも、怒っていても、何を言ってるか、わからないのだけど、
雰囲気が悪いことは、確かである。
一番、楽な仕事は、廃材を燃やす「たき火」だったなあ。
面白いし、早く、燃やしたかったから、
調子に乗って、どんどん火を大きくして、
「原住民の祭り」のように、2階くらいまでの火の大きさにして、、、
怒られたことがある・笑
お金を得ることは、簡単ではない。
命がけである。我慢もしなければならない。
肉体と汗が噴き出る労働が、基本にある。
結果として、そんなことを身体で覚えることができた。
とても感謝している。
肉体労働せずに、お金を得る人間は、
脳ミソで、それ以上の「汗」をかかなきゃ、ならないのである。

深夜、ナレーションも何もナシで、
ひたすら、たき火を映している。。という番組に偶然遭遇し、はまっています。
原始時代から続く、本能に、働きかけているようです。
2021年3月6日 21:09
昔、もう20年以上前、
とある駅前の、古臭いビジネスホテルに泊まったことがある。
百万人都市の主要駅でありながら、
昔ながらの面影をそのままに残している駅前で、
「なんか、面白いことが、あるんじゃないか?」と、
ブラブラ歩くのが好きだった。
タイムスリップしたか、
アジアの街に瞬間移動したような感覚があった。
穴の開いた、ビニールシートのアーケード。
果物屋さんや、おもちゃ屋さん、金券ショップに、サラ金屋さん。。
雑居ビルの上には、ネオンと看板が立ちならんでいた。
最近、再開発が進み、
この「闇市風」駅前の一画は、
巨大商業ビルや、タワーマンションとなってしまった。
(あの、さびれたビジネスホテルは、どうなっただろう??)と、
気になって、調べると、まだ、あった!
巨大ビルの数フロアを、自社のものとして営業していた。
おそらく、地権者であったのだろう。
館内も、当時とは全く異なる、
ハイセンスな作りになっている。
(改装にあたり、優秀なコンサルタントが入った“匂い”がする)

そして、ロビーには、
「見ろ!」とばかりに、高級陶磁器ブランドのコレクション。
おお~、
あんなボロボロの貧乏ホテルに見えて、
しっかり、貯め込んでいたんだな・・・(笑)
きっと、経営者の自宅のコレクションを見たコンサルタントが、
「これ、使えませんかね??」
「家に飾っておいても、お金は生みませんよ」
「本当に大事なものだけ、とっておいて、他は会社に貸し出してください」と、
言ったのだろう・笑
人は、見た目や、持ち物だけで判断できない。
豪邸に住み、高級車に乗り、
ピカピカの店舗を作っていても、
その実、中身は借金まみれで、火の車。。なんてことのほうが、多いかもしれない。
その逆のことも、たくさんあるわけです。
2021年2月4日 22:25
ボクシング好きとなるきっかけは、
中学生のころ、お留守番中、
偶然「浜田剛史」の試合を観たことだった。
(・・・・これは、以前のブログにも書いているので、ご参照ください)
そのあと、中西少年、中学3年生のとき、
井岡弘樹が、当時、世界最速・18歳で、世界チャンピオンになる。
その井岡のトレーナーが、エディタウンゼントさんである。
18歳のチャンピオンと、外国人のお爺さんトレーナー。
世界を獲った後、井岡の初防衛戦。
エディさんは、病気にもかかわらず、車椅子で会場へ向かうも、
体調が急変し、病院へ運ばれる。
井岡は、そのことを知らないまま戦い、12回TKOで、なんとか初防衛に成功。
エディさんは、勝利の報告を受けたその夜、天国へ旅立つ。
まるで、映画のような現実に、心を熱くした。

数多くの日本人ボクサーを育てたエディさんの名言をご紹介。
「チャンピオンになれるか、なれないか。それは、ほんのちょっとの差」
人が練習を止めた時、もう少しだけ練習した奴、
苦しくて負けそうになった時、もう少しだけ頑張った奴だけが
チャンピオンになれる。
「負けたときが大事なの。勝ったときはいいの。
世界チャンピオンになったら、みんな喜んでリングに上がりますね。
でもボクならない。一番最後にリングに上がるの。
よかったね、おめでとう、というだけよ。
夜、ドンチャン騒ぎありますね。でもボク騒がない。
ナイスファイト、また明日ね、といって帰るの。
でも、負けたときは最後までいます。病院にも行くの。
ずっと一緒よ。それがトレーナーなの。わかります?」
選手を、愛情あふれる厳しさで、励まし育む人だった。