top > 読んでも得なし(ヘビー)


もう1個だけ書いておく。これで最後にするから!

あのな・・・・
オッサン、オバハン。。その茶番パフォーマンスに、
一言つけ加えることが、できんのか?

自身を守るためです。
社会を守るためです。
命にかかわることです。
家にいれば、大切な命が救われます。
家にいてください。

ってか?
また、お言葉スラスラ、TVウケ意識フレーズ・・・それは、ええけど、、やな。
  
アンタらが、家で身を守って、安全にいれるのは、その瞬間も、
家から出て、仕事してくれている人がいるから。。という一面があること、わからんのか??
俺らが、モノが食べれるのも、
電気や水道が使えるのも、
宅配が届くのも、、、こうゆうときにでも、
家から出て、仕事してくれている人がいるからや。

自分を中心とした危険回避の話だけを、話するな。
そうゆうなかでも、命をさらして働く人がいないと、社会は成り立たない。
その言葉は「外に出て、働く気がなくなる」言葉である、という一面も、認識しろ。

自分中心の「上から、上っ面」しか見えない、見ない人に、
リーダーの資格は、ない。(あくまで、個人的見解だ)

シナリオを暗記して、プレゼンしたオッサンとオバハンも、
原稿を書いたエリートも、、失格だ。

 
「今、私たちの社会生活を維持するために、
 家から出て、お仕事していただいている皆さん(ここで全業種の名前を呼んでも良い)に、
 最大の敬意と感謝の気持ちをあらわします。
 国民の皆さんも、彼ら、彼女らの安全を守る行動をとると同時に、
 最大の敬意と感謝を持って接して欲しい」

最後に、このことを、つけ加えて、言ってくれ!

今年は、例年よりも、桜が長く咲いてくれている。

陰鬱で、怒りを持ち、クライアントさんが勝ち残る道を模索しながら、
でも、ゆっくり風景を楽しめる桜、、
これは、これで、一生に一度の大切な桜である。


ボクの、ワタシの、新型コロナ対策

私の基本方針は、「免疫力を高める」である。

1)毎日、寝たいだけ、寝れるよう、就寝時間を早めにする。
2)できれば、毎日、納豆かヨーグルトを、食べる。
3)週に1度、コロナ前は、いつも大行列だから、行かなかった繁盛店に行く。
4)懐かしい音楽を、風呂場や部屋で、大声で歌う。

・・・
運動が・・・
できていない。。。このままでは、コロナ太りになるぞ。。
外でできる、バドミントンでも始めるか?
壁当て、ピッチングにするか?
バスケットボールのゴールのある公園に、勇気を出して行くか??
(タトゥとかある若者が集まってるんだよな~)

・・・
仕事についても、
きちんと、対策を講じています!


退散せよ、似非コンサルタント ~故・船井幸雄会長・10年前の本

彼の家の本棚には、
船井総研の創業者である故・船井幸雄会長の本が、
ズラリと一式、揃っています。
暴れん坊だけど(実は)真面目な彼は、ほぼ全ての「会長本」を購入して、読んでいます。

私は・・・と言えば、
船井会長の出版する本でも、
本屋で立ち読みして、中身を精査したうえ、
「購入の価値あり」と思えば、お金を出すし、
そうでなければ、お金を出さなかった。(=不良社員でした)

本棚のなかで、目にとまったのが、この本
「退散せよ、似非(エセ)コンサルタント」

(いや~会長、こんなお下品なタイトルの本も、書くのですね~)と、
この本が出版された2010年当時は、中身を見ることもなく
タイトルを見ただけで「買わなかった」会長本のひとつです。
(申し訳ない!)

しかし、最近、個人的に、ちょっと、思い当たる出来事=
(アナタ、それで、よく自分のことを「コンサルタント」と自称するね・・・)
(根本的なことから、勉強したほうが、いいんじゃない??)
というリアル「エセ・コンサルタント」に遭遇したので、手にとって、読んでみました。

さすが、会長です、、
あの当時、手にすらとらなかった書籍を
10年後の私、しっかり、読んでいます。

本の内容は、いつもの会長本で、
似非コンサルにこそ、読んで欲しい内容でした。

驚いたのは、この本の表紙にある
「2020年の完全予測・音声ファイル」

なんという偶然か・・・
いや、これをまさに「必要・必然・ベスト」と言うのでしょう。

今年になって、エセに遭遇し、
数百冊はあろうかという本の背表紙の中から、
手に取った本がコレ。
そのタイミングが「2020年」であった。という事実。

これは、音声ファイルを聞きたい!
ワクワク・ドキドキしながら、
早速、本の中に書いているパスワードにアクセスしました。

しかし、一向にダウンロード・ファイルは、送られてこない。
さすがに、10年も経てば、もう削除されているか・・・。

諦めかけた、そのとき!!
(つづく)


横綱と赤ちゃんの相撲


同窓会で1~2年時の担任の先生と少しの時間、話をした。
「やっぱり、最近の生徒って、扱いにくいですか?」と質問したら、
「いいや、扱いにくくはないで、どちらかと言えば、従順やわ」
「オマエみたいに、ガッツのあるヤツは、いなくなったわ!
“横綱と赤ちゃんが相撲をとるみたいなもんや”と言われて、
相撲をとるようなヤツはいない。
みんな先生の言う通りにする、良く言えば素直。
悪く言えば、反発してそれをバネにするってヤツがいない」

・・・・おお・・・・
そんなことまで、覚えていてくれたのか!

世に有名な
「横綱と赤ちゃんの相撲」事件。

解説しよう。

高校3年時。進路を決める三者面談の場で。。
中西少年は、関西の私学4強「関関同立」を志望校として提出した。

しかし「学年500人中400番台の常連」の成績不振生徒であったため、
3年時の担任の先生が、
「お母さん、それは、横綱と赤ちゃんが相撲をとるようなものです」とアドバイス。
そして、それを受けた母親が・・
「先生、赤ちゃんは言い過ぎではないですか?
せめて、小学生くらいではないでしょうか・・・」と返事する。

(いや、どっちも変わらんし・・・。どっちでも、ええねん!)
(俺は、受かる自信があるねん!※自分なりの根拠しかないけれど・・・)

一応、進学校であったため、
過去5年分くらいの卒業生の校内偏差値データと、
合格した大学の偏差値データが、
わかりやすく並べられた一覧データが用意されている。
それを指し示して、先生は説得する。

確かに、中西少年の校内偏差値で、
過去5年間、関関同立に合格した人は、誰一人としていない。

「キミの偏差値ならば・・・・
 大経大(大阪経済大学)か、大商大(大阪商業大学)が、圏内ですよ」
「中西、どうや、大経大か大商大。ええぞ!」

(いや、そんなの大学じゃない)
↑↑横暴であった中西少年。
大人になった今、言い換えれば、“私にとって”それは大学じゃない。
大して、大人になっていないか・・・反省。

結局、
その面談をどうやって終えたのか、覚えていない。
「横綱も立ち会いで、すべって転ぶこともある。それに期待しよう」
くらいに思っていた。

怒った記憶もなく、反骨精神を発揮したわけでもない。
(まあ、普通、そう思うよなー)程度の
いたって、楽観的なものだった。

根拠の薄い、自信だけはあった。

最近まで、部活は頑張ってきた。
部活を引退し、これからやることもないし、勉強する。
そうすれば、俺は、やれるんだ。
今まで、ロクに勉強せず、大学のことも考えずに、
この成績で済んでいるなら、逆に、たいしたものだ。
今から、みんなをまとめて追い越す!

結果、同志社大学に奇跡的に合格。
関関同立のなかでも、最も難易度が高い大学だ。

加古川東高校の
過去の校内偏差値と合格大学偏差値のデータに
ポツンと「異常値」が記録された。
史上最低偏差値で、同社社大学に合格した男だ。

先生方は驚き、
友達は、みんな怒っていた・笑
「なんで、オマエが同志社やねん!」と。


3年時の担任の先生は、同窓会には来ていなかった。
1、2年時の担任が、当時のことを覚えていてくれていて、
ついでに裏話も教えてくれた。

当時、俺らにも「成績」があってな。
浪人させたら、ポイント0や。
国公立の有名大学なら、高ポイント。。と
大学のランク別にポイントが決まっている。
とにかく、どんなランクの大学でも、現役合格させたら、
僅かばかりでも、ポイントがつくんや。
中西の場合は、ポイント1でいい。0よりはマシ。
と、思われていたんやな・笑


先生への感謝(今更・・ですが) 

正月3日。高校時代の同窓会が、5年ぶりに開催されました。
今回も、なじみの旧友や、
顔は知っていたけど初めて話す友達と、
まる1日、時間を過ごしました。

今回、感じた事。。
先生や恩師って、凄いです。

1~2年の担任の先生は、
なんと、顔を覚えてくれていました。
すれ違ったときに「おう、中西!」と。
これには、本当に感動しました。

・・・
私は、先生とは、距離を置くタイプの生徒だったから、
「自分のことなんて、覚えてはいないだろう」と思っていました。
1学年で、500人も生徒。
それが、先生の教職歴30~40年間とすれば、15000~20000人。
そのなかで、
積極的に関わりを持とうとせず、
成績も下位だった生徒のことなんて、覚えていないだろう・・・と。

でも、自分が思うよりも、
先生は、自分のことを、覚えてくれていました。

不愛想に距離を置いていた、中西少年に対しても。

  
英語教科で、1年だけお世話になった先生に至っては、
「中西・・・」「おう、中西正人やろ!」と、フルネームを覚えてくれていました。

「大きい体やのに、字が小さいんやー」
「小さくて、濃い字を書いていた」=その通りです!!(笑)
「俺は、筆跡も覚えてる」と、言ってました。

本当に凄いなあ・・・
プロだったんだなあ・・・

果たして、自分に、こんなことができるだろうか?
そうありたいなあ。

周りに恵まれて、育ててもらったことを実感しました。


他の教訓もアリ。。笑
ここではマズイこともあるので、
ご支援先にて、お話します。





TOPへ戻る