2020年8月22日 21:46
20年前の馬産地と、現在の馬産地が、大きく様変わりした点は、
名馬たちの管理が厳重になったこと
=名馬と近くで触れ合うことは、ほぼ不可能に近くなったこと。
だけではない。
牧場にも、企業化の波が押し寄せ、
組織ぐるみで「勝つこと」「顧客志向」を追求した牧場が、大躍進している。
2000年代以降の20年間は、いわゆる「社台グループ」が
生産牧場ランキングの上位3位までを、ほぼ独占する状態が続いているのです。
1990年代まで、「名門」と言われていた牧場に、今、その面影はない。
調べてみると、廃業したり、売却したり・・・という牧場が、半分以上。
当時、名門と言われていたのは、
メジロ牧場
シンボリ牧場
バンブー牧場
トウショウ牧場
西山牧場(ニシノ)
谷岡牧場(サクラ)
カントリー牧場(タニノ)
谷川牧場(シンザンを生み出した)
荻伏牧場(「華麗なる一族」の系統)等々。。
その名前を冠名につけたサラブレッドが躍進し、ある種の「ブランド」になっていました。
1990年代までの名門牧場の共通点は、
このようなものでした。
1)血の配合により、偶然、強い馬が出て、その牧場を引っ張る。
2)自分の牧場のなかで、良血を受け継がせ続ける。
3)ごひいきにしてくれる有力馬主(お金持ち)を抱えている。あるいは自分自身が馬主。
これを、「社台グループ」は、どう変えたか??
※あくまで、外部から見ていた私見である。完全な研究はできていない。。
1)については、
生まれてからデビューまで、牧場で過ごす仔馬のころから「英才教育」を行う施設や、プログラムを整えて「血による偶然」を「トレーニングによる必然」に近づけた。もちろん、血の配合の研究は、どの牧場でもやっている。
2)については、
海外から積極的に良血の種牡馬を受け入れる。牝系よりも牡系重視。
3)については、
いわゆる「一口馬主」制度を強化、提携を積極化して、一般消費者が、誰でも馬主になれる仕組みと、そのサービス面、販路を拡大した。
「偶然を、必然へ・・・ハードとソフトの組み合わせ」
「血は内部で完結させず、外部からの血を入れる」
「高級・高価なものを、大衆向けに小口化する」
一般企業の経営に通じるものがある。
そして、
社台グループ総帥 故・吉田善哉氏は、
3人の息子に、3つの独立した牧場を分社化させ、受け継がせた。
この3人の息子の3牧場が、
現在、生産牧場ランキング上位3位を、20年間にわたり、ほぼ独占しているのである。
社台の創始者は、優秀な後継者を育てた。
これも、一般企業の経営に通じることである。
自らも優秀な種牡馬であり、育成ファームであり、小口化したのである。
2020年8月16日 21:37
大学4年の夏、北海道ツーリングのうち、3分の1の時間を費やしたのは、
名馬に出会う牧場めぐり。
一番上の写真は、引退発表の翌日のトウカイテイオー。
在道中、偶然、目にしたスポーツ新聞で、引退発表を知って、
急きょ「二風谷」の牧場を人づてに探しまわって、やっと会う。
「帝王」の風格ある佇まい。
簡単には、近寄ってくれませんでしたが、、
何とか、この距離で、記念撮影できました。
現在では、名馬たちの繋養先は、
観光地として管理され、遠くからしか見ることができませんが、
当時は、そこに注目する人も少なく、まだまだ、大らかな時代でした。
(本当はやっちゃダメだけど・・心ゆくまで、近くで触れ合うことも、たくさんできた)
牧場に、そーーーっと入って、仕事しているおじさんに聞く。
「すみません・・・
ここに、スーパークリークがいるって、
聞いて、京都から来たんですけど・・・」
※牧場では、素人には、「馬は、馬」にしか見えず、
見分けがつかないから、こうして尋ねるしかない。
※種馬は、別の囲いに1頭だけ、入れられていることが多い。。
牧場に、観光客なんて、
ほとんど行かなかった時代だから、
厩務員さんの人柄次第で、
わざわざ、こんな風に撮影ポーズまでしてもらえることもありました。
西山牧場にて、ニシノフラワーと。
シンザン、ミホシンザン、エリモジョージ、タマモクロス、ミスターシービー、オグリキャップ、イナリワン、アイネスフウジン、リンドシェーバー、サクラユタカオー、サクラチヨノオー、サクラホクトオー、ニシノライデン、ニホンピロウイナー、メジロマックイーン、メジロライアン、ニッポーテイオー、ミホノブルボン、イブキマイカグラ、ハギノトップレディ、アドラーブル、シンコウラブリイ・・・そして、夏の休養中のライスシャワー・・・もちろん、テンポイントの墓も。。
たくさんの名馬の牧場を訪問していました。
(まだ、昔話が、つづく)
2020年8月15日 20:23
入社前から、いわゆる「ブラック企業」の呼び声、高かった??笑
のが、前職のコンサルタント会社・船井総研である。
もっとも、当時「ブラック」という言葉はなく、
単に
「めちゃめちゃコキ使われる」
「ほとんどの新入社員は、辞めてゆく」
「休みがない」会社。。と言われていた船井総研に
自ら望んで、第一志望として就活して、6月で内定をもらっていた。
クソ・生意気な22歳だったはずだけど・・・
さすがに、働くことへの不安はあった。
「俺が、そうゆう会社で、やってゆけるんだろうか?」
「生き残れるのかな??」
でも、夏の北海道ツーリングを通して、ある「変な」覚悟ができた。
「コンサルタント会社で、やるだけやって、ダメだったら、
この北海道のどこかの牧場で、住み込みで、働かせてもらおう・・・」というものだ。
↓
「いや、待てよ・・・
俺は、牧場でも、通用しない人間かもしれない。夏はいいけど、
厳しい冬に耐えられないかも。もしも、牧場がダメだったら・・・」
↓
「1年のうち、6月・7月・8月は、こうして北海道を満喫して、
9月~3月は、都会の高時給バイトで、必死で働く。
4月・5月は沖縄で、このスタイルもアリかも・・・」
北海道を
「最後、こんな自分を受け入れてくれる場所」
「帰ってこれる場所」と、身勝手に決めてしまったのだ・笑
だから、やれるところまで、頑張ろう!
もしダメだったら、北海道に帰ってくれば、何とかしてくれるだろう!
事実、仕事の物量が大変なときには、
常に、北海道の風景が、脳裏に思い浮かんでいた。
・・・・
夏の北海道のライダーハウスには、
色んな人が集まる。
もちろん、バリバリのビジネスマンが長期休暇をとってツーリングしていたり、
ナイスミドルのカッコイイおじさん達もいる。けど、
大半は、いわゆる「資本主義社会のスピンアウト組」である。
でも、
とても、人間臭くて、楽しい人たちだった。
ツーリングを通して、
最も、相容れない種類の人間とも出会う。。。
それは・・夏になると、特定の低価格ライダーハウスにやってきて、
そこの「主」のようになって、
ハウス内の一番奥の良い場所に、自分の私物を並べ、テリトリーを作り、
毎年、夏の間中、そこに居座る。
自分のことを「棟梁」などと呼ばせ、毎日、新しく泊まりに来るライダーに、
独自マナー「ここのしきたり」を小言して、
ハウス内で、偉そうなポジションをとろうとする、いい年のオッサン。
そして「棟梁」をチヤホヤすることで、
自分の「居場所」や「存在価値」を担保しようとする
「取り巻き」のオタク・ライダーども。。。笑
クソガキ大学生2人組は、
遭遇から数時間で、いち早く彼らを「○○」と見抜き、
バカにしていた。笑
(普遍的な社会の縮図を、ライダーハウスに見ていたわけだ・・)
しかしながら、
一方で・・・ここまでひどいレベルじゃなくても、
「こうして生きる方法もあるんだ」
ということも、理解し、どこかで余裕もできた。
自分が全く相容れない人からも、学び、自分に取り込んでいた。
北海道との出会い、
旅先での人との出会いのおかげで、
社会で生きるための「覚悟」みたいなもの。が、できた。
2020年8月9日 21:14
前回ブログからの続き・・・
贅沢温泉旅館での寛ぎに匹敵する、自分の中での「贅沢な旅」があったか??
あった!
その答えは・・
お金は最低限だったし、
普通の宿にすら、泊まらなかったけど、
大学4年生の夏。。友人と2人、バイクで訪れた北海道ツーリングである。
行く先も、泊まる場所も、決めないで、
とにかく、思いつくままに、北海道の色んなところに行った。
いつ帰るとも、決めていない。
「明日、どうするーー?」
「ここ、面白そうやから、行ってみよっかーー。」
そんな感じの毎日を、約2~3週間、過ごした。
宿は「ライダーハウス」という、
地元の方が、無料~1000円程度で提供してくれている
簡易宿泊施設。全員ゴロ寝。
トイレ付き、時々シャワーありで、泊まることができる小屋である。
当時は、スマホも、ネットもないから、
ライダーハウスや、名所で、出会う人たちに
「このあたりに泊まれるところないですか?」
「どこか、行って良かったところってありますか?」と、
その都度、情報を仕入れて、地図やメモを頼りに、目的地に向かう。
宿が見つからない場合は、無人駅の待合室で野宿になる。
朝ごはんは、ライダーハウスの世話好きな誰かが、作ってくれたりすることもある。
オーナーが、おにぎりを準備してくれるところもある。
コーヒーだけで済ませることもある。
昼ごはんは、
北海道限定のコンビニ・セイコーマートのお世話になることが多かった。
景色の良い川や海や山の景色を眺めながら、コンビニ弁当を食べる。
夜ごはんは、店探しの「嗅覚」が問われる。。
ライダーハウス近辺の良さげな定食屋を、調べておいてから、
ライダーハウスのオーナーに「この店、どうですか?」と尋ねる。
北海道の人は、
とにかく、みーーんな、大らかで、温かく、優しかった。
「良く来たねー」という精神(自分たちで切り拓いた、開拓者の精神)が、
根本に流れていることが体感できた。
今、考えれば、
これが、最も「贅沢」な旅だった。
就職前の若者たちに、伝えたいことである。
(つづく)
2020年8月8日 21:59
・・・最新の繁盛・温泉旅館にて。。
お風呂も、お部屋も、ロビーも、
非常に、考えられた設計されていて、感心することばかりである。。
このインフィニティ温泉(温泉の縁が見えず、自然の景色と一体となったようなお風呂)も
シロウトが楽しめるように、本当に、よくできている。
この「湯船の仕切り」は
深さ:460、幅:230、背もたれ:580、深さ:460
「座って、浸ってよし」
「熱くなってきたら、腰かけてよし」絶妙のサイズである。
とにかく、空間デザインと仕組みの勉強になること多数。
ん??
なぜ、お風呂の中を撮影できるんだ??
いいのか?そんなことして・・・。。
目的達成のため、ちょっとしたアイデア&「抜け道」を使いました!・笑
しかも、この旅館は、金持ちしか相手にせず、暴利を貪るリゾートチェーンではない!
必要のない部分については、合理的に削りながら、
ちゃんと満足できるようにしていて、お値打ち価格である。
「高くて、良い」のは、当たり前。。
たとえば・・・「暴利リゾート」チェーンについては、私は、意地悪だから、こう考えてしまう。。
法外な高額宿泊料金の半分くらいは、
「暴利リゾート」が、次に買収するホテルの購入代金が、上乗せさせられている。
(俺が、泊まることのない、全国のどこかのホテルに対して、
なぜ、いま、こここで、俺がカネを払わなきゃならないんだ?)
あるいは、
苦戦している不採算ホテルの借入返済に回されているんだろう。。なんて。
今回、宿泊させてもらったホテルの設計とサービス、料金体系に、
経営に関わる者として、賛辞を送りたい。
そして、このホテルを探してきた自分に大満足。。これが、さらに贅沢気分をアップさせる。
お風呂に浸かりながら、
部屋でゆっくりしながら、
ふと、考えたことがあります。
「ああーーーー贅沢だなあ・・・・」
「この贅沢に勝る贅沢が、仕事以外で、他にあるだろうか??」
「うーーん、、あった!」
答えが出た!
(つづく)