2016年6月12日 21:35
クライアント先からの帰りの列車の車窓から見えた、水を張った田んぼと夕焼けの美しい風景。
田園風景がまだまだ残っていた地方都市で、育った私にとっては、ホッとする景色です。
歩いて片道30分の通学路には、
田んぼが広がり、ため池があり、用水路が流れていました。
ザリガニがいて、カブトエビがいて、ゲンゴロウがいる。
カメやメダカやフナもいる。
カエルは、アマガエルやトノサマガエルはもちろん、
“ショッカン”と呼ばれていた、巨大な食用ガエル「ウシガエル」も。。
今、考えると、非常識なほど大きなオタマジャクシで・・・・でも、それが標準サイズでした。
ヘビもいる。
種類はシマヘビとアオダイショウが主流なので、噛まれると、痛いが毒はない。
捕まえたり、追いかけたり、攻撃したりしながら、通学する。
あまりヤリスギると、農家のオジサン、オバサンに注意されるし、
寄り道すると、先生にも怒られる。そんなことにも配慮しながら。
夏になると、通学路以外の場所で、
カブトムシ・クワガタ、キリギリスなんかを捕まえる。
どこに行けば、たくさん獲れるか?
どこまで近づいて、どんな方法なら、効率よく獲れるか?
それらを、素手で触る勇気があるか?
「知恵」と「勇気」、「観察力」と「行動力」で、捕獲してくる。
そして、意気揚々と、引き揚げてくる。
生き物を、たくさん獲ってくる子が、一目置かれていた。
「この生き物を獲るのだけは、めちゃめちゃ上手い!」なんて子もいた。
メンコやビー玉も、
自分の腕前で、友達から、ふんだくってくるものだった。
親から金を貰って、店で買ってくる友達が「商品の供給源」・・・笑
弱くて、負ければ、遊べない。
あまりにも調子に乗ると、みんなにやられる。
「男の仕事」って、
太古の昔・狩猟時代も、
子供の頃の男の子の「遊び」も、
なんだか、同じですよね。
2016年5月22日 23:11
岐阜城・天守より、
濃尾平野を望む・・・。遠く伊勢湾が見え、滋賀の山が見え、そこを超えれば京の都へ。
戦国時代、当時。。。
岐阜城を、攻め落とし、我が物として、この風景を見た信長は、何を思っただろうか??
・・・そりゃ、「天下布武~~」って、気になるよな・・・。
もしも、この風景を見なかったら「日本を武で統一する」という、
信長のテーゼは、生まれなかったかもしれない。
元々、この城で、ずっと、この風景を見ていたはずの
斎藤道三も、義龍も、龍興も、「天下を獲る!」とは、思わなかった。
中にいると、わからない。
外部から来た信長には、新鮮に映ったに違いない。
見る人、見る風景によって、
人生が大きく転換する。。
これは、歴史も、経営も、人の一生も、きっと同じだろうな・・・。
そんなことを思います。
2016年5月14日 19:55
サントリーのビール
「醸造家の夢~マスターズドリーム~」
効率や生産性ではなく、ただうまさだけを追い求めた・・・とあります。
市販のビールの2倍以上の価格。
どうでしょうか?
「洗濯家の夢~クリーナーズドリーム」を、作ってみませんか?
ところで、、、
「なんとか家」と「なんとか屋」には、
ニュアンスに、微妙な違いがありますよね。
わかりやすい例で、言えば・・・「政治家」と「政治屋」
政治家statesman・・政治で、政治の本来の目的を究める人
政治屋politician・・政治で、お金を儲けて商売する人
この場合、「屋」のほうは、少し揶揄して、使われています。
職業をあらわす呼称で、主に「家」が使われているのは、
作家
画家
音楽家
歴史家
小説家
教育家
脚本家
・・・
カッコイイけど(どうやって食ってるんだろ?)というイメージがつきまとう。
対して「屋」が使われているのは、、
花屋
魚屋
酒屋
パン屋
仏壇屋
葬儀屋
・・・
越後屋・笑
・・・若干、悪そうなのである・・・。
完全なる私見ですが、、
「家」とは、専門的に「深く」ひとつの道を究める人。
「屋」とは、大衆向けに「広く」商いの道を究める人。
やっぱり「広く」「深く」、いかなきゃならない・・・と思うのです。
まずは、完璧に「屋」に徹する。
自分や家族が、食べないとね~。カッコ良くても、迷惑かけちゃ駄目ですよね。
でも、ずっと、それだけを追及していると「尊敬」はされない。
どこかの段階で「家」の要素
・・・業そのもの本来の目的に、真摯に取り組む。。ということも必要なのでしょう。
サントリーさんだって、
スタートから「醸造家」じゃないですもんね。
元の社名は「寿屋」と言い、
量産品の赤玉ポートワインを売るワイン屋さんからのスタートです。
2016年4月24日 21:41
司馬さんは、
日本人を知るうえで「武士」の存在も挙げています。
武士を「人間の芸術品」と呼んでいます。
明治以降、飛躍的なスピードで先進国の仲間入りができた、その理由は
「汚職しなかったこと」
「公の意識が、横溢していたこと」
これを“痛々しいほどに清潔であった”と、表現しています。
このような高い倫理観は「武士」に由来している。
「名こそ、惜しけれ」という精神。
名を汚すようなことはしない。恥ずかしいことはするな。
これが、武士の価値観。
鎌倉時代、武士が初めて政権を獲得しました。
武士とは、貴族による律令制から、地方へ逃げ出して、
自ら農地を開墾した「百姓」が、武装化したもの。
素朴なリアリズムに裏打ちされた「百姓の政権・鎌倉幕府」により
自分の土地を認めてもらった恩義に対する
「名こそ、惜しけれ」の精神。
「名前を汚すような、恥ずかしいことをしてはならない」
「公のために、働く」
これも、日本人が日本人たる所以。
所属する会社や組織であり、
会社を信じて依頼をいただけるお客様であり、
身を置く業界であり、地域であり、
ひいては、日本全体へとつながる
「公」への奉仕と「名こそ惜しけれ」の精神。
司馬さんは、
書籍の中に「今でも、一部の清々しい日本人にみられる・・・」と記しています。
その一部に入っているだろうか。。
2016年4月23日 21:04
最近「価値観」について、考えています。
そもそも「日本人とは、何者なのか?」ということを、
司馬遼太郎さんの史観から、引用したい。
島国に生まれた日本人は、
「素晴らしいもの」は、他からやってくると信じていた。
古くは大陸から。明治維新以降は西洋から。
外への「好奇心」でもって、それを取り入れてきた。
神道も、仏教も、キリスト教も、受け入れる。それぞれの価値を認める。
「一神教的価値」を持たない民族である。
それは、元々、日本に「八百万(やおよろず)の神」という価値観があったからである。
自然物そのものを信仰し、山にも、岩にも、川にも、草木にも、神が宿るから、全ての神様を立てなければならない。
それによる「無思想」という思想で、
何でも柔軟に取り入れてきた。
外国からの文化を、取り入れるだけでなく、日本独自の形へと工夫を重ねる。
室町時代に代表される「枯山水」は、
外来の庭園文化の池や水を、砂で表現したもの。
住居は、書院造、床の間、障子、襖、畳。茶道も華道も、独自の文化となった。
つまりは、
「良いものを、柔軟に、外から興味と敬意を持って取り入れること」
「さらに良く使えるように、自分なりに工夫してアジャストさせること」
これが、日本人の特質である。