2017年10月8日 23:12
とある会社の受付スタッフさん。
社長と臨店したら、
茶髪だった・・・。
あとで聞けば、有力取次店オーナーさんの娘さん。
確かに、そんな雰囲気を醸し出していたし、
社長も注意したくてもできなさそう・・・。
でも、身だしなみルールに違反しているスタッフさんだ。
何とかしなきゃならない。
「髪の毛、黒くしよっか!」
そう言うのは簡単だ。
しかし、それが、この店と会社と本人と社長に、好影響を与えるだろうか?
このときの私のアドバイスは、こんな感じ。
「〇〇さん、髪の毛のことだけど・・・」
「髪留めの色、オレンジにしよっか!」
店舗のイメージカラーと、制服の色に入っている「オレンジ色」を
髪留めにしてもらい、茶髪にあわせたら・・・
なかなか、顔と茶髪と、店舗全体の雰囲気に、似合ってくるのだ!!
すると、
「黒にしましょうか?」とスタッフさん本人から言ってくれた。
「そうですね!黒にしてもいいし、茶髪にオレンジ髪留めでも、この店にぴったりマッチして素敵ですよー」
「どっちでもいいけど、どっちかにすると、お客様へのイメージ抜群に良くなって、売上も上がりますよ」
これ、
わかる人にはわかる、
まあまあ、奥の深~いノウハウなんですよ・笑
ここで公開しても良いのかな??って内容なのですが、
セミナーで発表するにも、DVD化するにも、現場での再現性が低く、
現場でこのアドバイスができるのも、誰にでもできるわけじゃなく、
直接の売上にもつながらないので・・・書き留めておきます。
汎用化できるようルール化するとすれば、
「短所と長所は同居している。
大迷惑をかけない短所であれば、それを可能な限り戦力にする方法を考えよう!」
そんなところかな。
ご支援先からの帰り、きれいな夕日。
2017年9月29日 21:22
バスケの試合の昼休憩。
「フォトジェニックな1枚を!」と、カシャッ!
しかし、
このあとの最終戦で、膝をグキリ!
人生で初めて「あらぬ方向」に曲がったし・・・。
あー、やってしまった。
ちょうど、去年のこの時期、指を骨折したんだなー。
パターンは、まったく去年と同じ。
「チャーーーンス♪」と思える局面で、
味方が猛スピードのパス出す。それを無理して受けようとした。
きっと、仕事でも、同じ。
色気を出して、無理にとろうとすると、俺はこんな目に合うんだろうな。
暗示してくれている。
敵は、外のライバル会社じゃない。
自分の中にあるんだ。。。2年連続で、怪我をしないとわからないダメ人間。
神様が「お前はまだわかっていない!」と、教えてくれている。
そして、もうひとつ。
(実は、これを記録しておきたかった)
整形外科に行って、診てもらったとき、
先生が、こう尋ねた。
「実業団でやってるの?」
・・・
だってーーー!!
ほほほーーーう、ボクを見て、そう思っちゃったのですね、先生!!
だから、怪我をしているのに、ブルーじゃない。
リップサービスだったりして?
もしかして、マニュアル化されてたりして・・・。
「客層別・相がを喜んでしまう、わざと間違った質問」
クリーニング受付でも、なんか特集できそうですねー。
2017年9月24日 9:11
休日の各駅停車の新幹線は、こんな感じ。
だーれも乗車していない、貸し切り状態。
細かくは書けないのですが・・・・
最近、
「もう!あのときアドバイスしたことを無視するから、やっぱりそうなる!」
ってことが、連続して起きている・・・。
本日は、その後始末に急行。。。
むちゃくちゃになったあとからの立て直しは大変だーー。
ほんと、頼みますぜ~。
2017年9月18日 8:08
もうひとつ、旅の目的があった。
西郷・大久保らの「英傑を輩出」した出身地域に行くこと。
薩摩の武士階級には、独自の教育方法がありました。
「郷中教育(ごじゅうきょういく)」と言います。
幕末・薩摩藩には、約30の「郷中」と呼ばれる「町内会組織」があり、
子供たちの教育は、そこで行われた。
教師はいない。
同じ町内に住む年長者から年少者が集まり、
先輩が後輩を教え、後輩が先輩を敬い育つという、自治的な教育制度です。
郷中内では。家柄の違いはなく、みな平等に扱われた。
午前中は、歴史書を教科書に読み書き、
午後は体を鍛える鍛錬。剣術、馬術や討論もしたそうです。
基本方針は、義を実践すること。嘘は言わない。負けるな。弱いものいじめをするな。心身を鍛錬せよ。質実剛健たれ。
そのなかでも「加治屋町」という数百メートル四方の町(郷中)からは、
西郷隆盛・従道の兄弟
大久保利通
東郷平八郎
大山巌、山本権兵衛
樺山資紀、村田新八、篠原国幹、吉井友美・・・といった英傑が巣立っている。
司馬遼太郎は、この奇跡を
「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである」と評している
企業にも、それとなく「郷中教育」のような風習がある。
仕事上の役割としての関わり方、プラス
先輩と後輩の関りが、多かれ少なかれ、存在している
そして「加治屋町」のように「優秀な人材を輩出する部署」も存在している。
ある店舗、ある部署からは、
次の店長、次のリーダーが、どんどん出現してゆく。
「加治屋町」のような「人材輩出」部署には、こんな特徴がある。
・平均以上の成績を上げている「ハイ・パフォーマンス・チーム」である。
・自由な空気がある。
・年長者、次の年長者が、仕事&会社好きである。
・非公式の時間でも、関わる時間が長い。
こんな部署風土からは、人財がたくさん輩出される。
「加治屋町」郷中も、他の郷中と比較して、そうゆう雰囲気があったのかな?
西郷や、大久保の郷中の先輩・師って、どんな人だったのだろう?
郷中教育は、誰が考えて、どうやって始まって、終わったのだろう?
現在のスタッフ育成に導入できることは、ないのかな?
男旅は、
また来年、あればいいなあ。
「温故知新」の旅は、終わらない。
2017年9月3日 23:45
「自分以外の誰かのために、体を張って、生きてきた」
若い先輩方に感謝と、
私も同じ国に生まれた男として、
そうゆう人間でありたい、という気持ちを、新たにしました。
同時に、大切な若い命が失われたことについて、
「コンサルタント=参謀」という職業とリンクして思いを馳せる。
特攻という作戦は、無謀ではなかったのか?
色んな思索が駆け巡り、未だ、答えが出ていない。
まず、
私は、コンサルタントとして、リーダーとして、大切にしていることがある。
「自分が、できないこと」
「自分が、身銭を切ってやれないこと」は、他人に提案しない。ということです。
結果、作戦内容を実施していただく会社やスタッフさんに、
意味のない、無駄なことをさせることはなくなるし、
時間・お金の負担、体力的・精神的負担も、最低限に抑えることができる。
「ポスティング、1日〇〇枚・・やればいいんですよ」と、
特殊な成功ケースを聞きかじっただけで、軽々しく話すコンサルもいる。
しかし、住宅密集度によって、配布できる枚数は様々なので、
地域別の基準を作らなきゃダメだ。
体力だって、人それぞれで、普通は2時間やれば、もうヘトヘトだ。
実際に、やったから、
どの地域ならどのくらい配布できるのか?
どんなツールが良いのか?配布NGのマンションをどうすれば配布できるのか?
スタッフの不正をどうやって防げばよいのか?も、わかる。
「福島の原発は問題ない」と言った政治家は、
自分自身か、少なくとも、家族か親戚が、福島に移住するのが筋だと、思っている。
何時間か避難所を訪問して、テレビに流すのはポーズに過ぎない。
何日間か、自分が避難所で生活してみないと対策は出てこないし、
心情もわからない、と思っている。
そうゆう意味では、
特攻を指示した幹部は、特攻すべきだと考えている。
任務上、不可能なら、少なくとも、自分の子供を特攻隊に入れるべきだと。
いつの時代も、どの国でも、
戦争は、年寄りが始め、若者が犠牲になる。
そこで・・・・
「特攻作戦を考えた人」とグーグルで検索してみる。
そうすると「特攻作戦の生みの親」と言われている二人の名前が出てくる。
大西 瀧治郎・海軍中将は、終戦後、割腹自殺。
宇垣纏・海軍中将は、玉音放送後、自ら部下とともに特攻。
大西中将の自殺は壮絶だった。
切腹しただけでは、人は死なない。
介錯により首を刎ねられなければ、絶命しない。
「自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝す」と遺文を残し、
介錯なしで、自ら腹と首を切った。
数時間後、絶命せずにいるところを、人が見つけて病院に連れて行くも、
介錯も、延命措置も、拒んで、翌日、死ぬ。
苦しみを自らに課して死んでいった。
宇垣中将の降伏後の特攻には、批判も集まる。
しかし、彼なりの責任はとっている。
このような史実を知ると、
作戦を立案する者としての「矜持」は同じだったのか・・・と思う。
無責任に特攻させたわけではないことは、理解できた。
もちろん、
この二名が代表のように書かれているが、
実際には特攻作戦立案にかかわった人や、
それを推奨した人で、責任をとらない人も、たくさんいるだろう。
「手柄は奪い、責任はなすりつける」大きな組織にありがちな特性だ。
現在の日本の政治家や、リーダーに、
覚悟を持って、仕事をしている人間が、いるだろうか?