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冒険心、好奇心=プロ(桑田投手、高校2年の旅)

木内監督への追悼番組で、
1984年の夏、
取手二高に敗れたPL学園・桑田投手(桑田真澄さん)のコメントが流れていました。

取手二高の選手たちは、
三振したのに、なんで歯を見せて、笑って、許されるんだ??
グラウンドで、笑うなんて、PLの野球の常識では、許されなかった。。
そうゆう野球に衝撃を受けました。と。

実は、
この話には、
あまり知られていない裏話がある。
書き留めておきたい。

高校2年生の桑田投手は、決勝戦で、取手二高と対戦し、敗北する。
三振しても笑って、ベンチに帰る。
外野フライを打っただけで、大騒ぎで喜んでいる。
そんな野球に負けたことが、不思議でたまらず、
その年の秋、
PL学園の寮を抜け出して、
取手二高へ行ったのである。冒険心、好奇心もあっただろう。
PLでは密かに大騒ぎになったそうである。

茨城で、学校を見て、練習を見て、
選手の家に泊まり、親交を深める。

桑田は、振り返る。
「同じ山の頂点を目指すのにも、
色んなアプローチの方法があることを知った」と。

高校二年生にして、
この行動力と大胆さである。
後のプロ野球での活躍も、うなずける。

故・野村克也監督は、
以前、桑田投手をこう評していた。
「この人は、どこを切ってもプロ。プロ中のプロ」と。

ちなみに・・・桑田投手が、
1984年、夏の甲子園で決勝ホームランを打たれたこの写真。。

私は、投手が打たれた写真のなかで、
もっとも印象に残る、美しい1枚だ。。と思っている。





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