敵機は来ますか? 男旅・その1
夏の恒例行事「男旅」
今年は、鹿児島へ。
ご支援先、取引先の社長、幹部の皆さんには、鹿児島出身の方もおられ、
好漢(=快男子)ばかりなのです。
さすが、現在の日本の礎を作った、薩摩藩。薩摩隼人たち。
そういったものへのあこがれも手伝い、一路、南へ。
目的のひとつは、
知覧にある「特攻平和記念館」に行くこと。
太平洋戦争下、沖縄に進攻しようとするアメリカ軍を食い止めるため、
爆弾を積んだ飛行機で、乗員もろとも、敵艦に体当たりをする・・・という
特殊任務の攻撃隊=特攻隊の出撃基地があった場所です。
館内には、特攻隊員1000名の遺影写真と、
遺書が展示されています。
まず、
写真のお顔が、皆、凛々しく、
文字と文体が、とても綺麗なことが、印象に残る。
遺書は、文語体で書かれているものも多いため、
内容と意味を完全に汲み取ることが難しい部分もある。
でも、
「明日、戦い死ぬことが確定した男が、一番大切な人に残した文章だ、
意味を完全に把握できなくとも、とにかく1枚1枚、全てに目を通すこと!」
それが今の平和な日本に生きる男に課された、
最低限の義務であり、礼儀だろう・・・
そのあと、何を思うかは、それぞれの自由だ。と、各自見学。
残される父母への感謝の言葉と、これからのことを気遣う言葉。
恋人や子供への最後のメッセージ。任務の全うを誓う言葉。。。
一見、何でもない普通の言葉にこそ
その底にある、大きな感情を、窺い知ることができます。
もしも自分が、同じ時代、同じ立場となったとしたら、
あまりに決断と思いが大きすぎるがゆえ、
すでに心の整理ができていて、
逆に、特別な言葉や、感情を素直に、書くことはないだろうな。と思う。
どうだろう?
抑えていた感情が一気に、あふれてしまった瞬間がある。
どなたのものなのか、
言葉も、正確には覚えていない。
遺書の主文を書いたあと、
父、母、恩師・・・それぞれに宛てた文があり、
その最後に、おそらくは親戚の子供たちに宛てたメッセージがあった。
「敵機は来ますか?」
長い文章の中の、この言葉を目にしたとき、涙が止まりませんでした。
自分が戦うことで、
愛する家族を戦火から守れるかもしれないならば・・・
そうゆう使命感で生きた人たちの本質と、優しい気持ち。
特攻隊員の根底に共通しているものを、一気に感じ取り、
涙腺がボワーーっと。。。
「敵機は来ますか?」のあとは、こんな風に続いていたと思う。
「敵機なんて、なんでもないですよ。
これから、〇〇兄さんが、倒してきますからね。
よく勉強し、体を鍛えて、父母を助け、日本のために・・・」
まるで、自分に宛てて書かれているように感じます。
もちろん、特攻隊員だけではない。
各地で戦闘に参加した人も、しなかった兵員も。
国内で働いていた人も、女性も子供も・・・当時、みんな必死だっただろう。
記念館内は写真禁止なので・・・知覧武家屋敷の写真をアップします。