2023年10月15日 21:31
源氏は、強い。
けど、身内同士で殺しあう。残忍・粗暴なところがある。
平家一門との比較で、以前のブログに書きました。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2017/06/23/
どうやら、源氏の良いも悪いも、
この「八幡太郎・義家様」に、ルーツがあるらしい。
ということが、今回の「途中下車の旅」で、わかってきた。
後三年の役は、日本史上・初の「兵糧攻め」を行った戦い、とのこと。
義家は、城から出てくる非戦闘員の女・子供を、
城の目の前で見せしめに虐殺した。
それを恐れて、城内に非戦闘員がとどまる=兵糧が早く尽きるからである。
展示されていた「大好物」絵巻物で、ご紹介。
勝利後、合戦中に悪口を言ってきた敵の大将を捕らえて、
木に吊るし、舌を抜き、
足元に盟友の大将の首を置いて踏み台にさせ、、殺した。
ちなみに、
20年前の「前九年の役」では、父・頼義が
敵の武将・藤原経清を捕らえて、首だけ上に出して生き埋めにして、
わざと刃こぼれさせた刀で、のこぎりのようにして首を挽かせた。
経清の元部下に、それをさせた。
これは、大河ドラマ史上、最も残虐な最期のシーン。
今は放送できないくらい凄惨なシーンである。良く覚えている。
若き日の渡辺謙さんが、経清を演じていた。
源氏の流儀は、現代の「ヤクザ」みたいなのである。
そもそも、源氏というのは、天皇の血をひいた武士。
だから、地方に行くと「源氏」というだけで、稀少性が高く、カリスマ的に尊敬を集めるのである。
「皇室ゆかりの暴力団」である。
・・・確かに、そうゆうのがあったとしたら、最強だ。
この通り、首を並べる。
今の感性で見れば、残虐、ヤクザ!って思うけど、
当時は、こうゆうことが、当たり前の感覚の世の中だったのでしょうね。
当時は、「封建主義社会」の黎明期である。
並べられた「敵の首」は、
現在「資本主義社会」で言うところの「お金」に相当する。
今「いや、キミ、いくら頑張ったっていってもねー、
入金がないと意味ないよ。給料あげられないよー」
昔「いや、キミ、いくら活躍したっていってもねー、
首ってゆう証拠がないと意味ないよ。土地の権利は、認めてあげないよー」
「首」は「売上金」と、同じである。
2023年10月14日 20:04
もうひとつ、歴史を書き留めておく。
これは、「鎌倉権五郎」ゆかりの建物。
源義家軍の16歳の若武者であった。
戦いの中、矢が目に刺さる。刺さったまま戦い続け、逆に敵を討ち取る。
苦しみながら自陣に帰ったところ、
従兄が、その矢を抜いてやるために、権五郎の顔に足をかけた。
すると、権五郎は怒り、従兄に斬りかかった。
その理由は、こうである。
「武士だから、矢が刺さり死ぬのは本望である。
しかし、生きたまま土足で顔を踏まれるのは恥辱である。お前は敵だ!」
従兄は、謝り丁重に矢を抜いた。
今の常識で考えるならば、笑ってしまうような事件である。
これをやれば、単なる、ややこしい男である。
今、怒るとしたら・・・(痛い!!お前の抜き方、下手すぎるやろ、痛いねん!!)
「肉体的な痛み」に対して、怒るかもしれない。
鎌倉権五郎のエピソードは、
「名こそ惜しけれ」という鎌倉武士のモラルと心意気を端的に示している。
以来、日本人の心根に流れる精神の源である。
「名」というのは、自分の名前。
自分の名前を傷つけるような「恥ずかしいことはするな」ということ。
司馬遼太郎さんは、この「名こそ惜しけれ」の精神を
「今も、一部の清々しい日本人の中にある」と表現した。
何とかその「一部」に、引っかかっていたいな。。。
もちろん、私は、公明正大・清廉潔白な人間ではない。
人に言えないようなことも、たくさんある・笑
ただ、以前のブログでもお伝えした
「He is not a good man ,but a fine man」
=彼は「良い男」ではない、しかし「立派な男(真の男)」だ。的には、生きてゆきたい。
鎌倉市街地には、権五郎を祀る「御霊神社」があり、
歌舞伎の演目としても、演じられている。
2023年10月8日 21:34
「後三年の役」にて。
義家の軍勢が進んでいくと、上空に雁が列をなして飛んでいる。
が、突然、雁の群れの列が乱れた。
それを見て、義家は敵の伏兵(待ち伏せ作戦している兵)を察知。
逆に、敵兵を囲んで、やっつけた。
「孫子の兵法」に
「雁の乱れは、敵兵がひそんでいることを示す」とあったのを、
実戦に活かして、危機を脱した。という有名なエピソード。
このエピソードには、前日譚がある。
「孫子の兵法」は、若き日、京都で大江匡房(まさふさ)から教わっていた。
「後三年の役」から遡ること二十年前、
「前九年の役」で戦勝した若き義家が、京都に凱旋した。
そのとき、大江匡房が、
「器量は賢き武者なれども、なお軍(いくさ)の道を知らず」
(勇敢で素質はあるけど、兵法の原理原則を知らんな、勉強しとらんわ)と、
義家本人のいないところで、評した。
そのことが、義家の部下から義家本人に伝わった!!
が、
義家は、腹を立てず、「そりゃ、確かにそうだ」「教えて欲しい!」と、
匡房の弟子となった。と伝えられている。
若いときから謙虚に師事し、実戦に活かし強かった源義家、
こうゆうところも「八幡太郎義家公・・・・」と、敬われ続ける所以である。
マニアックな、小さな資料館があります。
私の大好物「絵巻物」が、解説付きで展示してありました。
「雁行の乱れ」のページです。
このあたりを雁が飛んでいたのかな?
オレが伏兵を潜ませるとしたら、このあたりがいいな。。。
何もない場所だけど、そうゆう雰囲気はあるので、
マニアは楽しめます。
2023年10月1日 20:05
歴史マニアとしては、
この名の駅があると知れば、下車して歩きまわらなければなるまい。
「後三年」
源氏の創成期ヒーロー・源義家が活躍した「後三年の役」の古戦場である。
「前九年の役」とセットで、歴史の授業に出てくる、平安時代の東北での戦い。
「前九年の役」「後三年の役」
2つの戦乱の経緯と詳細は、人間関係が、とてもややこしいので、
ここでの説明はナシ。興味のある人は、調べてみてください。
総合的な教訓として、書き留めておきたいのは、
家が滅亡する原因は、
親戚同士、兄弟同士・・・つまり身内の「内紛」「コミュニケーション不足」にある。
それが騒乱となり、滅亡がはじまる。
これは、前九年・後三年に限らず、
古今東西、同じ。時代も場所も問わず、人間は同じことを繰り返す。歴史の教訓である。
ライバル等、外部要因によって滅亡するよりも、
自分を変えることができなかった
「政権自体の制度疲労」か、
「政権内部でのゆがみあい」
このどちらかに、滅亡の原因がある。両方が、同時にやってきたとき、滅亡スピードは早い。
経営者、幹部、兄弟は、良く歴史を学んでおいて欲しい。
経営においても、これは鉄則である。
何なら、兄弟・幹部同士で、この地を訪れて、勉強してもらいたい。
本当に、何もない場所だけれど・笑
2023年9月30日 20:09
前述の北海道でのオヤジ同士の出会いもそうだけど、
見知らぬ相手にでも、
何でも「聞くこと」は、人生を変える。豊かになる。と確信している。
「教えてください!」
「僕、こう思うんですけど・・・」
って聞けば、どんな人でも、だいたいのことは、教えてくれる。
「教えてください」を
やるか、
やらないか。
それだけで、人生が豊かなものになるかどうかが、決まる。
・・・・・
20代後半ごろから、
イマドキ女子に「キモっ!!」って言われると、
「どのへんがキモい?オッチャンに教えて~」って、聞けるようになってきた。
それが楽しくなる。=つまり、生物学用語でもある正真正銘の「変態」である。
自分に対する否定的な言葉に対して、
人並みにショックを受けたり、反発したりしていたのが「変わる」のである。
ちなみに、多くの場合、
「全部キモイ。で、そうゆうこと聞いてくるところが、一番キモイ」
と、返ってきます。笑
・・・・・
アレ(優勝)の瞬間は、
飛行機の遅延のおかげで、観れました。
「教えてください!」と、生きている私ですが、
ひとつ心残りがある。
今回、北海道で、できなかったこと。
阪神好き・オタク風のおじさんに、「職業、家族」を尋ねることである。
何の仕事してるんだろう??
実は、大富豪かもしれないな。。
「北海道へは、単身赴任ですか?」の一言から、展開できたのに。
(きっとオタクだろう、それを聞いたら、失礼かも・・)のバイアスがかかってしまい、邪魔をした。
まだまだ修行中の身であります。