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美味しさの真ん中=危険。位置取りと警戒を

この水飲み場に、
ワニが、隠れている。

待ち伏せ作戦は、
最も効率が良く獲物(お金)を集めることができる手段である。

シカが、水を飲みに来る。


↑ワニの存在を、いち早く察知して、逃げるシカがいる(右から2頭目)
それにつられて、逃げるシカがいる。


↑たくさん水を飲みたい!と、
池の真ん中にすすんでいたシカが
ワニの食糧となる。

美味しいところには、
同じ分だけの危険も潜んでいる。

美味しさのど真ん中で、夢中になっていると、破滅を招く。

いつでも、サッと逃げれるような位置取りを。
美味しさを享受しながらも、注意を払っておく。
そうでなければ、全てを失う。

シカも、ワニも、ヒトも、
みな、同じである。


絶望×絶望=寛大になる?

戦争、紛争地域のドキュメンタリー報道番組を観ている。

ウクライナ、それに、ガザ。
正視できないほどの凄惨さである。
昨日まで笑っていた子供が、簡単に死んでしまう。
地雷で脚が吹っ飛ぶ光景。
兵士の集会。片腕、片足。両足。片目。。
身体のどこかを失っている兵士が、3分の1くらいはいる。
それでも、戦地から帰れるから、どこか嬉しそうな顔をしている。

今、現実に起こっていることである。
映画ではない。

TVのチャンネルを変えると、
日本のバカ・バラエティ番組のオンパレードである。

これが同じ時を生きる人類である。

どっちを観ても「絶望的」な気持ちになる。
ダブルの絶望が襲いかかる。

前回ブログみたいなアホ政治家どもにも「絶望的」となる。
しかし、
国が「平和であること」は、何よりも大切なこと。

「まあ、多少のダメさ加減も、平和が維持できているならいいか・・・」と、
妙な寛大さが出てきてしまう。

絶望のループは、妙な寛大さを生みだす。

良くないことだけど、
それもまた、真理である。
でも、ここから、また「何か」が生み出される。

今回は、ブラックというよりも、
ブルーなブログでしたね。


本を読む、ということ。少年たちへ。

思春期までに、
本屋さんや図書館に足を運ぶと良い。
最初は漫画を買う目的で行くことでオーケー。

漫画はダサい。漫画を読んでいるとモテない。
活字を読むことのほうが「かっこいい」という認識があれば、それで良い。

本屋さんや図書館では、
10冊、手に取れば、1冊だけ、読みたい本に会える。
1ページ読んでみて、面白いと思えば、読み進め、
興味がなければ、やめて、別の本を手に取って見れば良い。

肉体を維持するため、食事をとるように
心の栄養をとるために、食事をするように、
本を読みましょう。


休みながら、読むのが良い。

自分は、まだまだ。。達人たちに学ばなきゃ。と思う。
だから、本屋や図書館に行く。
おじさん。だけど、少年なのである。


池田屋事件、番外編/窮地で女性が助けてくれる

池田屋事件では、約90%が死傷する中、襲撃された側で生き残った人もいる。
「風呂桶の中に隠れて、難を逃れた」
「川岸の船の荷物にまぎれて、生き延びた」
映画やドラマでは、
日頃から、池田屋の女中さんと仲が良くて、
手引きをしてもらって、隠れるのである。

だいたい、
良い女性を味方につけている男、
少なくとも「嫌われてはいない」という男は、窮地に難を逃れる。

幕末なら、
幾松さんと桂小五郎。
新選組に踏み込まれたとき、機転を利かせて逃がしてあげる。
橋の下の乞食に変装して隠れる桂に、お握りを届けてあげる。
寺田屋事件のお龍さんと坂本龍馬。
 お風呂に入っていたお龍さんが、手入れに気づいて、裸で注進。

ちょっと足りないところがある男、普段から優しい男、
つまり「愛嬌のある男」を、女性は放っておけないのである。

とんがった男性の皆さん。。個人的には、そうゆう幹部・スタッフさんが大好きです。
ですが、生き残るためにも、
普段から、女性陣にもお気遣いを!
そうゆう点も、仕事の一部なんです。

・・・・
池田屋。私が学生の頃は、パチンコ屋さんだった気がするんだよなー。

今は、B級の居酒屋になっています。


日本の「走れメロス」 池田屋事件の吉田稔麿

幕末「吉田稔麿」という人物がいた。

吉田松陰の松下村塾の門下生の中で「三秀」と呼ばれた
3人の逸材のなかの1人である。
残る2人は、過去のブログにも登場した高杉晋作。それに久坂玄瑞。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2013/01/03/

師である吉田松陰と同様に、全員が明治維新をむかえるまでに死んだ。

明治で初代の総理大臣となる伊藤博文は、
吉田稔麿を、こう評する。
「自分とは比べようのないほど、天下の奇才であった」

内務大臣・品川弥次郎は
「生きていたら、総理大臣になっていただろう」

敵であった新選組の近藤勇は
「長州の士・吉田稔麿なるものあり。その死、最も天晴れ。後世学ぶべきものなり」
との言葉が残っている。

ここ京都・三条木屋町の池田屋という旅籠での
「池田屋事件」で、24歳の若さで死亡する。

池田屋事件とは、
反幕府のクーデターを起こすための集会を、
新選組が察知し、少人数で切り込み鎮圧した事件。

反幕府側に20名以上の死亡者、刑死者を出した。
新選組にも死亡者が出た。

吉田稔麿は、
新選組の急襲に応戦し、重傷を負いながらも、脱出する。
約300m先の自分の藩、長州藩邸に駆け込み、応援を要請する。
なんと、そのあと、残っている仲間たちを救うため、
再び、危険な現場へ戻ろうと引き返した。
その途上で、池田屋事件を鎮圧中の会津兵から致命傷を受け自刃。

当時の長州の若者の純粋さ、誠実さ、仲間を思う行動指針を、物語っている。

私に、そうゆうことが、できるだろうか?

・・・
ちなみに近年、上記の死とは、異なる見解も出てきている。
<説1>吉田稔麿は、襲撃時、池田屋にはおらず、長州藩邸にいた。
 急報を聞き、応援に行く途中で、討たれた。
<説2>池田屋から重傷で藩邸に戻って、応援要請したが、
 長州藩邸が、門を開けなかった。そこで自害した。

事実はどうだろうか。
もしタイムスリップできるなら、見てみたい歴史事件の瞬間の一つである。

事実はどうあれ、
「きっと、彼ならそうゆう行動をしただろう」と思われていたから、
それが、歴史に残った。
それは確かなことである。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2017/07/01/
↑「最期は永遠に残る」以前のブログより。





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