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身勝手な人間は、どうすれば少しマトモになるのか?

最上級生となって、しばらくした、ある日、
顧問の先生に、かなり、ひどいことを言われました。
具体的な言葉は、覚えていません。が、
「お前はハートが悪い」「人間が腐っている」
「試合に使わない」「後輩や一人前じゃない選手を成長させろ、チームを強くしろ」
「自分だけ良い、勝てばよいではダメ」
きっと、そんな内容だったと思います。

試合当日、今日もやる気満々でアップ練習していたのに、
メンバー発表で、突然、スタメン落ちさせられて、
そのとき、試合中に、呼ばれて、言われました。
(練習中に言われていたかも、、ですが、まったく、こたえていなかったんだと思います)

ただ、自分が悪いことをしている「自覚すらない」ので、
最初、何を言ってるのか、まったく理解できませんでした。
(オレが上手くなること、点数をとることが、チームのためやろ!)
(オレを使わずに、この試合、勝てるもんなら、勝ってみろ!)
こちらは、そのくらいの感覚です。

自分が先輩を置いて、レギュラーをつかんだように、
自分は後輩や同級生に追い越されて、レギュラー落ちしたくない。するつもりもない。
もちろん、意地悪はしませんでしたが、
手助けもアドバイスもしていませんでした。
(自分で実力をつけて、勝負したらええやん)
(教えて欲しいなら、来ればええやん。教えられたくもないやろ?)
(同級生とも、後輩とも、みんなと同じように接しているから、いい)というスタンスでした。

でも、
顧問の先生に、そこを指摘されてから、
自分なりに行動を変えてみました。

後輩や途中出場の選手が良いプレイをすると、オーバー気味のリアクションで喜んだり、
ミスをしても、良いプレイをしても、ポンポン!って肩を叩いたり、
わざと変な顔や表情を作り、リラックスしてプレイできるようにしました。

自分がシュートしたほうが早くても、
できるだけ、敵をひきつけてから、
別の選手が、楽にシュートを決めることができるようにしました。

すると、
それを、先生が褒めてくれました。
「そう、中西、そうそう!」って感じで。
得点につながること以外の行動を、その場で認めてくれました。

付き合っていた彼女が、後輩とのからみを見て、
「あれ、面白いね!」と、喜んでくれていました。

そんな経緯で、部活動に関しては、
比較的簡単に「第5段階」に近づいてゆけるようになりました。
自分の得点よりも、チームメイトが得点できるように、
チームが勝てるようにすること優先に。

以来、自分のシュート得点よりも、
自分が犠牲になって、他の選手がシュートを決めて喜んでいる姿をみることが、喜びです。
シュートにつながるパスを出したり、壁になってあげたりすることが、喜びです。
うまくなってゆく姿をみるのが、喜びとなっています。

しかし、
大学生になったら、また、マズロー1段階からスタート。
社会人となったら、また、マズロー1段階からスタート。。
ずっと5段階「自己実現欲求」でいれるわけではありません。
あらゆる局面で、今でも、1~5段階を繰り返しています。

先日のブログに書いた
「ヒナが殻を破るのを手伝ってあげるように」というのは、こうゆうことです。

1)殻を破る「きっかけ」を作ってあげることが大事です。
2)それを「認めて、褒めてあげる」ことが大事です。

あのとき、先生が「アイツは、仕方ない・・」と、諦めて放置していたら?
自分なりに変えてみたのに、誰も何も反応してくれなかったら??
考えると、ゾッとします。

育ちが良く、能力も高いエリート「=できる人」にはできる、当たり前のことだけど、
わかっていない人、自覚がない人には、このようなサポートが必要なのです。

「中位~やや下層」「落ちこぼれ組」から、
自分なりに道を拓く努力しての人生だからこそ、
まだ、殻を破り切れていない人たちの気持ちが、よく理解できます。


余談・・・・甲子園など高校スポーツ選手で、
2年生の時は、すごいパフォーマンスを出したのに、
3年生になると、そうでもない。ということが、よくあります。

この現象は、おそらく、私の経験と似たようなことが起こっています。

1~2年生、とにかく、自分の成績だけ、実力を上げること、
何も考えずに、それだけに集中する。できる環境がある。
3年生になると、チーム全体、後輩のことなどを、考慮し始めて、
自分のパフォーマンスは落ちる。ということです。

スコアブック2冊目。

思えば、部活で撮った写真って、ゼロですねー。

唯一残ってるのが、これ。
OBの北さんが、教育実習生として、学校に戻ってきたときの写真です。
みんな、それぞれ「らしい」ポーズで、撮られています!
どこにいるか、わかりますか?

左側、後列2人目
前の子に、いたずらして、自分も写り損ねた、マヌケなヤツです・笑


功労者には勲章を。実務につけると百害を生じる。私利から公利へ

前回ブログには、
メイン・タイトル「任せる人、任される人」の原則のほかに、
もうひとつ、大切な原則を紹介しています。

山本権兵衛のこの言葉である。
「功労者には勲章をやればよいのです。実務につけると百害を生じます」

これを、もう少し深く。
この原則は、
「功には禄を、能には職を」あるいは、
「功には賞を、徳には官を」とも、言われます。
中国の書経に出てくる言葉を、西郷隆盛や徳川家康が引用し、有名になっています。
https://cleaning-keiei.com/nakanishi/2013/04/05/
詳しくは、以前のブログにも書いています。

功績のある者には、より高い給与を与え、
人徳・能力のある者には、より高い地位を与えよ。
功績のある者でも、人徳・能力のない者には、
高い地位・リーダーとなる役職を与えてはならない。と説くものです。

「功」とは個人の実績。
「功」に対しては、「職・官」(役職・組織の長とすること)を与えるのではなく、
禄(給料・賞与)で酬いる。ということです。

役職(=組織のリーダー)に就ける際に大事にするのは、
個人の実績ではなく、組織としての力を発揮できる能力があるかどうか。
個人の実績が優れているから・・・と、その人を組織の長に据えると、
スタッフが辞める、チームのパフォーマンスが下がる、問題が続出する、
組織自体の方向性が意図と異なる方向に向かう、など、
全体に悪影響を及ぼすようになってきます。

人間の欲には「私利私欲」と「公利公欲」とがあります。
我欲、自欲、私欲、利己心は、自分が良い思いをするために、生じる欲求であり、
公欲、利他心、徳とは、自分以外の人のために役立ちたいという欲求です。
お客様に喜んでもらいたい、
部下に幸せになってもらいたい、成長してもらいたい、
所属組織のために貢献できることをしたい。
こういった欲求のことを「公利公欲」と言えるのではないでしょうか。

が、それは「私利私欲」の進化系と言えます。

「マズローの5段階欲求論」に当てはめれば、
3段階の「社会的欲求」や4段階の「承認欲求」までが「私利私欲」
5段階の「自己実現欲求」となれば「公利公欲」に近づいてきます。

人間である以上、自らを満たしたい欲求があります。
「たくさん給料をもらいたい」「高く評価されたい」
「他者に勝ちたい、負けたくない」という「私利私欲」が原動力となって、
人一倍仕事を頑張った結果、個人プレイヤーとして優れた実績を残すことも、多々あります。

問題は、そこからです。

そこで止まれば、つまり「功だけでよい=禄がもらえればそれで良い」という人は、
時代の変化、求められる能力の変化、自分の体力の低下とともに、
やがて、組織のなかに居場所がなくなります。

ヒナが卵の殻を割って、出てくるのを、少し手助けしてやるように。
「私利私欲」人間が「公利公欲」に進化できるように。
マズローの5段階目に到達できるように。
本人が永く活躍できるように。

そうゆう視点で、部下と向き合ってみては、どうでしょうか?


優秀な戦術家、作戦立案者になるために。秋山真之の戦術

「坂の上の雲」書籍のほうには、どんなことが書かれているのか。
・・・・
パッと手に取った第三巻の中で「折れ線」をいれた部分の中からランダムに、
主な登場人物たちの描写を紹介します。

秋山真之の海軍戦術の体系化は、昔の水軍の兵法を基礎にしている。
古来の水軍戦法には、このような戦法がある。
「虎陣、豹陣」
虎軍=本軍。豹軍=弱そうに見せる軍。
弱い軍(豹軍)が誘い込み、島陰に隠れていた強い軍(虎軍)が、一気に叩く。

「舟を攻めずして、人心を攻む」
孫子の兵法=戦わずして勝つに通ずる。
敵艦を沈める、人を殺すことに重点を置くと、多大なエネルギーを用いることになる。
敵の気持ちを奪って、
勝ちを制することを、第一に考える。

甲州軍学も学んでいる
「車がかりの陣」
次々と、新しい軍隊を繰り出して戦う。
敵の兵力が「銀」ならば、こちらは、いつも「金」を用いて戦う。

これらはすべて、日本海海戦で、ロシア・バルチック艦隊を破った戦術に応用されている。

真之は、兵学校で講師もつとめた。
戦術講座は「不朽」といわれるほどの名講義であった。
戦術そのものよりも、
どうゆう風にして、それを完成できたか?を、繰り返し教えた。
「あらゆる戦術書を読み、万巻の戦史を読めば、
諸原理、諸原則は、おのずから引き出されてくる。
みなが個々に自分の戦術を打ち立てよ。
戦術は借り物ではいざというときに応用がきかない」
生徒の回答が、自分の意見と異なっていても、悪い点はつけなかった。

切れば血が出るような具体性に富んでいた。
ロシア艦隊を仮想敵にしていたからである。性能、運動のくせ、作戦の発想など。

そのかわりに、
先輩に対して、遠慮も敬意もない。
「戦術に愛嬌がいるか!」というのが、真之の流儀であった。

もちろん、秋山真之に会ったことはないが、書籍の中で師事して学んでいる。
今の自分のコンサルティングに生きている。


パリオリンピック考4)「疑惑の判定」オヤジからの出題

バスケでの、八村アンスポ退場。河村バスカン同点。
柔道での、永山「待て」なのに継続、締め落とし1本負け。
他にも色々と・・・・。
今回のオリンピックでは「疑惑の判定」が、多く話題になりました。

確かに、
その場面を映像で見れば、そう言いたくなる!

ただね・・・・
「疑惑」とか「審判がおかしい!」と言っているのは、
今までスポーツ等で「真剣勝負」を、したことがない人である。

「真剣勝負」をしたことがある人は、
この種の判定も受け入れなきゃならない。審判の判定で負けたわけではない。
というとらえ方をする。できる。
真っ向勝負にこそ、理不尽はつきものである。

バスケの試合(スポーツの試合)では、
その試合ごと=レフリー(審判)により、ファウル基準は異なる。
もっと言えば、同じ試合のなかでも、その局面ごとに基準は変わる。
個々のプレイヤーに対しても、基準は変わる。

試合のなかでは、審判も
「与えられた条件=その日の天気やグランドコンディションと同様」であり、
そのなかで、結果を出すしかない。のである。

審判の癖・思考・好き好みまで、把握して、
(怪しまれない程度の)コミュニケーションをとり、プレイと表情で会話し、
味方につけれるようにしておくことが、最上である。

審判は、
相手にも自分にも、その1試合のなかで、
ジャッジ基準が一貫していれば、それで良いのである。
一般的なルールというのは、あるけど、ないようなものである。

それに、
日本も「疑惑の判定」によって、
ちょっと得をしていること・ラッキー判定も「理不尽」と同数程度、あるはずである。

自国への有利判定のことは、一切、話題にせず、
「疑惑判定で、日本が損をした」ということばかりをとり上げて、
視聴率や、クリック数を稼ぐメディア。

その論調は、
他責人間:「他責=責任は自分以外にある」とする人間を増やす。
その思考が、日本に増えてゆくことを、
何よりも、危惧しています。

本気で真剣勝負したことのある人間は、
審判のこと、誤審まがいも、プラスにとらえている。
現に、河村君も八村君も、
判定に対しての不満は漏らしていない。

審判の判定も含めて、与えられている条件である。と考えることができる。
与えられた条件に対して、否定的な意見を持たない。
これは一事が万事、世の中に起こること、すべてに対して同じである。

少なくとも、私の身近な人には、
そうゆう考えで行動する人になってもらいたい。
「疑惑判定の審判」も
「自分の実力を発揮する土壌のうち」と考えてもらいたい。

さーて、これについて、21歳・愚息君は、どうゆう思考か?
さっそく「試験」を実施する。

OK、合格!
少し、ホッとしました。


パリ・オリンピック考3)「ほらみろ、そうなっとるやろ」オヤジより

前々回、書き留めました、
元・ハードル選手の為末大さんによる「日本3つの躍進の理由」
さすが、為末。「侍ハードラー」「走る哲学者」と言われるだけある。
アスリートのなかでも、知性の高さは、トップクラスです。

1)英語力が高まっている、活動拠点を海外へ
2)YouTubeの力
3)科学的なトレーニング

実は、この内容、うちの愚息君に対して、
伝え続けていたことと、まったく同じなのです。
「」内は、私の言葉です。

1)英語力と海外拠点について
「申し訳ないが、キミが大人になるころには、日本に仕事はない!」
「これから、専門的な仕事が人並み以上にできること+英語力は、
 人並みの収入をもらい、生きてゆくうえで必須条件となる」
「キミの時代、日本には仕事がないが、世界には仕事がある。ということや」
「世界の誰とでも、コミュニケーションがとれるメンタルも必須」
「日本以外のどこでも生きて行けるようになれ。日本出身・地球人として生きよ」

2)YouTubeについて
「YouTubeは、賢い人を徹底的に賢くする。そして、バカを徹底的にバカにする」
「関連動画がそうさせる。賢い・スパイラルと、バカ・スパイラル」
「賢い人とバカな人に、人類史上最大級の格差が開く。必然的に収入や生活にもびっくり格差が生まれる」
「キミは、どちらになりたい?」
「良く考えて、YouTubeは観ろ」
「YouTubeを観るたび、この原則を思い出せ」
↑↑
ご支援先で、スタッフさん向け研修の機会をいただいた際、
このことは、必ず、お伝えさせていただいている。

3)科学的であること
「科学的であること。そんなことは、当然である」
「そのベースに、“昭和”を、必ず入れておけ。
 これから稀少価値となることがある。
 それは、肉体的・精神的にタフであること。義理人情に厚いことである」

ほら、見ろ。
為末さんも、こう言ってるやろ。
3)に関しては、俺のほうが、為末さんよりも先を行ってる。
いや・・・為末さんも、気づいているけど、言ってないだけかもしれない。
本人にとっては、当たり前すぎて、言ってないのかもしれない。

良かったやろ?
俺の言うこと聞いてて。

親父は、だいたい間違ったことは、言ってない。えへんえへん。





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