船井幸雄会長
1994年、
私が、船井総研に入社したとき、
全社新年会を兼ねた新人研修会で、
総務系の役員に、こんな課題を出されました。
「新年会のパーティー会場で、先輩方に挨拶に行って、名刺をもらってきなさい」
「その名刺の数を、あとで発表してもらいます」
思えば、その当時から、ひねくれていたのでしょう。。。
「俺はコンサルタントになりたい。そんなことをして、何の意味があるんだ?」と、
心の中で反発し、
でも、同期入社の仲間に負けたくないという気持ちもあり、一計を案じました。
そうだ。
船井幸雄会長の名刺だけをもらおう!
きっと、誰も近づかないにちがいない・・・。
そして「僕は、これ1枚です」と、あの役員に言ってやろう。
勇気を出して一人で、船井幸雄会長の席に、
近づき、「名刺ください!」
ニコニコとしながら、
生意気な若者にも、丁寧に、名刺を渡してくれました。
どんな人にも変わらぬ対応で。
そのとき、何を話したかすら、覚えていません。
優しい人だなあ・・・と、思いながらも、
目の奥の鋭い輝きに「百戦錬磨」を感じさせる威圧感があったことを
覚えています。
その後は、雲の上の存在で、300名以上の社員の一人として、
月に一度、講話を聞くくらいの関係しかありませんでした。
入社2年目の梅雨どき、
徹夜の仕事明けで、会社のトイレの洗面台に水を入れて、
頭を洗っていると、船井会長が、入ってきたことがあります。
びっくりした表情で一見して、
「おつかれさん」
と、声をかけ、淡々と用を足しておられました。
個人的に接触したのは、この2回きりです。
1月19日、
船井総研の創業者である、船井幸雄氏が、
永久の眠りにつかれました。
今の自分の土台となるものを作っていただいたことに、
感謝してもしきれません。
今でも、理想とするコンサル会社としての在り方は、
諸先輩方の話に聞き、
私が入社時には、まだ、その空気感が色濃く残っていた、創業当時の船井総研。
予算なんて、決めない。
好きなだけ頑張って、好きなだけ給料を稼げばいい。自分で給料は決めろ。
ルールは作らないほうがいい。管理もしないほうがいい。
「ケンカの船井」と言われ、競争にめっぽう強い。
「船井がついた」との情報に、クライアントのライバル会社は、恐れていた。
個性あふれるコンサルタントが
バリバリ仕事をして、クライアントの業績を上げる。
ちなみに、船井総合研究所とは、後から変更した社名。
船井幸雄会長が、創業したときは「日本マーケティングセンター」という社名でした。
法務局に出向いた社員に、電話で指示しながら、決めたそうです。
「できるだけ、わかりやすくて、大きな名前が良い」と。
当社・日本売上アップ研究所という社名は、
そんなところにも、影響を受けています。
師と言うには、あまりにも遠い存在なのですが、
その御恩に報いるためには、
ひたすらに進むべき道を歩み、果たすべき役割を果たすことしかありません。
空を見上げ、感謝の念とともに、そう心に誓います。
ありがとうございました。
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