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2024年・レクイエム③桂ざこば師匠~人情噺、育て親の師匠

上方落語界の暴れん坊・桂ざこばさんのエピソードは、数々あります。

先輩・後輩を問わず、大阪の落語家さんは、
寄席で、本ネタの前に話す「まくら」の中や、創作落語の中にも、
しばしば「ざこば師匠」を、登場させて、笑いをとります。

東京の浅草で言うところの「内海桂子・好江師匠」の扱いと同等です。
その存在自体が、面白いのです。

書き留めておきたい内容を、ひとつご紹介しておきます。
ネットにも出ていたんだけど・・・今、消えているようなので。
(スクリーンショットを撮っていて、良かった。。)

↓↓
今、上方の大人気タレント、噺家としても大師匠の「桂ざこば」が、
まだ「朝丸」と名乗っていた時期、
はじめてホールで独演会を開いたのは、33年前のことだった。

師匠の桂米朝は、
桂朝丸の「はじめての独演会」のパンフレットに、こんな一文を寄せた。

『朝丸と南海電車に乗っていて、
難波に近づき車窓から大阪球場の灯りがちらっと見えると、
朝丸は「今日は暑かったから、ビールがよく売れるやろうと思います」と言った。
朝丸は、家庭の事情で中学からアルバイトをしていた。
こんなあどけない子どもが、
重たいビールを担いで、急な段差のある球場を上り下りしていたかと思うと、
胸が詰まるような思いがした。
その朝丸が、今日、初の独演会を開く。
褒めてやってほしいと思う』

朝丸は、高座に上がるなり、
「パンフレットの文章、読んでくれはりましたか」と客席に言い
「嬉しい」と、男泣きに泣き始めた。
客席も、もらい泣きをし、それから大きな拍手が起こった。
↑↑

大好きな文章です。

読み返すだけで、涙がウルウルする。
のちの人間国宝・米朝と、のちの暴れん坊・ざこば師匠の初期の物語である。

若者スタッフを預かる経営者、幹部の皆さんは、
大なり小なり、彼ら彼女らの背景に、米朝師匠のごとく、思いを馳せて欲しい。

ご冥福をお祈ります



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