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社会人1年目・22歳のノート

大阪を出るとき(夜、寝るときにでも、読み返して、勉強しよう)と、
リュックにいれておいたことが、
受注の役に立った(かもしれない)ノートは、こんなノートである。

普段の日常では、ノートを読み返す時間すら、もったいない
(そんな時間があれば、風呂に入りたい、寝たい)そんな1ヶ月間。

ツーリングに出かけるとき、
これはプライベートの時間ですから・・・と、分けてなかったところが、偉かった!笑

入社時から、ずーっと、書き溜めていたノートは、
ノウハウ満載です。
今、見返しても、参考になることが、たくさんある。
しょうもないことも、多いけど・笑

激務の中でも「業務」だけに埋没せず、
単なる「コマ」になることなく、
「コンサルタントとしてのノウハウ」を吸収しようとしていたことが、よくわかる。
まだ存在せぬ、いつか出会う、クライアントのお役に立てる情報をまとめていた。

自分が「一人前の仕事」ができるようになるためのメモを書いていた。

「作業」のためのメモは、一切、見当たらない。
ソフトの使い方がどうとか、名刺の渡し方がどうとか、
○○さんの仕事をどうするとか、何かの手順だとか、そうゆうことは、書かれていない。
※何か別のノートにつけていた(・・・と思うんだけどな・・・そう信じたい・笑)

入社して1~2年目くらいまで、
やり手の先輩方から「おまえの最近のノートを見せてみろ」と、言われていた。
見せると「甘いな!レベルが低い!」って、ボコボコにされる・・・
それが悔しいから、もっと価値ある内容を、工夫して書いておく。

でも、今、見返すと・・・
きっと先輩方は、オレのノートが参考にもなるから、見たかったんだろうなー・笑
そう、思うくらい、頑張っていた。

良く勉強していたな。その姿勢がええわ。
22歳のこうゆう青年がいたら、間違いなく、採用する。

「すげーな、オマエ、必ず、伸びるよ」って、声をかける。


会社から仕事をもらうのではない、自分が会社に仕事を持ってくる

酒販店に到着して、
3たび、入社してからの1ヶ月のことを話す。
その日、3度目の公演。さすがに、自分で飽きてくる。

で、たとえば、このお店ならば・・・ということを
「先輩方がやってること(やっているで、あろうこと)」と
「自分が下働きでやっていること」に分けて、そのままを、お話しした。

入社後からつけているノートを持って、旅に出ていたので、それも、見せた。

先輩が、クライアント先でヒアリングしている(であろう)内容を、聞き取りした。

すると、コンサルティングを受けたい。という話になった。が、
どうすれば良いのか、わかならいので、
いったん、名刺を交換して、後日連絡ということに。

すっかり夕方になってしまい、
「これからどうする?」「ここに泊まっていけ!」というお誘いを、
お気持ちのみ、ありがたくちょうだいして、室戸岬に向かう。

その前に・・・約束の「定時連絡」を会社に入れなきゃならない時間。
緑の電話ボックス。テレフォンカードを入れて、電話をかける。
ものすごい勢いで、テレカの度数が減ってゆく・・
(当時、船井総研はフリーダイヤル契約すら、していなかった・笑)

 
1つ上の先輩が、祝日にもかかわらず、やはり、出社していて、電話に出てくれた。
「えーーーー!?今、四国なのー??」
「実は、明日、来てもらおうと思ってたんやけど・・・」
(↑大阪を離れて、正解や!笑)

でも、
コンサルティングを受注できそうだ。という話をすると、
ちょっと、空気が変わった。その先輩よりも、先に受注する訳である。
「それは・・・○○さん(=猛者上司たち)に連絡して、行ってもらうようにしたほうがいいね」「伝言ノートに書いておくよ」

というわけで、
主任の先輩にくっついて、支援同行させてもらうこととなり、
依頼書の「担当者」欄に、主任と私、2名並列で、名前を書いてもらった。
これが入社1年目、入社して2ヶ月目での「初受注」である。

 
初受注は、
会社の力で、仕事がとれたのか、
個人の力で、仕事がとれて会社に貢献できたのか??

80%は会社の力である。
でも、20%の個人の自力と運で、お客様と出会えた。

偶然に、偶然が重なった、まがいなりの初受注は、
・自分自身が、何かしら動くことで、仕事にありつけること。
・仕事もプライベートも境目なく、過ごしていれば、必ずチャンスは巡ってくること。
・会社をステージとして、自分が演じて、お客様を満足させること
(会社から仕事をもらうのではない、自分が会社に仕事を持ってくるんだ。それができなきゃ、一生、ハードな下請け仕事)
そんなことを、学び体験しました。

当時は、なんとなく感じていただけ。
徐々に、体験が生き方として、沁みついてくる。

会社にかかってくる電話を、ひたすらとり続ける。とか、
先輩からどこかクライアントを譲ってもらう。とか、
誰かにお膳立てしてもらって、仕事をもらう。とか、そうゆうスタイルではない、
実力が無いなりに、少しだけ
自分のスタイルが通用したことが、嬉しい初受注の体験でした。


アンタッチャブルのサイン色紙(芸人コンビ名ではない)

商工会議所の職員さんの用事は、
地元出身のボクシング・世界チャンピオンのサイン色紙を
講演に来てくれたベテラン・コンサルタントさんに、届けておいて欲しい。
というものだった・笑
サインをもらっておいてあげる。と、その際、約束していたらしい。
何とも、律儀な・・・・。
そして、ちゃんと、私の分も、持ってきてくれた。

「アンタッチャブル」の異名の世界チャンピオン、川島郭志。
徳島県海部町/海南高校出身。
防御が早すぎて、対戦相手が「触ることができない」から「アンタッチャブル」
それほどのディフェンス力と、身のこなしであった。

相手パンチが当たる直前で、顔をクルっと流す「スリッピング・アウェー」が、得意技。
いつかのブログに書いた
・・・中学バスケ部・顧問先生の連続ビンタ攻撃をやわらげる技と同じやん!!
・・・オレも、この技、やってたで!!
ってことで、シンパシーを感じる、笑、とても、かっこいいボクサーでした。

ツーリングで、とんでもない戦利品をゲットできた。
今でも家に置いている。

で、商工会議所の職員さんに、
先輩たちがやっていること、
どんな仕事をしているのか?
なんで、この会社に入ったのか??
なんで、今、この四国にいるのか???を、また、話した。
大将と奥さんも、色々、つけ加えてくれた。

今、酒販店の売上アップチームに配属されていることを知ると、
「前向きな酒販店があるから、紹介したい」と言う。

いやいや、紹介されても、何もできないです。と言ったけど、
この職員さん、酒販店さんに、
勝手に電話して、勝手にアポイントをとりつけてしまった。
「はい、今から一緒に行こう。それ、話してあげて!」
(続く)


迷う者、道聞かず。旅と人生の共通点

腹が、、、、減った。

とりあえず、このあたりで、うまい飯屋を探そう。
地元情報誌を、立ち読みして探そう。。と、
田舎町のショッピングセンター風・施設の本屋に行った。

しかし、情報誌に旨そうなお店は掲載されていなかった。
いかにも、観光客相手の「嘘くさい店」しか、掲載されていない。

そこで、書店の店主に聞いた。
「あの、大阪から来たんですけど、
このあたりで美味しいお昼ご飯を食べれるお店は、ありますか?」

旅(=人生)の名手のやり口だ・笑
「わからないことは、知っていそうな人に聞く」
知っていそうな人の探し方に、観察眼とセンスが問われる。
で、声をかける行動力が大切である。
「迷う者、道聞かず」

すると、店を教えてくれた。
丁寧に、道を教えてくれたうえ、
電話して、ランチの営業確認&予約までしてくれた。
「今から、こうゆうお兄ちゃんが行くから~」と。

現地に行ってみると、社会人1年目が行くにしては、
敷居の高そうなお寿司屋さん。
一瞬、たじろぐ。
が、せっかく電話してもらったんだから、入ってみよう。

カウンターに座り、大将&奥様と、お話をする。
どうやら、すし店の大将と、書店の主人は、同級生(悪友)であるらしい。

バイクが好き、龍馬が好き、四国が好きであること。
コンサルタント会社に入ってからの約1ヶ月間に起こったこと。を話した。

「何というコンサルタント会社に就職したの?」と聞かれて、
船井総合研究所と、答えると、
「ん?? なんか聞いたことがあるぞ?」という反応。

(いやいや、、、そんなことはない。。)
当時は、今よりも、もーーーっと、無名の会社である。
「船井総研です!」と、電話をかけると、
「社長!!フナイ証券さんから電話ですーー」なんて、ことは当たり前。
 ※財テク、株をしてる社長、多かったんだろうなー。
「あなたーー、フナイ商店さんから電話よー」とか、
「あ、あの格安電化製品のフナイ電気さんの子会社でしょ」とも。

「心当たりがある」と言って、
寿司屋の大将が電話をしたのは、商工会議所の職員さん。
すると、
「船井総研、知っている」
「去年、商工会議所で、講演を依頼した」
「そのときの講師の話が、良かった。面白かった」

電話を代わってもらって、少し話をしたら、
「今から、寿司屋に行く」とのこと。

「いやいや、ぼく、入社1年目。
 しかも、1ヶ月働いただけ。
 来てもらっても、困るから、来ないで」と、言ったけど、
、、、
来た。。。

入社当時、一番最初に買った、いわゆる「船井本」。

まだ、本棚に残しています。


お休みの申請方法とか。25年前(今は昔。だが、日本が強かった時代)

4月に入社してから、毎日、終電か、それ近くまで仕事をする。
会社に泊まること週1~2日。
土日も休みナシ。濃厚激務が、1か月。
体感的には、3か月分くらい働いた、長い、長い、1ヶ月。
(GWは、少しは、まとまって休めるのか?)
(さすがに、休みたいぞ!)と思い、同じチーム内で、
一緒に、馬車馬のように働いている先輩に聞いてみた。

1つ上の面倒見の良い先輩。
答えは「え!?中西君、、、それは、無理ちゃうかなー。ボクが1年目の時のGWはね・・・・・」

2つ上の優しい誰よりも仕事している先輩にも、聞いてみた。
「だよね、だよね、休みたいよね。ワタシも休みたいけど・・・」

3つ上の、軽やかなお兄さん的な先輩にも聞いてみた。
「あー、ええんちゃう。休んでも!
他の部署の先輩全員に聞いて、仕事がなければ!!聞いてみたらええねん。ダメもとで・笑」

1人目であきらめず、社歴順に3人に聞いた。3つ上の先輩の意見を採用した。
(組織においては、より上位の先輩の発言が有効なのである!)
ちょっとした、ずる賢さ・粘り方を、1ヶ月で学んだ・笑

我々、若手スタッフに、仕事をくれるのは、
個別のクライアントを持ち、現場で仕事して活動=稼いでいる、
リーダー、チーフ、主任の皆さん、4人の猛者たち。

ひとりひとりに、勇気を出して、聞いてみた。

「GW中、お手伝いできる、お仕事はありますか?」
これで、4人とも「ない」と返事があれば、
「2日間だけ、お休みいただいて、よろしいですか?」と言える。

これが、休みをもらうときの、手順である。
自分の希望や都合を、先に言わない。
まず、先輩に仕事の状況を聞いてみてから。

社会人としての当然のルールは、こうして学んでゆく。

答えは、4人とも
「今のところは、ない。しかし、直前にならないと、わからない」
「だから、直前に聞いてくれ」

希望を、つなぎ、
GWに突入する前日の定時連絡で、全員に確認すると、
3日間の休みがとれた!!
ただし、この2つの条件付きである。
1)毎日、夕方に会社に連絡を入れること。
2)その際、誰か先輩が「出てきて欲しい」と言えば、すぐに出社すること。

 
大阪にいると、呼び出される可能性・大。
そうだ、どこかに行ってしまおう!
そうだ、もう一度、坂本竜馬に会いに行こう。
「志」を思い出すために!!
当時の愛車・400ccのバイク、カワサキ・ゼファーに乗り、
四国半周のツーリングに出かけた。

夜明けとともに、いそいそと、
地図と最低限の着替えをリュック1個に詰め込み、大阪を出発。
お金がないから、高速道路は使わず、
淡路島を下道で通過し、
ふらふら、漁港や海岸に立ち寄り、釣り人や老人に話しかけ、
徳島の海岸線「南阿波サンライン」を走り、
昼過ぎには、高知県との県境、室戸岬の手前、徳島県宍喰町(現・海陽町)に着いた。

漁港には、こんな風景がある。
こんな風景が、私のモチベーションをアップさせてくれる。

↓↓

(続く)





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