地元・大阪人が知る大阪桐蔭の「戦略」
「これからもっともっとチームを強くして、
もっともっと大阪桐蔭を、大きくしていきたいと思います」
甲子園優勝時の大阪桐蔭・西谷監督のインタビューの最後の言葉。
「大阪桐蔭を大きくしたい」
まるで、企業経営者の発言です。
でも、
強さの本質は、そこにあります。
西谷監督は、自ら、中学チーム(ボーイズ、シニア、リトル)に出向き、
チームの監督や選手の親に名刺を渡し、その後、お礼状を書きます。
「スカウト活動」に、とても力を入れています。
一般企業の営業マンさながらの動き方。
ご子息が大阪の野球チームに入っている経営者様に、
名刺・お礼状の実物を、見せていただき、
この実態を教えていただきました。
テレビに映っている、強豪校の監督が
名刺を渡し、しかも、手書きでお礼状を書く。
効果抜群なことは、自明の理。
さらに、大阪桐蔭の学校を見学に行けば、
親なら誰もが「こんな環境で野球をさせてあげたい」という野球専用施設が
整っているそうです。
巧みな戦略は「入口」だけではない。
「出口」にも「戦略」がある。
プロや社会人、大学から「来て欲しい」と言われて、
先に進む選手は、ごく一握り。
大半を占める「レギュラーではなかった」生徒たちの
大学進学には、特に気を遣っているそうです。
有名私立大学の推薦をもらえない生徒たちのために、
各大学・野球部の現在のレギュラー選手を調べ上げ、
3年・4年生に、同じポジションの主力選手がいて、
1年・2年生が、手薄なチーム。
つまり、
主力が卒業した後、
大阪桐蔭の卒業生が、1年・2年のときから、
早期にレギュラーになれる確率が高い。。という大学を調べて、
その大学への進学の道を拓いてゆく。
高校以降の野球人生が、
より良いものになるように・・との配慮です。
当然、「親ウケ」が、最高に良くなる。
スカウト活動に良い循環が生まれる。
そして、大阪桐蔭高校自体の学校経営も、
企業顔負けの戦略で、成功しています。
1980年代に設立された、新興校。
経営母体は、大阪産業大学。つまり、実は「付属高校」なのです。
大産大は、お世辞にも、有名であったり、行きたい!という大学ではない・・・。
元々、大阪産業大学付属高校の別校舎だった敷地を、
新規の高校として設立。(大産大付属高校は、今でもあります)
ここで、新・高校の校名を
「大産大二校」とか「大産大付属○○=地名」とか、
「エゴ」&「俺がやってる!感」を出した校名にしなかったのが、大正解。
しかも、
関東の私学の雄・文武両道の「桐蔭学園」を
彷彿とさせる校名「大阪桐蔭」と、名乗った。
多くの人が「あの桐蔭の大阪校か??」と勘違いしたはず。
今でもしているかも?
野球や、ブラスバンド等、全国クラスの実力の部活動で
知名度を上げると同時に、
「進学クラス」にも力をいれる。
平日5日のうち、4日は7時間目までの授業。
土曜も、5時間目まで授業。
夏休みは、2週間だけ。
成績に応じて、コース・クラス・校舎替え有り。
そうして、大学進学実績を作る。
創設から20年程度で、
知名度・生徒数・偏差値・・・一気に大阪府内トップクラスに躍り出ている。
現在の生徒数は、1学年が600名超。全校生徒2000名。
ちなみに、入学のために必要な偏差値は、進学コースで69。普通コースでも63。
これだけ勉強しないと入れない人気高校に「成り上がった」
野球で、PL、近大付、北陽、上宮・・・といった強豪校の列に
「割って入った」のと、同様に。
もう一丁、ちなみに・・・
本体であった大産大付属高校。
偏差値は、進学コースで51.普通コースで43。生徒数だけは、同じくらい。
大阪桐蔭の強さの秘訣は、そうゆう「戦略」にある。
会社経営として、見習う点は、多い。
それだけに、地元メンバーだけの金足農の凄さも、際立つ。
※
余談(負け惜しみ)
戦前の予想通り、圧倒的な強さを見せつけて、甲子園で優勝した大阪桐蔭。
でも、、、
もし、勝てるチームがあったとすれば、
万全の状態の吉田君が投げる金足農業でも、日大三高でもなく、
1回戦負けした、高嶋監督と智辯和歌山だった・・・と、今でも信じている。
何回か前のブログに書いた通りです。
「タラ・レバ」厳禁の、勝負の世界。
それでも、それでも・・・。
あーー、もう一度だけ、戦うところを見たかったなー。
秋の国体に「特別枠」を、作ってくれないかなー。笑
「幻の対戦」です。