top > 2016年 > 12月 > 29日


明治の士風と、働き・報酬について

年の瀬も押し迫まるなか、今年最後の出張。
帰省客の混雑に巻き込まれながらの移動です。

帰省風景の中、PCをピコピコしながら・・・ってのも、野暮ったいので、
おとなしく、本を読みながら。

司馬遼太郎さんの書籍より。

写真の内容は、正岡子規の言葉。
「人間は、最も少ない報酬で最も多く働くほど、エライ人ぞな。
 一の報酬で十の働きをする人は、百の報酬で百の働きをする人よりエライのぞな・・・」この言葉を、
司馬さんは、子規の言動を記録した遺稿のなかで「もっともすぐれたものであろう」と表現している。

江戸から明治にかけての士風を、こうも書いている。
「武士には捕吏がいらないというのは、本当か?」との朝鮮からの使者が尋ねたそうだ。
武士は、縄目の恥辱を受ける前に、切腹するからだ。

「武士は、学問はそれほどなくとも、日ごろから体を鍛え、
 いったん国家の大事があれば、命を捧げることを承知していた」

「禄(給料)は、将来の戦死を含む戦場での働きを見越した前渡金であって、
 家臣としては、武功をたてるか、討死することで、貸借対照表がゼロになる」

・・・
報酬に対する考え方、
コンサルタントとしての矜持、仕事する人の基本。。。

奇しくも、隣の席では「電通社長の辞任」というタイトルが踊る新聞を読んでいる人。

法律やルールがある。
でも、その法律やルールを作った「国」自体が、借金まみれ。
彼らの言う通りにして、会社は、個人は、果たして大丈夫なのか?

自分の父、祖父、曾祖父の世代に色濃く残る、
日本の士風的思考が、働き方のベースとなり、今、豊かな経済大国になれたのではないか?

まず「日本が日本である」根本思考を、見直し、大事に植えつけたほうが良い。
「社会問題になっているから、うちも規定通りに・・・」
と、安易にやってしまう会社は、数年後、泣きを見る気がしてならない。





TOPへ戻る