2016年6月26日 22:59
ゴールデンウィークの最後、
なんとか滑り込んだ「モネ展」の写真をアップです!
いまごろ・・・
絵画は、小中学生のころ、少し得意だったので、好きなのですが・・・
(某都知事のように、コレクションして、転売という趣味はアリマセン!)
印象派の巨匠・モネが、どうやってビッグになっていったのか?
その時々、どんなことを考えていたのか??ということに、想いを馳せながら、観覧していました。
職業柄でしょうね、、、
まず感じたことは、
彼も仕事の基本である「守・破・離」を、実践していたんだな~ということ。
モネと言えども、最初から、自分の書きたい絵を描いて有名になったわけではなく、
若いころは、「カリカチュア」という人物の性格や特徴を際立たせた人物画。
ちょっと風刺だったり、面白くデフォルメを入れて描いた漫画スタイルの風刺画。
これを書いて、生計を立て「上手」と評判になっていたそうです。
現物を観ましたが、本当に上手で、楽しい!
当時、実在の「ターゲット」となった人物を知っていたなら・・・そりゃ、ウケただろうな~と思います。
この「面白人物画」を足掛かりに、師匠・ブーダンに出会い、風景画を書くようになり、
やがて「印象派」の巨匠へと成長してゆくのです。
まずは「相手の手段となりきることで、受け入れられる」ということが出発点。
これは、著名な芸術家であっても、仕事の基本なんだ~。
もうひとつ、感じたことは、
円熟期以降の「連作」について。
「水蓮」や「国会議事堂」「橋」「積みわら」等々。
ひとつのテーマを、色々な季節や、天気、光のもとで、何枚も描いているのです。
しかし、後期の「水蓮」なんて、
もはや「モネのじいさん、テキトーに描いただろう!」と
ツッコミを入れたくなるような、ワガママな筆。。。
「これでも“モネ先生が描いた”というだけで、売れたんだろうな・・・」なんて、意地悪に観ていました。
ボクも・・・
どっかの時点で「連作」みたいなのしたほうがいいんだろうな。
「ワイシャツ」の看板。「工場直営」の看板。チラシに、DM、ホームページ、求人広告。。。
で、死後に「中西正人と仲間たち、売上アップの世界」を、京都市博物館とかでやってもらうの。
コンサルティング先の成績、
社長や幹部たちのプロフィール、インタビュー。
店舗や販促物の事例も、展示されて・・・。
死後、博物館でそんな展覧会ができるよう、丁寧にしっかりと仕事をして行こう!!
そうゆう思いとなった「モネ展」でした!
2016年6月25日 22:40
なみなみ一杯のお酒。
こぼれるイクラ丼。。
どちらも繁盛店のメニュー。
その業界にどっぷり浸っている人たち=プロや職人さんから見れば
「そんなものーー!ダメダメ!」なんて、揶揄されることかもしれない。
でも、素人の発想で、ドンドン取り組めば、
それがお客様にウケることが、とても多数あるんですねー。
2016年6月19日 19:57
誰かに教えてもらったくせに、
誰にも教えたくない・・カフェより。。
昨日のブログに続き、書き留めておきたいイチロー語録をひとつ。
「打撃に関して、これという最後の形はない。これでよし、という形は絶対にない。
でも今の自分の形が最高だ、という形を常につくっている。
この矛盾した考え方が共存していることが、僕の大きな助けになっている。」
そう、仕事って、そうゆうこと!
いつも
「進化」を求め、
「変化」を恐れない。
2016年6月18日 22:23
イチロー選手、日米通算4257安打。
おめでとうございます!
もはや、解説の必要のないほどの成績に、伝説やエピソードの数々。。
一緒にしては、おこがましいのですが、
ちょっとだけ、心の支えにしていることがあります。
それは、インタビューなんかで見せる、
ちょっと子供っぽい言動。(笑)
同じ日本人大リーガーだった松井選手の「大人な言動」と
対比されることもあります。
小さいことが気になり、スジの通らないことには腹が立ち、
自分の本心を隠して、表面上で折れることができない。
「虎の威を借る狐」とか「言葉だけの人間」
「なすべき仕事をしてない人間」に、邪魔されるのが、大嫌いで、
悔しい気持ちをバネにして、頑張る・・・。
そんな部分が、
いつもインタビューに顕現している感じがします。
ちょっと自分に似ているところがあるなー。
なんて、思っています。
で、、、
細かいことが気になるし、すぐイラッとするし、
「クッソー」「アンニャロウ」「やり返してやる・・・」とか、
しょっちゅう思っている嫌な自分。
でも、こうゆう男だからこそ、
いいモノを作れるんだ!
いい仕事ができるんだーー!
な~んて、
勝手に、自分の短所を、
恐れ多くもイチロー選手に重ねて、納得しているわけです。
表面上は「松井選手」の対応ができるようにならなきゃな~とか、
思いながらも。
イチロー選手、50歳までヒットを打ち続けて欲しいです!
2016年6月12日 21:35
クライアント先からの帰りの列車の車窓から見えた、水を張った田んぼと夕焼けの美しい風景。
田園風景がまだまだ残っていた地方都市で、育った私にとっては、ホッとする景色です。
歩いて片道30分の通学路には、
田んぼが広がり、ため池があり、用水路が流れていました。
ザリガニがいて、カブトエビがいて、ゲンゴロウがいる。
カメやメダカやフナもいる。
カエルは、アマガエルやトノサマガエルはもちろん、
“ショッカン”と呼ばれていた、巨大な食用ガエル「ウシガエル」も。。
今、考えると、非常識なほど大きなオタマジャクシで・・・・でも、それが標準サイズでした。
ヘビもいる。
種類はシマヘビとアオダイショウが主流なので、噛まれると、痛いが毒はない。
捕まえたり、追いかけたり、攻撃したりしながら、通学する。
あまりヤリスギると、農家のオジサン、オバサンに注意されるし、
寄り道すると、先生にも怒られる。そんなことにも配慮しながら。
夏になると、通学路以外の場所で、
カブトムシ・クワガタ、キリギリスなんかを捕まえる。
どこに行けば、たくさん獲れるか?
どこまで近づいて、どんな方法なら、効率よく獲れるか?
それらを、素手で触る勇気があるか?
「知恵」と「勇気」、「観察力」と「行動力」で、捕獲してくる。
そして、意気揚々と、引き揚げてくる。
生き物を、たくさん獲ってくる子が、一目置かれていた。
「この生き物を獲るのだけは、めちゃめちゃ上手い!」なんて子もいた。
メンコやビー玉も、
自分の腕前で、友達から、ふんだくってくるものだった。
親から金を貰って、店で買ってくる友達が「商品の供給源」・・・笑
弱くて、負ければ、遊べない。
あまりにも調子に乗ると、みんなにやられる。
「男の仕事」って、
太古の昔・狩猟時代も、
子供の頃の男の子の「遊び」も、
なんだか、同じですよね。