論理こそ、最高の倫理
「倫理」とは、人としての行い。道徳。
「論理」とは、思考・論証の組み立て、法則に基づく筋道。
私は「倫理」を振りかざし、他人に強要する人を、私は、あまり信用しない。
「親(目上)に向かって・・」とか、
「常識として・・」とか、言ってくる人だ。
年長者であることが、正しいとは限らない。
自分の常識も、
他人にとっては、非常識かもしれない。
目上であろうが、ちびっ子であろうが、
大企業のエライさんであろうが、ヤンキーであろうが、
どんな相手に対しても、
目的を明確に、論理的な筋道を説明する人を、信用する。
「論理」で説明する力こそ、最高の「倫理」である。
なぜ?
どうゆう理屈で、そうなるのか?
他の事象でも、当てはまる汎用的なことか?
筋道や、法則的な関連が妥当で、納得できるか?
こうゆう話ができる人と関わると、とても清々しい気持ちで、前に進むことができる。
逆に・・・
初対面の相手に対して、
以前、ちょこっとだけ関わった「ビッグネーム」な取引相手の名前を、持ち出す人。
「ボクは、○○と取引していたんだ」
土下座する人。させる人。
倫理とか人間性を、他人に要求する人。。等々。
これらは、
私にとっての「要注意人物」センサーです・笑