島津義弘と堀紘一と私/勝ち筋ベスト案を却下されたとき。
関ヶ原の戦いの前夜。
歴戦の勇将・島津義弘は、西軍の総大将・石田三成に、
「今から、家康本陣に、夜討ちを仕掛けよう」と、進言した。と言われている。
しかし、三成に却下される。
「明日、堂々と戦う。天下分け目は、勝ち方が大事だ」というのが、その理由である。
結果、西軍は敗北する。
これと同じようなことが、
コンサルティングの現場では、時折、起こる。
「これをしなければ、勝てない!絶対、実行して欲しい」という
「勝ち筋」提案を、大将=経営者・オーナーに却下されることがある。
そうすると、
「沈む=負ける」とわかっている船に、乗らなければならない。
私は「コンサルティング契約の範疇で責任をとる」と、肚を決めて
「最悪に突き落とされたなかの最善」を模索する。
が、そこで一生懸命、働くスタッフの皆さんのことを考えると、
本当に、やるせない気持ちになる。
ああ、
関ヶ原のときの島津義弘って、
きっと、こうゆう気持ちだったんだろうな・・・なんて、
時々、思うこともあるわけです。
それと、(石田三成って、きっと実戦に疎くて、現実の力と自分の作った建前の見極めができない、こうゆう人だったんだな)とか。
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いつも「夜討ち」案を、前向きに取り入れていただき、
ちゃんと遂行していただいているご支援先の皆さんには、
本当に感謝しかありません!!
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ボストン・コンサルティング・グループ代表だった堀紘一さんは、
コンサルタントの提案と、受け入れる会社のことを、
このような表を使って、説明しています。
A案を採用する会社は、とても少ない。
が、爆発的に業績を上げるのは、A案を採用する会社である。
たいていの会社は、B・C案を実行する。と、説明しています。
私のコンサルティングの場合、
A+C÷2という、中間B案を提示するケースは、ほぼない。
Aでも、Cでもない、
まったく異なる、生成発展した第三の道=Xを出すように、心がけている。
クライアントと、包み隠さず、ちゃんと本音で語り合えば、
A案をも、凌駕する案「X」が出てくる。
大・堀紘一にも、ここの力だけは、負けない。
私に言わせれば、中間案=B案は、愚の骨頂。
こうやって、表に記すことすら、恥ずかしくて、、私はしない。できない。
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島津義弘は、自分の勝ち筋の案が受け入れられなかった。
そして、予想通り、西軍は敗北する。
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といって、
石田三成他の武将たちと運命を共に、死ぬわけでもなく、
家康に降参するわけでもなく、裏切るでもなく、
背中を向けて逃亡もしなかった。泣き寝入りもしなかった。
敗戦したから、脱出した。
しかし、敵の大軍の正面を突き破って、戦場を離脱して、本拠地・薩摩まで帰ったのである。
=AでもCでもない。まさに「X」の道を選んだのである。
「島津の退き口」と言われます。
捨て奸(すてがまり)という壮絶な戦法で、主君を逃がした。
(また、機会があれば、詳しく紹介します)
そのあと、薩摩に戻ってからは、兄の義久とともに、
家康からの出頭要請を、のらりくらり・あの手この手で、
ダラダラかわして、結局、本領安堵で生き残った。
知恵と武力と勇気と共に、したたかさも持ち合わせている。
同じ「戦う人」として、時空を超えて、尊敬に値する。